あの経済偉人たちのR25世代

第2回 本田宗一郎がR25世代だったころ

2010.06.11 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


本田宗一郎(1906~1991)。その功績を讃え、逝去時には正三位・勲一等旭日大綬章が贈られた。生前、「自動車メーカーの経営者が車の渋滞を起こすような、派手な社葬などしてはいけない」と語っており、実際、宗一郎の通夜と社葬は催されていない イラスト:うぬまいちろう

総理大臣より稼いでいた25歳!



世界的なメジャー企業の創業者といえば、経営者タイプを想像しがちだが、ホンダの創業者・本田宗一郎は生粋の技術者だった。

1906年、静岡県浜松市で鍛冶屋の長男として生まれた宗一郎は、8歳の時に初めて目にした自動車に感銘を受け、技術者を志す。米フォード社の設立が1903年、英ロールス・ロイス社の設立が1906年だから、時はまさに自動車産業の黎明期だ。

高等小学校卒業後、宗一郎はいわゆる丁稚奉公(でっちぼうこう)の形で東京・湯島の自動車修理工場に就職。彼にとっては幼少期からの念願の職であり、雑用のかたわら、先輩工員の作業を目で見て学び、暇さえあれば専門書を読み漁り、自動車に関する知識をむさぼっていたという。

稼業の鍛冶職で鍛えられたおかげもあってか、現場を任されるようになるとすぐに頭角を現し始めた宗一郎。6年の勤めを終えるころには、界隈で評判の腕利き技術者になっていた。彼が故郷・浜松に戻って自分の工場をオープンしたのは、弱冠18歳のことだ。

いわばホンダの前身ともいえるこの工場は、単なる修理だけでなく関連部品の製造までこなしたこともあり、引く手あまたの大繁盛。ほどなく、従業員50名を抱える大所帯に成長した。 ところで、エンジン音を聞いただけで不良箇所を見抜いたという伝説的なすご腕が伝えられる宗一郎だけに、さぞやストイックな職人であったのだろうと想像するが、これが意外とそうでもない。

総理大臣の月給が800円だった時代に、25歳にして月収1000円以上を稼ぎ、2台の自家用車を乗り回していた宗一郎は、仕事を終えると夜な夜な芸者に囲まれて飲み明かす日々を送っていたという。まさしく「ブイブイ言わせていた」という死語がぴたりとハマる生活。

そんな豪快な夜遊びがエスカレートし、ついには酔っ払ったまま芸者を乗せて運転し、誤って車ごと天竜川に飛び込んでしまったのだから、なんとも型破りな25歳である(もちろん今なら大問題!)。

しかし、戦時の空襲で工場を失うと、宗一郎は商売に嫌気がさしたか、「人間休業」を宣言してしばし隠遁生活に入ってしまう。この間は、尺八をたしなみつつのんびり暮らしていたというから、まるで気まぐれな猫のよう。

――ただし、これも必要な充電期間だったのかもしれない。一念発起して本田技研工業を興すのは、この休業宣言からおよそ1年後のことなのだ。 R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト。当企画にコメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

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