あの経済偉人たちのR25世代

第11回 「トヨタ生産方式」を生んだ2代目

2010.08.13 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


豊田喜一郎(1894~1952)。豊田自動織機内に研究室を立ち上げ、半年足らずでエンジンの開発した喜一郎は、稀代の技術者とイメージされがちだが、真に注目すべきは勤勉かつ長期計画を見据えて舵をとった、有能な経営者としての一面だろう イラスト/うぬまいちろう

本場の工場運営を学ぶためにイギリスへ



今や世界に名のとどろく自動車メーカーに成長したトヨタ自動車だが、その前身は自動織機メーカーであった。

トヨタ自動車の実質的な創業者にあたるのは、2代目社長の豊田喜一郎だ。喜一郎の父・佐吉は豊田自動織機の創業者で、日本で初めて動力織機を創った人物でもある。幼いころにその佐吉が離婚するなど、複雑な家庭環境で少年時代を過ごした喜一郎だが、学業は順調で、中学校、高校(ともに旧制)と順調に卒業したあと、23歳で東京帝国大学工学部へと進学。

大学を卒業して父の営む豊田自動織機に入社したのが27歳の時だから、R25時代はほぼ勉学に費やしていたことになる。これは時世を考えればかなりの高学歴者といえるだろう。

そんな喜一郎の経歴をひもといていくと、早くから経営者としての将来を見据え、様々な知識をむさぼった形跡が見て取れる。たとえば工学部を卒業したあと、半年だけ同大学の法学部に再入学しているのもそのひとつだろう。

さらに、豊田自動織機に入社したあと、間髪を入れずに約半年間の欧米視察旅行に出発。これはイギリスの大手繊維機械メーカーで研修を受けることが目的だった。喜一郎は本場の生産ラインに直接身を投じ、工場内のレイアウトから詳細な製造工程までを細かく記録して持ち帰ったという。 帰国後、こうしたノウハウを積極的に採り入れたたまものか、自社の自動織機は大きく売れ行きを伸ばし、やがて海外に輸出されるほどにまで評判を高めた。

しかし、やがて自動織機の市場に近い将来の限界を感じ取った喜一郎は、それまでの経験を生かせる新事業として、次世代の巨大市場を築くと見込んだ自動車産業に着目。自社内に自動車の研究室を開設し、エンジン開発から地道に取り組んでいた低予算・少人数のこの部署が、今日のトヨタ自動車の源流である。なお、喜一郎が2代目とされているのは、1937年に会社として登記される際、先に義兄の利三郎を社長としたためだ。

今日もビジネスシーンで高く評価されている「トヨタ生産方式」(※トヨタ独自の生産メソッド)は、喜一郎が自動織機の組み立て工程に採り入れた流れ作業にヒントを得たもの。20代のころのたゆまぬ努力が、巡り巡って花開き、今日のトヨタを形作ったわけだ。 R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト。当企画にコメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

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