社会の現実は「年長者が思っている現実」にすぎない

「前澤さんの誘いも嫌ならきっぱり断ります」“人生は自分次第”を実現するZOZOの働き方

キャリア
望まない異動や転勤の辞令を受け取る

内心では変だと思いながら、会社の慣習に従う

上司や先輩から飲みに誘われて、しぶしぶついていく

社会人になって、「仕方がないか」と自分に言い聞かせる場面が増えてはいないだろうか。

会社では「嫌だからやらない」は通用しないような気がしてしまうし、「多少の理不尽に耐えるのがサラリーマン」なんて思っている人もいるかもしれない。

でも、会社や上司から言われるがままの状態は、果たして“自分らしい”と言えるのか…?

そんな状況から脱するヒントを求めて、話題の会社を訪ねた。「拝啓、前澤社長」から始まる社名変更の広告が話題となった、株式会社ZOZOだ。
広告では「人生は自分次第、会社は社員次第」「私たち社員が主役です」というメッセージが大きく打ち出されている。一体、どうやったら組織の中で“自分らしさ”を保てるのだろうか。

秘書部門を統括する社長室室長兼、総務採用部門を統括する人自本部本部長の西巻拓自さんと、著書『ブランド人になれ!会社の奴隷解放宣言』(幻冬舎)でも話題を集めるコミュケーションデザイン室 室長の田端信太郎さんに伺った。
右から、株式会社ZOZO社長室室長兼人自本部本部長の西巻拓自さん、同社コミュニケーションデザイン室室長の田端信太郎さん

人生の主導権を放棄して生きるのは、死んでいるのと変わらない

――10月1日の日経新聞に掲載された、社名変更の広告が話題になりました。社長宛てであることもユニークですが、「人生は自分次第、会社は社員次第」というメッセージにグッときた人も多かったと思います。なぜ、あのような広告になったのでしょうか?

西巻:世の中に対してはもちろん、社員と前澤に向けてもメッセージ性のある広告にしたいっていう意図はありましたね。

ZOZOは前澤のイメージが先行している会社ですが、当然いろんな社員が集まって会社が回っている。前澤一人にフォーカスされたくないって想いは強いんです。

田端:新聞広告を打つことは8月下旬から決まっていたんですけど、9月半ばに前澤が月に行くって発表をする予定だったんですよ。

そんなタイミングで「今後もステークホルダーの皆さんへの感謝を忘れずに」みたいな広告を打ったところで、世の中のムードを考えたら「いやいや、あんた月行くじゃん!」ってなるよなって(笑)。そういうツッコミを先回りした上での企画でもありますね。

西巻:前澤はこの先、月に行くわけだし、もうちょっと現場の我々が自主性を持ってやっていきたいという想いはありましたね。

オーナー社長の会社によくあることだとは思うんですけど、前澤がグイグイ前に出て行く中、どこかで“前澤任せ”になっているところもあって。

――会社に対して他人事のような気持ちになってしまっている人は、一般的に見ても少なくないように思います。

西巻:僕もそう思います。ZOZOでは「自分ごととしての仕事=“自事(しごと)”」という考え方をしていますし、人事部門も「人事(ひとごと)ではなく、自分ごととしての“人自部”」です。

「最終的にはあなた次第」という考え方は、カルチャーとしてあります。
【西巻拓自】株式会社ZOZO 社長室室長兼人自本部本部長。2005年商品管理担当としてアルバイト入社。06年に正社員となり、その後11年に経営企画室ディレクターに就任。同年、中国法人の総責任者に就任。帰国後の14年、社長室室長に就任。現在は、社長室、人自部、総務部、フレンドシップマネージメント部を統括
西巻:ただ、全員がそうなれるわけではないとも思うんですよ。会社は社会の縮図ですから、主体性のある人とそうでない人のバランスは社会全体と同じくらいになる。

だからこそ「主体性を持って仕事をすることを大事にしている」というメッセージを会社が出し続けることが大切です。

その結果、一回でもいいから主体性を持って働くことの楽しさを社員が感じてくれたらいいなと思っています。

田端:法的に見れば会社は株主のものですが、少なくとも「自分の仕事は自分のもの」です。そういう“自分の仕事”が集まって会社ができている。

そう考えていくと、社員が主役として主体的に仕事をやるのは当たり前だし、社員も「どんな仕事をしたいのか」を考えるべきですよね

――「自分がやりたい仕事なんて分からない」という人も多いような…?

