「先がわからないから面白い」

永井 豪

2009.09.10 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
マジンガーは、おまかせ!ファン目線で楽しむ

「あるとき横断歩道で渋滞を見ていたんです。運転してる人のイライラが見えて…僕、免許はないんですけど運転してる人に感情移入してしまって。クルマから手足が生えて、前のクルマをまたいでガシーンガシーンって行けたらいいだろうなあって(笑)。あ、ロボットもクルマみたく運転すれば面白いんじゃないかと」

少年時代からロボットものは大好き。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』の世界に憧れていた。

「ロボットものを観る子どもに共通してるのは、(こんなロボットみたいに)“すごい力を持ちたい”“今以上の能力を持って活躍したい”っていう願望だと思うんです。巨大ロボット=兵器ではなくて、僕は主人公の少年をヒーロー化させるための鎧だと考えました」

主人公の名前が兜 甲児なのもそのせい。「鎧の頭上にあるもの」だから。

37年前、ジャンプで連載が始まり、ほどなくアニメ化。1年足らずで『テレビマガジン』に移籍し、漫画はアニメとシンクロするような形になった。

「もしあのときのジャンプ版が続いていたら、今のような感じになったような気もしますね」

実は自ら、別のマジンガーの企画で動いていた。が、違うところからこの企画が出てきたのだ。当初の予定よりも深い時間帯で、ジャンプ版の大人っぽいマジンガーを展開するという。それで完全にまかせることにした。

監督は今川泰宏。過去に手がけた『ジャイアント・ロボTHE ANIMATION-地球が静止する日』でも、原作者である横山光輝の『三国志』や『バビル2世』のキャラクターをどんどん登場させた。これは永井 豪自身、『バイオレンスジャック』で実践している手法だ。

「観ていてすごく楽しいです。監督がファン気質を持って作ってるからファンのみんなも納得するんですよね」

実は永井先生自身が、永井作品のファンみたいなもの。自らアニメ化に動いたりするのも、そういう背景がある。

「マジンガーに限らないけど、巨大ロボットだったらやっぱり動くのを観たいでしょ。それが読者の願望でもあるだろうし、自分自身も観たいから(笑)」

楽しみなのは描くときも同様。

「物語の先は全然見通してません(笑)。考えるのは現在のみ。転がっていくのにまかせてしまう。それで大爆発することもあれば、『デビルマン』みたいに挫折して、主人公が結局負けてしまうこともある。だって、自分で先がわかったらつまんないでしょう。漫画も人生もそう。自分が登場人物と一緒になって動くのが楽しくて描いてるんです。行き先に向かってレールを敷いちゃったら、あとはもうそこへ行くだけでしょ。つまらないじゃないですか(笑)」

デビュー以来42年、「先のわからない楽しさが推進力だった」という。

ギャグ担当作家からストーリーへの転換

キャリアの最初は、高卒後に入った石森章太郎のアシスタント。

「もともと、自分は水準以上の漫画家だと思っていました。単に箔を付けるために行ったんですけど…。驚きました。描くスピードが圧倒的に速いんです。プロってこのぐらいでなくちゃいけないのかと。あとは仕事を断らないところ。僕は内向的で、漫画さえ描ければいいやって思ってるような子どもだったんですけど、プロの覚悟を知りました。ちゃんとプロダクションシステムにして、仕事を請けていかないと、競争に負けて潰れると実感しました」

目指していたのはSFテイストのストーリー漫画家。だが67年のデビューは『目明しポリ吉』というギャグ漫画。翌年にはエッチな学園ギャグ漫画『ハレンチ学園』を発表。

この作品で永井豪はブレイク、と同時に、PTAや教育委員会から大ブーイングを受けることになる。ぶっ飛んだ教師たちのキャラクターや作中に頻出するスカートめくりなどが、教育上好ましくなかったからだ。

「最初は抗議されてもきちんと説明しようとしていたのですが、聞いてもらえないし、キリがないので、“どうなってもいいや”“最悪やめちまえばいいんだ”って、戦うことにしたんです」

