あの経済偉人たちのR25世代

第1回 ドラッカーがR25世代だったころ

2010.06.04 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


ピーター・フェルディナンド・ドラッカー(1909~2005)。多数遺された著作には組織のマネジメント論と、社会・政治問題を扱ったものに大別されるが、ドラッカーが真に説いたのは「人々が幸せに働き、暮らす方法」であったといわれる イラスト:うぬまいちろう

日本画に“衝撃”を受けた25歳のドラッカー



世界的な経営学者であるピーター・F・ドラッカー。これまでは経営学を専攻した人でもなければ、あまりその名に触れる機会はなかったかもしれない。ところが昨年、ドラッカーをモチーフとした青春小説が大ヒットしたことで一気に知名度が高まるのだから、世の中わからない。ちなみに昨年はドラッカーの生誕100周年でもあった。

この機にあらためて知っておきたいドラッカーとは、1909年にオーストリアで生まれた経営学者だ。組織運営に必要なノウハウ、すなわちマネジメント手法の重要性を最初に説いた人物で、“マネジメントの父”とも称される。

日本画のコレクションにハマるなど、実は大の親日家としても知られているドラッカー。その、日本文化にハマるきっかけが25歳の時に訪れているというのが、web R25としては興味深いところ。20代当時のドラッカーの活動を追ってみよう。

ドラッカーは21歳で博士号を取得し、その後、ドイツの大学に勤務していた。しかしこの時代は、ナチス台頭の真っただ中。ナチス・ドイツの施策に懐疑的であったドラッカーは、たびたび論文などで批判論を展開しており、24歳のころには、全体主義を批判した処女作『経済人の終わり』の執筆をスタートしている。 こうした活動がヒトラーの不興を買うのは必定で、我が身を案じたドラッカーはイギリスへの移住を実行し、ロンドンの投資銀行に勤めながら原稿執筆を続けることに。そんなロンドンでのある日、突然の雨から逃れるために入った美術館で、ドラッカーは初めて日本画を目にし、大きな衝撃を受けたのだという。今では知るよしもないが、一体どの作家のどんな作品に触れたのか、気になるところだ。

とにもかくにも、まだ無名であった20代青年が書き上げた『経済人の終わり』は、30歳の時に上梓され、世間の大反響を呼ぶ。とりわけ、ユダヤ人大量虐殺や独ソ不可侵条約などを予見した同書を、時のチャーチル英首相が絶賛したことはドラッカーの名を上げるのに十分な出来事であった。

今日、「ドラッカー学会」という団体が組織されるほど、日本にも浸透したドラッカーの理論。日本での著書の累計発行部数は400万部超、経営者にドラッカー信奉者は少なくないから、日本経済の発展にも大きく寄与したともいえる。これもすべて、25歳の時の雨宿りが発端なのかも? R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト、コメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

関連キーワード

注目記事ピックアップ

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト