あの経済偉人たちのR25世代

第6回 森永製菓創業者・森永太一郎の20代

2010.07.09 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


森永太一郎(1865~1937)。熱心なキリスト教徒としても知られ、経営を退いたあとはキリスト教の布教に尽力していたとか。なお、安倍晋三・元首相の昭恵夫人の曾祖父にあたる人物でもある イラスト:うぬまいちろう

“菓子王”を成功に導いた公園のゴミ



日本を代表する製菓メーカーである森永製菓。その前身、「森永西洋菓子製造所」が森永太一郎によって興されたのが1899年だから、実に長い歴史と伝統を持つ企業だ。創業者・森永太一郎は、一体どのような経緯で、製菓業で身を立てることになったのだろう?

森永太一郎は1865年、陶磁器で有名な現在の佐賀県伊万里市で生まれた。当時の伊万里は有田焼の積み出し港として栄え、太一郎の生家は伊万里随一の陶磁器問屋であり、また、伊万里湾の漁業権を握る網元でもあったという。ところが、早逝した実父の代から家運は傾き始め、太一郎は生活苦から親類の家を転々、不遇の少年時代を送ることに。

紆余曲折を経て17歳の時、横浜で陶磁器を扱う貿易商に勤めることになった太一郎は、しばらくは順調にキャリアを積み、商才を磨いたものの、やがてその会社も倒産。

その後、九谷焼の貿易商に転じた彼は、何を思ったのか九谷焼を売り込むために単身アメリカへ渡る決意をする。幼少期から苦労の絶えない境遇に置かれたことから、一発逆転のアメリカン・ドリームを夢見たのかもしれない。これが23歳の時である。 しかし、異国の地での営業は、やはり甘くなかった。九谷焼の売り込みはことごとく失敗し、何の成果も得られないままとうとう生活費は底をついてしまう。公園のベンチに寝泊まりする過酷な生活を強いられていた太一郎が、ある朝、偶然目に留めたのが、子どもたちが捨てたキャラメルの包み紙であった。

こういうのを天啓というのか、包み紙を見てすぐに「これを日本で売ってみたらどうだろう」とひらめいた太一郎。これが、森永の代表的なヒット商品となるミルクキャラメルのルーツであり、のちに「菓子王」と呼ばれる男を菓子の世界に開眼させた瞬間だった。

その後、一度帰国して再び渡米した太一郎は、ケーキやキャンディーの製造工場で10年以上のキャリアを積む。帰国後、満を持して設立したのが森永西洋菓子製造所というわけだ。

見事、人生の大逆転を果たした太一郎。今日、森永はエンゼルマークでおなじみだが、初期のエンゼルは、両手で“TM”の文字を抱えている。これが森永太一郎のイニシャルであることは意外と知られていない。 R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト。当企画にコメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

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