あの経済偉人たちのR25世代

第5回 マルクスがR25世代だったころ

2010.07.02 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


カール・マルクス(1818~1883)。啓蒙活動に忙しく、『資本論』をはじめ多数の著書を遺したマルクスだが、実は大変な悪筆ぶりで有名であった。彼の手書き原稿は、ごく一部の取り巻きにしか解読できなかったとまでいわれる イラスト:うぬまいちろう

圧力と闘いながら持論を説き続けたマルクス



時の資本主義体制に対する革命運動に積極的であった、19世紀を代表する思想家にして経済学者、カール・マルクス。その高い知名度にもかかわらず、その人となりについて詳しく知る人は意外と少ないのでは? 今回はマルクスの20代当時を探ってみよう。

今日に残されたマルクスの実績とは、やはり独自の社会主義思想を広めたことに尽きる。それは生産手段や富を平等に分配する社会を形成する考え方で、自由競争を基本とする資本主義とは対極に位置するものだ。しかし、マルクスは資本主義を否定しておらず、むしろ資本主義の発展と成熟が共産主義社会へとつながるという理論の持ち主だった。

1818年、ドイツ・トリーアで生まれたマルクスは、高校時代から労働と社会の問題に興味を持ち、その後、ボン大学、ベルリン大学と続けて進学。さらに23歳の時には、現イェーナ大学で哲学博士の学位を獲得している。

政治、社会のあり方に強い異論を持っていたマルクスは、24歳の時、ケルンで「ライン新聞」の編集責任者を務め、ドイツナショナリズムをはじめ近隣諸国の行政を徹底批判。その過激な論調がもとで新聞社は弾圧を受け、マルクスは職を追われてしまう。 25歳でパリに移住したマルクスは、『独仏年誌』を創刊。しかし、ここでも政府から圧力を受け、ベルギーへ追放される。それでもめげず、そのベルギーで今度は「共産主義国際通信委員会」を設立。しかし、労働者によるデモ(フランス二月革命)に加担したとして警察に抑留されるなど、散々な状態で三十路を越えたマルクスは、ロンドンへ亡命することになる。

以降も決して舌鋒(ぜっぽう)を緩めなかったマルクスだが、その20代は、とにかく独自の政治理論の啓蒙に執心しており、いわば世直しに青春を捧げた生涯だったのかもしれない。

ただし、思考にバランス感覚を欠く節はあったようで、その一端は金銭感覚にも表れている。富裕層の友人からの援助なしには生活できなかったくせに酒場通いはやめず、冬場に暖房も入れられないほど困窮していたにもかかわらず、子どもには音楽のレッスンを受けさせるなど、周囲が首を傾げることが多々あったようだ。

なお、資本主義経済として決して成熟していなかったロシアが、共産主義国家・ソ連を形成した時点で、マルクスの理論を懐疑視する識者は多かった。今やそのソ連も解体されて久しいが、動き続ける世界情勢の先には果たして、マルクスが思い描いていた世界が待っているのだろうか? R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト。当企画にコメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

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