堀江貴文著『捨て本』より

人と「価値観や意見が同じ」なのは異常だと思え。ビジネスの人間関係で“捨てるべき”思想

ライフスタイル
堀江貴文さんは現在、家を持たずにホテル暮らし。必要なものはスーツケースに収まる程度と、徹底的にモノを捨ててきました

新著『捨て本』は、そんな堀江さんの“捨てる”哲学をまとめた一冊となっています。

同書のなかで「モノのみならず、既存の価値観も捨ててきたことで、今の自分がある」という堀江さんの“捨てる”哲学から、人間関係に関する内容を2記事でご紹介します。

人間関係では「恐れ」を捨てろ

人間関係が気まずくなる恐れ

自分の立場が悪くなる恐れ

会社を辞めさせられる恐れ

いじめられる恐れ

ほとんどの人の行動を制限しているのは、こんな恐怖だと思う。

面と向かって、本音をぶつけるのは勇気がいるかもしれないし、結果を考えて、怖くなるのは、当然だろう。

でも、ずっと恐れているだけで、あなたの苦しみや悩みは、消えるのだろうか?

結果を恐れて何も行動せず、ただ苦しみが積み重なっていくだけの生活をこの先、何年も何十年も変わらずに過ごしていく、その覚悟は、あるのだろうか?

恐れを捨てるには、本音で生きるしかないのだ

多少は人間関係がぎくしゃくするかもしれないが、仕事の結果には何の関係もないだろう。

僕のように、あらゆる方面から誹謗や中傷がぶつけられる立場ではなく、顔が見える上司たちが相手なのだから、そんなに気に病むことではない。

大事なのは、やるべき仕事をやることだ

人間関係に配慮して、言いたいことを言わず、空気読みを続けることなど、エネルギーの無駄だ。

仕事のパフォーマンスを高めるためにも、恐れを捨て、本音で仕事に向き合ってほしい。

お互いの価値観が異なっているのは当たり前

ビジネスで望ましいのは、セミドライな関係だ。

仕事として相手には尽くすが、互いに寄りかからない距離がベストだと思う。

仕事は、自立した個人が、目的を達成するためにつながって行うものだ。 

慣れ合いではなく、目的を達成するために、それぞれの時間とスキルを与え合うことが最重要だ。

情緒でつながったり、できない人を助ける(それで本人のパフォーマンスが劇的に回復するなら別だが)必要は、まったくない。

そうしたベタベタしない、セミドライな関係が、僕にとっては心地がいい。おそらく僕だけじゃなく、ほとんどのサラリーマンも同じはずだ。

ウエットな感情にとらわれ、切り捨てるべきものを切り捨てられず、いらない負荷の重みに喘いでいるのが、多くのサラリーマンの実情だ。

余計なものは、切り捨て、思いきり本音を言おう

みんな、とにかく意見の衝突を避けて、「それもわかります」と同意を示し、仲間意識を共有しようとしたがる。

その場はいいかもしれないけれど、後々に面倒くさいしがらみとか情につながりやすいので、警戒すべきだ。

僕はこれまで、数えきれない著名人と対談してきた。

なかには話題がかみ合わなかった人もいる。意見が完全に対立した人もいる。

だからといって、相手を嫌いになることはないし、リスペクトが下がったりもしなかった。

人間関係において、「お互いの価値観が異なっていることがわかる」のは、思考の質を高めるうえで、非常に大事なのだ。

同意の真綿にくるまれて、気持ちいい時間を過ごしたいだけなら、金を払ってキャバクラやホストクラブに行けばいい。

会社では、せっかくお金をもらって、いろいろな技術を持った人たちと仕事ができる、刺激的な環境を与えられている。

意見のぶつかり合い程度のストレスから逃げて、どうするのだと言いたい。

恐れを捨て、価値観の違いを受け入れよう。きっといまより何倍も、仕事は楽しくなってくる。

人間関係はグラデーション。決してゼロかイチかではない

議論を続けていくなか、意見が一致しないことは多々ある。

そこで「相手は自分を嫌いなんじゃないか?」と不安になる気持ちはわかる。 

でも、思いこみだ。

意見が一致しない。それで、いいのだ。

わかり合えないことがわかり合えた、と気づければ充分だ。

閉鎖された環境で仕事していると、勘違いしやすくなってしまうが、「価値観や意見が同じである」ことは、実は異常なのだ

「価値観や意見がバラバラである」ことが普通。それは社会全体の正しい姿でもある。

人間関係は、デジタルの数値で区切られていたりしない。

色彩が混ざり合った、グラデーションで構成されている。

この点については意見が異なるけれど、別の点では完璧に同意する

ビジネスの考え方では相反するが、仲はとてもいい

そんな関係は、大いにありうる。

また、グラデーションで重なり合っている関係の方が、つながりは広く、柔軟で強いものになるだろう。

全部同じ色の関係など、薄気味悪い

時間が経つと真っ黒になるか、何らかの些細なきっかけで、まるっきり違う色に塗り替えられてしまいそうだ。

意見が異なる人間を、自分たちの縄張りやコミュニティから、はじき出そうと必死な人がいる。

はじき出されないよう、必死に気を配りまくり、意見を言わず黙りこんでいる人もいる。

著名人であっても、ファンにそっぽを向かれないよう、自分に貼られたレッテルから外れた意見を言わないよう、振る舞っている人を僕は見かける。

心の底から、気の毒だと思う。

そんなコミュニティにいて、楽しいのだろうか?

「はじき出してやろう」「はじき出されないようにしよう」と必死な人たちに、何としてでも好かれたいのか? 