田端:難しく考える必要はないと思いますよ。たとえば僕は田舎者で、東京に憧れて大学から上京したんです。だから地方転勤をさせられるんだったら、上京した意味がないと就活の時に考えていました。

こういう明確に嫌なことって人それぞれにあると思うんですよ。「サーフィンが好きだから波が良い日は休みたい。その代わり給料は安くていい」みたいな人だっていると思います。

それなのに、なんとなく世の中に染まれば染まるほど、「そういう自分らしいこだわりとかポリシーを捨てていくのが大人になるということだ」みたいな考え方になっていくじゃないですか。そりゃあ、何から何まで自分の好きなようにならないのが人生です。

でも100%諦めてしまったら、死んでいるのと変わらないとも思うんですよ。会社員だからって人生の主導権を放棄するっていうのは、大げさに言えばそういうことなんじゃないかな。

おっさんが語る“社会の現実”は“年長者が触れてきた現実”にすぎない

――では、人生の主導権を持つには、お二人はどうしたらいいと思われますか?

田端:たとえば、魂の独立は、なんとなく毎日、惰性の付き合いで行っている同僚や上司とのランチを断わるところから始まると思います。

代わり映えのしないメンバーで、会社の近くのいつものお店に行く。もちろん行きたくて行っているならいいですし、毎日職場で顔を合わせるんだから仲良くした方がいいに決まっています。

全部断れとは言わないけど、もしも「なんだかなぁ」と思っているのであれば、無理に一緒に行く必要はないですよ。
【田端信太郎】株式会社ZOZOコミュニケーションデザイン室 室長。1975年石川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。NTTデータを経てリクルートへ。フリーマガジン「R25」の立ち上げや広告営業の責任者を務める。2005年、ライブドアに入社し、livedoorニュースを統括。ライブドア事件後は執行役員メディア事業部長に就任し経営再生をリード。10年からコンデナスト・デジタルでWebサイトとデジタルマガジンの収益化を推進。12年、NHN Japan(現LINE)執行役員に就任、広告事業部門を統括。14年、上級執行役員法人ビジネス担当に就任。18年3月から現職
西巻:僕も嫌なことは嫌なので、たとえ前澤に誘われても行きたくなければ断りますね

田端:「板長おまかせコース」って日本独自の文化で、海外だとホテルの朝食から卵の焼き方やらなんやら、いろんなことを選ばされるんですよ。おまかせコースにも選べる朝食にも良さはあるけど、若い人を見ていると決めなさ過ぎている気はしますね。

上司がお店を決めて、さらに皆が頼んだものを「じゃあ僕も一緒で」みたいな。そういう小さなところから変えていかないと、人生なんて変わらないですよ。

――自分で選ぶとか、嫌なことは断るとか、お二人はどうして自分の意思を通せるんでしょうか…?

西巻:僕の場合は性格ですかね。小学生のころから我慢するタイプではなくて、サッカーチームの監督からスタメンとして名前を呼ばれても、僕は返事をしなかったんです。

試合中に「パスしろ!」って文句を言われるのも、「西巻、早く走れ!」みたいに保護者がうるさいのも、すごく嫌で公式戦には出たくなかったんです(笑)。

高校でもピリピリしたAチームの試合には出ず、「打倒Aチーム!」と勝手にBチームを仕切って、実際に勝ったりもしていました。監督からは怒られたけど、楽しくサッカーがしたかったし、実際に楽しかったんですよ。

