暦本純一著『妄想する頭 思考する手』より

ブレストが生むのは“仕事をやってる感”だけ。アイデアには「孤独」なプロセスが不可欠だ

仕事
業界を問わず、あらゆる人が「新しいアイデア」を生み出そうとしています。

ディープラーニングや人工知能(AI)技術の開発が進むにつれて、その競争はさらに激化していくはずです。

東京大学大学院情報学環教授、ソニーコンピュータサイエンス研究所フェロー・副所長を務める暦本純一教授は、新著『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』(祥伝社)の中で、アイデアを出すために必要なのは「妄想」だと語っています。

「私たち人間は、いつも『新しいもの』を求めている。(中略)アイデアの源泉は、いつも『自分』だ。誰に頼まれたわけでもなく、むりやり絞り出したわけでもなく、自分の中から勝手に生まれてくるのだ。そう、それは『妄想』である。妄想から始まるのだ

新しいものを生み出すためになぜ「妄想」が大切なのか。

アイデアを出すためには具体的にどうすればいいのか。

同書より一部を抜粋してお届けします。

「既知×既知」で、妄想の幅が広がる

人が思いつかないアイデアを生むには、どうしたらいいか

妄想の種としておすすめしたいのが、自分の「好きなもの」だ。

ただ、好きなものが「1つ」あるだけでは、なかなか強い個性にはなりにくい。

同じものを好きな人が、同じような妄想を抱くことも多いだろうから、アイデアがかぶる。

他人が考えない自分らしいアイデアの源泉にするなら、好きなものが「3つ」くらいあるといい

「好きなもの」がわからない人も多いようだけれど、誰でも、ふだんから興味を向けている対象の3つや4つはあるはずだ。

たとえば、視線センサーという装置とクラシック音楽とテニスがどれも好きな人は、かなりかぎられるだろう。

「クラシック音楽が好きです」と言われてもべつに個性的だとは思わないが、好きなものを聞いてその3つが挙げられたら、何となく「その人らしさ」が立ち現れてくる。

他人に自慢できるような見栄えのいいものでなくていいのだ。

むしろ、それは自分らしいオリジナルなアイデアを生む妄想の種として大事にしたほうがいい。

アイデアは、「無」から「有」を生むものではないからだ。

自分が思いもつかない新しいアイデアを見聞きすると、「なんでそんな突拍子もないことをひらめくんだ!」と驚く。

タネも仕掛けもないところからハトが飛び出してきたように感じるかもしれない。

しかし、考えた本人にとっては、タネも仕掛けもある。

新しいアイデアは、何もないところから突如として出現するわけではなく、そのほとんどは、「既知」のことがらの組み合わせだからだ

その組み合わせが新しいから、「未知」のアイデアになる。

好きなものが1つでは、「既知」と「既知」のかけ算ができない。

最低2つは必要。3つあれば、組み合わせのバリエーションが増大する

好きなものが増えるだけ、妄想の幅が広がるのだ。

「ブレスト」では、良いアイデアは生まれない

もっとも、ひとりの人間だけでは、アイデアの幅に限界があるのもたしかだろう。

企画会議のような「アイデア」に特化した会議でよく行なわれるのが、ブレスト(ブレインストーミング)だ。

1940年頃から1950年代にかけて考案された会議のスタイルで、「集団思考」「集団発想法」と呼ばれる。

5〜10人程度が集まって、とにかく自由にアイデアを出す。

どんなに奇抜でリアリティのないアイデアでも、批判や否定は基本的にNG。

むしろ、そういう提案こそ歓迎すべきで、ポストイット(付箋)にそれぞれ自分のアイデアを書き込み、壁に次々と貼っていくスタイルも多い。

私はそういったツールを使わない

人によって向き不向きはあるし、連想を引き出すには有効かもしれないが、この方法では良いアイデアは生まれないのではと思っている

「仕事をやってる感」は味わえる。

カラフルなポストイットを壁にたくさん貼りつけた様子は写真映えもして、「クリエイティブな仕事してますアピール」にもなるだろう。

もちろん、何か結論を出すのが目的ではないブレストもある。

その名称どおり、みんなが嵐のように刺激を与え合って頭の中を揺さぶることに意義を見出すこともできるとは思う。

しかし、「そんな刺激の与え方でいいのか?」というのが正直なところだ。

というのも、ブレストでは「良いアイデア」より「その場でウケるアイデア」が出されがちだからだ。

本気で課題を解決しようと思っていても、ブレストの場の盛り上がりに左右されてしまうことがある。

何かを発想するときには「面白い」「楽しい」が大事

でも、それは手段であって目的ではない

それが目的になると、場の空気を読んで参加者の気持ちを忖度することになる。

地味だが良いと思うアイデアは遠慮して出さず、あるいは出したとしても他の人の目にとまらず埋もれてしまう。