物語は第一部後半から、主要キャストが教育委員会(という名の組織)にみな殺しにされるという血みどろ社会派ドラマへと転換する。自身とPTAとの戦いを、そのまま作品にしてしまったわけだ。その後も、70年安保を題材に全国の教育機関と学生たちが殺し合う『ガクエン退屈男』(70年)を発表。これはそもそも確信犯で、「編集者にはギャグだと思わせておいて、始まってからどんどんギャグキャラを廃してストーリー色を強くしたんですが」

…半年ほどで終了。

「当時はシフト制で本一冊作ってたみたいなところがあって。この人はスポーツ、この人はストーリーでってだいたい決まってたんですね。で、どうしても僕はギャグ担当(笑)」

そんななか、週刊少年マガジンに100ページの読み切り「『鬼─2889年の反乱─』を発表。29世紀に誕生した人造人間は、普通の人間との区別のため、頭部に角を植えつけられた。そこから生じる醜い疑心暗鬼と差別の話。

「まったくギャグとは違う絵柄が描けるということを見せたくて。それでSFタッチの話を全力で描きました」

タッチのみならず、テーマ的にも後の永井豪ワールドの一端が垣間見える。さらに翌年『週刊ぼくらマガジン』で『魔王ダンテ』をスタート。

「当時、僕は週刊連載4本ぐらい持っていて、めちゃくちゃな忙しさだったんですが“なんでもいいから”って言われて。それで“怪獣ものをやりたい!”って言ったら、“どうぞ”と(笑)。大きなコマでキャラがはみ出すような派手な作品を描こうと思っていて、それもゴジラの二番煎じではいけない。そのとき、ダンテの『神曲』にある、地獄の最下層の氷漬けの悪魔というイメージを思い出したんです。アレがホントにあったらすごいなと」

初のストーリー漫画連載だった。が、雑誌自体が廃刊してしまう。

「全然ストーリーも進んでなかったので、もっと描きたかったんです。そしたら、あるTVのプロデューサーが面白がってくれて。アニメ化しようという話になったんです。でも元のままだと、怪物の印象が強すぎるので、人間らしさを加えました。で、僕の方は少年マガジンに連載を申し込みました。そしたら当時描いてた『オモライくん』が人気だから、それを続けてくれと。でも、どうしても僕はこれをやりたかった」

『オモライくん』は不潔さと貧乏さを究極にデフォルメしたギャグ漫画だった。そして『魔王ダンテ』をベースに生まれ、一度編集部に断られた新作は『デビルマン』と名付けられた。

疑心暗鬼と差別の生み出す悲劇。正義と悪の二元論のむなしさ…。

「『デビルマン』が“ああなった”ことを考えると、相当僕にはダークなものがたまってたんでしょうね。ギャグ漫画ばかりの反動というかね(笑)」

『マジンガーZ』の連載が始まるのは、その4カ月後のこと。

「『デビルマン』で毒出しできたのかな(笑)。こっちはカラッと描けましたね。でもホント、このころからですよ、僕がストーリー漫画をちゃんと描けるようになったのは」

そしてロボットやヒーローアニメを次々と送り出すようになるのも。

「そうですね。あー、できることなら『真マジンガー』からの流れで『グレートマジンガー』『グレンダイザー』と、アニメ化したいですね。あ、『デビルマン』も、今、原作をベースにしたアニメを作りたいなあ」

1945年石川県生まれ、東京育ち。20歳のとき、石森章太郎のアシスタントとなる。デビューは67年『目明しポリ吉』で。『ハレンチ学園』『あばしり一家』『オモライくん』などギャグ漫画のヒット作を飛ばす。『デビルマン』『マジンガーZ』『ゲッターロボ』『キューティーハニー』などアニメと連動し、大ヒットとなった作品も多数。69年からダイナミックプロダクションを創設、プロダクションシステムによる漫画制作の先駆けでもある。『真マジンガー 衝撃!Z編』のインフォメーションは

■編集後記

大学を目指して浪人していた。が、実はその後の展望は何もなかった。「でも漫画家になってたと思いますよ。それが早いか遅いかだけで」。結局3カ月で浪人は辞めた。というのも下痢が止まらなかったから。大腸ガンだと思いこみ、死を覚悟した。自らがこの世に生きた痕跡を残そうと思った。それが幼いころから得意だった漫画。そして描き上げた。かくして漫画家への道を積極的に目指すようになった次第。病気は大腸カタルだった。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

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