あの経済偉人たちのR25世代

第10回 東芝を興した“東洋のエジソン”

2010.08.06 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


田中久重(1799~1881)。無尽蔵の創造力で、80歳を越えてもなお発明の手を止めなかったという。享年82歳。最後の大きな発明は、日本全国に時報を伝える「報時器」だった イラスト/うぬまいちろう

創業者はすご腕の発明家!



日本を代表する電気機器メーカー、東芝。その前身となった田中製造所を興した田中久重は、幼少期から稀代の発明家として名を馳せた人物である。

1799年、福岡県でべっこう細工師の長男として生まれた久重は、物心ついた時から物作りが大好きで、工作というより創意工夫に満ちた“発明”に興じていた。最初の代表作は、弱冠8歳でこしらえた「開かずの硯箱(すずりばこ)」だ。一見、何の変哲もない硯箱だが、特殊な細工が施されており、大人がよってたかってチャレンジするも、誰一人として開けることができなかったという。

人々の驚く姿を原動力に、ますます発明熱を高めていった久重。10代の終わりからは、当時、庶民の娯楽として流行していたからくり人形に魅了され、その開発に没頭し始める。21歳の時には代表作のひとつ、「弓曳童子(ゆみひきどうじ)」を開発。このからくり人形は、自ら矢を取り、その矢を弓につがえ、的を射るという高度な動作で世間をあっと言わせた。

その反響もあり、20代をからくり興行師として過ごした久重は、大阪(当時は大坂)や京都、江戸を行脚して生活の糧を得た。久重のからくり人形は、金が取れるほど見事な精度だったわけだ。ちなみに「弓曳童子」がとりわけ秀逸なのは、4本のうち1本はわざと的をはずすように設計されていた点だろう。人形にあえて失敗を演じさせるユーモアの演出で、いっそう人々の人気を集めたという。 久重が事業の道へ方向転換したのは、天保(1830年)以降、藩政改革によって巡業の継続が困難になってからのことだ。新たな食いぶちとして、久重は手製の実用品の販売をスタートさせる。持ち運べる夜間照明として重宝された「携帯用懐中燭台」、長時間にわたって安定的に明かりを供給する「無尽灯」など、当時、一世を風靡したヒット商品は数多い。

正式に田中製作所を立ち上げたのは明治維新後のことで、日本初の水車発電機や扇風機などを製作。これによりいっそうの発展を得て、やがて現在の東芝の姿となったのだ。

なお、後世になって、人々はその発明技術を讃え、久重に“東洋のエジソン”の異名を冠しているが、実際にはエジソンよりも久重の方が古い人物である。 R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト。当企画にコメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

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