とくに良いとも思っていない目立つアイデアを無意識でも出してしまう。

また、アイデアの「数」も求められるから、生煮えだったり、自分が面白いと思わない不本意な案でも、ブレストを成立させるために出すこともある。

結果、「ブレストのためのアイデア」になってしまう。

また、ブレストは短時間でたくさんのアイデアを出さなければいけないので、考える余裕がほとんどない。

しかしアイデアとしてまともな評価をするためには、クレーム(※)の形で書かれていなければいけない。

1行のクレームは短いが、そこに落とし込むまでには考える時間が必要だ。

そのクレームに意味があるかどうかを解釈するにも、 それなりの時間がかかる。

ブレストのスピード感は、それを許さない

その結果、その場で最も受けてベストと思われたアイデアが、会議後数日経つと「あれ、そのアイデアのどこが良かったんだっけ」と言われて結局捨てられてしまう場合が往々にしてあるものだ。

(※)やりたいことを自分にも他者にもわかるように整理し1行で書ききったもの。

研究対象、主張。

アイデアには孤独なプロセスが不可欠

ブレストでは、他人の意見を「つまらない」と評してはいけないのが基本ルールだ。

だからあまり優劣はつけずに、どのアイデアも同列に扱われる

でも、いわば民主主義的なこの「平等感覚」は、アイデアに関しては弊害のほうが大きいだろう。

新しいアイデアには、何かしら世の中のバランスを崩すようなところに価値がある。

みんなが「こういうものだ」と思っていた常識が、あるアイデアの出現によって突如としてひっくり返る。

それがイノベーティブなアイデアだ。

「あれもいいけど、これもいいよね」というバランス感覚(平等意識)からは、そういうアイデアは生まれにくい

ところがブレストのような集団発想法だと、どうしてもバランスを取ろうとしてしまう。

だから、たとえ組織として仕事をしている場合でも、新しいアイデアを生む作業は個人フェーズのプロセスを重視する場合が多い

たとえば手塚治虫は「虫プロ」という会社組織で仕事をしていたが、漫画制作の最初の段階である絵コンテは専用の部屋に籠もって、ひとりで描いていたそうだ。

マーラーは指揮者であり作曲家でもあったが、公的な指揮者としての仕事から切り離すために、個人で籠もる「作曲部屋」を用意していた。

個人の妄想から始まるアイデアづくりは、どこかで孤独なプロセスを経なければいけないのだろう。

アイデアの「責任」を負うのは、それを思いついた個人であるべきだ

集団で考えると、責任が分散してしまうので、真剣に考えることができない。

つまり、自分自身の妄想と正面から向き合って1行のクレームにまとめるような言語化作業をしないということだ。

その言語化作業を集団で助けるような会議なら、意味があるかもしれない。

たとえば、誰かが自分の妄想を発表し、クレーム化するために必要な課題について意見を出し合う。

しかし、みんなでクレームをまとめるのではなく、そこで出た意見を持ち帰って、発案者が自分で1行に書き下す

あくまでも個人の責任でやり切ることが大事

あるいは、ブレストでみんなのアイデアを集めたとしても、その場では意思決定をしないという手もあるだろう。

「既知×既知」の組み合わせを増やすのが大事だとはいえ、誰も個人で責任を負わない衆議だけの積み重ね(つまり会議のくり返し)では、常識を覆すような新しいアイデアは生まれない

集まったアイデアをひとりの責任者に託して、「これを叩き台にして、おまえが最終案を決めろ」と決定権を与える。

ブレストで出たアイデアを活かしてもいいし、すべて捨ててもかまわない。

そうやって、どこかに責任を負う人間の孤独なプロセスを入れるようにすれば、ブレスト的なアイデア会議が有効に働く可能性はあると思う。

「妄想」の先に、今ここにないものがある

妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方

妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方

私たちはいつも新しいものを求めている。

にもかかわらず、私たちの思考は、既存の枠組みに囚われすぎてはいないでしょうか。

暦本教授は明確に述べています。
我々は、現在の延長で物を考えがちである。

妄想は、今あるものを飛び越えて生まれるものであり、だからこそ『新しい』。

いや、何かを妄想しているとき、最初からそれが新しい発想だとは自分でもわかっていないかもしれないのだ。

出典 『妄想する頭 思考する手』

「何かアイデアを」「何か新しいものを」と考えすぎず、自由な妄想を広げた先に、今ここにないものを描いていることに気付けるのかもしれません

私たちも、まずは「妄想」から始めてみましょう。