自分の価値観に合わないことに対しては、昔からかなり生意気でした。

田端:なんでこういう性格になったんだろうって過去を振り返っていくと、「親の教育かなぁ」なんて考えて、最終的には「親に感謝」っていうところにたどり着きますよね(笑)。

――ただ、学生時代は嫌なものは嫌って言えていたのに、会社に入って、世の中で言われる「社会とはこういうものだ」に染まってしまう人もいますよね。

田端:“社会の現実”をおっさんが語るじゃないですか。それは良かれと思って言っているんだろうし、その人の実感だから間違っているわけでもないと思うんですよ。

でも、それはあくまでその人の視点の話でしかないということは忘れない方がいい。

僕が最初にNTTデータからリクルートに転職した時、上司から「あの会社は離職率が高いからよくない」って引き止められたんです。一回も転職したことがない若者だから、「そうなのかな?」って思っちゃうじゃないですか。

でも冷静に考えたら、そうやって説得しようとしている部長や課長も転職したことないんですよ
田端:結局のところ“社会の現実”は、“年長者が思っている現実”にすぎないんです

起業家に会ったことがない人は、下手したら起業家はガンジーやキング牧師みたいな超すごい人だと思っているかもしれない(笑)。

でも、リクルートみたいな会社では起業する先輩も身近にいるわけで、リアリティーが全然違いますよね。完全無欠のスーパーマンではないこともよく分かっているし、「あの人があんなにうまくいくなら俺だってできるんじゃない?」って思えたりもする。

僕はそう思える環境自体に価値があると思っていて、ZOZOで言えば、世の中の常識をまったく気にしない前澤の背中を見ることで、「こういう感じでもいいんだ」って思えるわけです。

そう思えたら、第三者から評論家的なことを言われたって、跳ね除けて「これが俺の人生だから」って胸を張れるじゃないですか。

「自分らしさとは?」と自問自答していること自体が“その人らしくない状態”なのでは?

――最近ではSNSやオンラインサロンなど、社外の人と接点を持ちやすくなっています。副業を推奨する会社も増えつつありますし、転職せずとも「俺だってできるんじゃない?」と思える環境は見つけられそうですね。

田端:さらに言えば、「自分らしく生きたい」という気持ちは皆あると思うんですよ。でもそう生きてこれなかった人もいて、その人たちが「俺も諦めてきたんだからお前も諦めろよ」って無意識に若者を誘導してしまっている気がするんです。

そういう話を真に受けていいのかっていうのは考えた方がいいんじゃないかな。死んだ後に、「俺はもっと偉業を成し遂げたかったのに両親や上司が許可してくれなかった。田端信太郎ここに眠る」って墓石に彫るのかって話ですよ(笑)。

――その辞世の句はカッコ悪過ぎますね(笑)。そもそもの話ですが、「自分らしく生きる」って、お二人はどういうことだと思いますか?

田端:ある程度自分をさらしてみないと、自分らしさなんて分からない気がしますね。自分が考える自分って、あくまでも半分だと思うんですよ。

どんなに本人が「俺は自分らしく生きている!」って思っていたとしても、周りから見たらよくいるサラリーマンだったりする。

哲学的な話になっちゃいますけど、周囲からそう思われている状態が、果たして自分らしいのか?っていう話もあるんですよね。
西巻:うーん…。さっきの話に戻っちゃうけど、「嫌なものは嫌」って言うことなんじゃないかな。我慢せず、本能を大切に、自分の気持ちに負担を掛けずに生きていくこと。

田端:もっと単純に考えれば、みんながトンカツを食べている時に蕎麦を頼むことも、ある種の自分らしさかもしれないですよね。

西巻:そもそも「自分らしさとは?」って自問自答していること自体が“その人らしくない状態”な気がします。自分らしさに縛られないのが、自分らしく生きているってことなんじゃないですかね。
後編では、「人生の主導権を持って自分らしく生きた先にどんなことが起きるのか」を聞く。「トンカツを食べている時に蕎麦を頼まない」ことの延長線上に起きることとは…?

〈取材・文=天野夏海/撮影=赤松洋太〉

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