迫害を受けてきた先輩から次世代の挑戦者へ

【コラム】「迫害を受けること」は応援の余白を作る。だから、恐れずに自分の意見を言え

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こんなツイートが流れてきた。
テレビタレントがおかしがちで、テレビに呼ばれる専門家が決しておかさない過ちは、自分のよく知らないことを決めつけること

グウの音も出ないほどの正論で、しかし専門家ではないテレビタレントにはコメントが求められ、正直に「分かりません」を連発するタレントはコメンテーターから外される。タレントコメンテーターはこの板挟みの中で生きているのだ。

5年前に僕がクラウドファンディングをやった時、タレントコメンテーターのコメントは揃いも揃って御粗末なものだった。「炎上商法」という者もいれば、「宗教」と囃す者もいた。

タレントコメンテーターの誰一人としてクラウドファンディングの経験がなく、“購入型のクラウドファンディング”が、普段自分達がおこなっているライブ(チケットを販売して、集まったチケット代でライブを作る手法)と何ら違わないことを理解できずに、「よく分からないけど、おそらく悪いことをしているに違いない」で、自分達が理解できないものを叩いた。

当時はテレビで「西野=イタイ奴」というレッテルを貼られ、テレビをつければ僕のいない番組で僕のことが議論され、高笑いを繰り返すタレントの姿をよく目撃した。テレビの影響力は凄まじく、ウラ(真実)がとれていようがいまいが、その中で発したコメントに視聴者は扇動され、見事に日本中から迫害された。

ただ、あいかわらず僕は今日もテレビが好きだし、過去のそういった現象に対しての恨みなど一切ないし(※知名度のある奴(団体)が個人攻撃してきた時に、たまたま二日酔いで機嫌が悪かったら反論でタコ殴りにするけど)、

なにより、

迫害を受けた歴史はまもなく記憶とともに消えていくが、迫害を受けたことが応援の余白を作ってくれたことは事実だ。
5年前の例でいうと、「クラウドファンディングをするのこと何が悪なの?」というマイノリティーがいて、その人達は、クラウドファンディングを正当性を訴える為に、僕を応援してくれて、一部は、そのままファンになってくださった。

「芸人は『ひな段』に出ろ」というテレビのルールに背いた時も、同様の流れが生まれた。絵本『えんとつ町のプペル』を無料公開した時もそうか。

インターネットが無かった頃と違って、今は、マイノリティーが時間と距離を越えて肩を寄せ合えるので、迫害を受けることにはポジティブ要素も含まれている。

迫害を受けてきた先輩から次世代の挑戦者に言葉を贈るとするならば、

「迫害にはメリットもあるから、恐れずに自分の意見を言え。そのうちキミは確実に強くなるから、その日まで粘れ」

といったところ。

映画『えんとつ町のプペル』が終わったら、すべてを手放して、また日本から…いや今度は世界中から怒られたい。
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