僕は、まっぴらだ。

一緒にいて楽しくない人たちに好かれようと努力すると、自分を見失ってしまう。

人生において、自分を捨ててはいけない。絶対に、いけない。 

「はじき出してやろう」としてくる人など、遠慮なく捨ててほしいと思う。

誰かがあなたについてどう思おうが、それは何も問題ではない。相手の側の問題だ。

他人が誰を嫌おうと、何を考えようと、あなたの人生には関わりがないのだ。

それに気づいたら、好かれたくもない人のことなど捨てよう。

相手が自分をどう思っているのか」「どうしたら意見が合うのか」と、悶々と考えることに人生の時間が奪われるなんて、あまりにももったいない。

人とは、ぶつかり合う勇気を持つべきだ。

「こいつ、やっぱり最悪に相性が悪い」と認識できるなら、それもいい。しかし「根っこは自分と同じじゃないか」みたいな新発見のおかげで、仲良くなるチャンスもある。

いずれにしても、恐れを捨てなければ、現状を変える機会は訪れないのだ。

「同志」のような存在に期待しない

よく中小企業では、創業社長が「社員はみんな家族だ」「助け合い、一丸となって頑張っていこう!」とスローガンを掲げている。

それは違うよなぁ…と思う。気持ちが悪いとさえ思う。

社員を束ねるマネジメントとして、そのスローガンが機能しているならば、別にいいだろう。しかし僕の実感には、まったく添わない。

社員を一枚岩にして、会社に求心力を持たせ、擬似家族風の組織を構築する―僕から言わせれば、最悪な経営術だ。

IoT、グローバリズム、終身雇用崩壊など、多くの社会変革のなかで、最も耐用できない、弱い組織づくりの方法ではないか。

もっとフレキシブルに、各々の意志を明確にした、いい意味での社員の「切り捨て」がさかんに行われるべきだ。

僕は経営者時代、社員に対して、会社に忠誠心や結束力を求めることはなかった。

また、同僚と友人になる必要はないとも思っていた。

大事なのは、会社が働き手それぞれにとって、好きな仕事ができる場として機能しているかどうか。不満がないなら仕事を続けるし、そうでなくなったら辞める。

シンプルでいいのだ。

僕にはビジネスにおいて、共通の目的意識を持った同志のような存在は、いなかった。

やりたいことを進めていくのに、利害関係と気持ちの方向性が合致していれば、とりあえず一緒にビジネスする関係は築ける。

同志のような存在は、これからもいないだろう。つくろうとも思っていない。

手がけている事業や今後やりたいことについて、人に話すことはあっても、〝組織として〞共有しようという発想がないからだ。

オン・ザ・エッヂの仕事でも、社員たちと意識共有しようという努力は、一切しなかった。「ついてきたければ勝手についておいで」というスタンスだった。

冷たいとか、ドライだと言われるかもしれない。でも、本当にやりたいことでもないのに、意識の共有に縛られて、人生の時間を拘束してしまうことの方が、僕には冷たいことのように思う。

温情をかけているわけでもないが、「お前はいらない」というときは、きっちりと態度表明する。そして、去ってもらうのも仕方ない。
 
人の性格や能力に合わせて、自分のやりたいことやプランを説明するのが、すごく嫌なのだ。昔風の表現をするなら、口でいちいち言わないでもわかる勘のいい人とだけ、一緒に働いていたい。

ついて来ていいけど、邪魔になって協力してくれないなら、どっかへ行って」というのが本音なのだ。

そんな考え方の社長は、間違っているだろうか?

ついていく社員の方としては、面白いときは一緒にいて、離れるときは簡単に離れやすい、ある意味で親切な経営者だと思うのだが…変だろうか?

世の経営者の大部分が、僕のスタイルを踏襲して会社経営するようになれば、サラリーマン社会も楽な方に変わるのに、と真剣に考えている。

僕はビジネスにおいて、社員や同僚にヒントも出さないし、思惑や意図を読み取ってくれとも言わない。

改善点を指摘して直るようだったら、しっかり言うが、直りそうもなければ適時、切り捨てる。

これまでの部下のなかで、「こいつはすごい」と感嘆するほど、僕の思いを完璧に読み取り、意識共有を果たせたという人物はいなかった。

みんなちょっとずつズレていて、その都度、切り捨てさせてもらった。

というと、誤解を招くと思うのだが、僕は会社経営時代を含め、人をクビにしたことはほとんどない。

「切り捨てる」というのは、同じラインで仕事をしなくなったり、呼ばなくなるだけだ。辞めていったり、僕から離れるのは、向こうの意志にすべて委ねてきた。

人を切り捨てるというより、体よく僕の方が切り捨てられるように、社員の側に任せていたと言っても、いいかもしれない。

僕の意識をみんなで持ち合わせて、共に頑張ろう! そんなやり方はまったくしないで、オン・ザ・エッヂを経営していた。まったく問題はなかった。

実際に、出て行った社員を上まわる新人が次々に入ってきた。

会社も急成長していった。

合わなくなったら、切り捨てる。

そのやり方で会社が危機に陥っていたら、少しはあらためていたのかもしれない。でも順風満帆にうまくいっていたので、直す必要はなかった。

モノや価値観を捨てることで、思考はアップデートできる

捨て本

捨て本

すべては、常識や価値観に縛られず、自由に生きるため

捨て本』には、そんな堀江さんの哲学が込められていました。

少しでも生きづらさを感じている人は、ぜひ同書を手に取ってみてください。きっと自分が捨てるべきモノが見つかるはずです。