ジュネーブ国際音楽コンクールで特別賞受賞

恥ずかしがり屋が世界的作曲家へ!山中千佳子の転機

2016.04.14 THU

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「基本がない状態で作った曲は、たとえば今まで触れたことのある音楽など“真似ができる範囲”を出ることはありません。1年間の浪人生活のおかげで作曲に必要な技術を感覚のレベルになるまで習得し、しっかりとした土台の上に曲を作り上げていくことの楽しさを知りました」 写真撮影/森カズシゲ
2013年12月にスイスで開催された「ジュネーブ国際音楽コンクール」の作曲部門で、神奈川県横浜市在住の現代音楽作曲家・山中千佳子さんが、「Prix du public」と「Prix“Jeune public”」という2つの特別賞を獲得した。5人の審査員が選考する優勝作品と並んで設けられている同賞は、約150人の聴衆による投票で選ばれるもので、山中さんは17歳以下と18歳以上の聴衆に分けられた両部門で最多得票を集めたのだった。

「受賞曲であるフルートソロとアンサンブルの『Uminari(海鳴り)』は、穏やかな凪や荒々しい大嵐、水面に浮かび上がる大小の泡など、海が見せる様々な表情を描いた曲です。日本人の作曲家として、四季のある日本ならではのグラデーション豊かな自然の移ろいを表現したいという思いを込めて作りました。聴衆の中には、曲を聞きながら手で波の動きをしたり、『すごくきれいだったわ!』と声をかけてくれた方もいました。海外で行われた国際コンクールで、自分の曲が国籍を越えて多くの方々にちゃんと伝わったことが、とてもうれしかったです」


今も実家に飾ってある老人の木彫り。実際は、水車小屋の老人ではなく、船長だったよう

■4歳で作曲、12歳で作詞を始める


山中さんは、岡山県の大学に勤めていた父と元教師の母、5歳違いの姉の4人家族で育つ。姉の後について3歳でピアノを習い始めると、4歳にして初めて曲を作った。タイトルは“おじいさんの水車小屋”。家に飾ってあった老人の木彫りを見ているうちに、メロディーと伴奏ができていたという。楽譜の書き方を知らなかったので、曲を作るたびに頭の中にストックしては両親に弾いて聞かせていた。さらに、12歳になると作詞にも挑戦。その頃よく聞いていたスピッツやカーペンターズに影響を受けて、ポップス調の曲が多かった。

「ピアノを始める直前にちょうど引っ越しをして、友だちが減ってしまったので、ピアノが遊び相手になったんです。一人で曲を作っているとどんどん楽しくなって、中1の時に『楽譜の書き方を知りたいので、作曲を習いたい』と両親にお願いしました。また同じ時期に、ピアノの先生から本格的にピアニストを目指す気持ちがあるかどうかの確認をされたのですが、私はすごい恥ずかしがり屋だったこともあって、人前で演奏することよりも曲を作る方が好きだなあと改めて思い、ピアノではなく作曲でいこうと決めました」

そして迎えた中学2年生の夏、作曲の勉強が専門にできる高校への進学を希望し、東京藝術大学音楽学部の附属高校を受験することを決断。それから約1年半、作曲の先生と二人三脚で受験勉強に取り組んだ。分厚い和声の教本を3巻こなし、音楽の基礎を徹底的に学習した。その結果、合格者3人(合格者なしの年もある)という狭き門を山中さんは見事に突破した。

「藝高を受験する子はほとんど皆、東京で専門の先生について勉強をしていて、私のように地方から受けるのはかなり異例だったので、一緒に合格した同級生たちにも驚かれました。最終面接で自作曲の演奏を課されることも私だけ知らなくて、やむを得ずクラシックではなくJポップっぽい曲を弾いたんです(笑)。それでも合格させていただけたのは、現時点での学力よりも可能性を見込んでくれたからじゃないかと思いました」

■まさかの大学受験失敗が大きな転機に


一足先に東京の大学に進学していた姉との二人暮らしは、実家にいたときと比べて一人だけの時間が増えた。その時間を利用して、学校の勉強よりも自分が好きな作詞・作曲に没頭した。だが、“ツケ”は卒業時になって回ってきた。藝大には附属校からの推薦枠などは設けられておらず、外部生と同様に一般入試に臨むのだが、まさかの不合格…。浪人して、翌年再チャレンジすることに。

「作詞・作曲という“アウトプット”ばかりしていて、そのために必要な基本的な技術を取り込むこと(=インプット)から逃げていた自分に気がつきました。絶対に1年で結果を出すと心に誓い、起床時間から勉強時間、家事や散歩の時間まで、毎日の生活の自己管理も徹底。曲は一曲も作らず、ひたすら修練を積み、1年で高校3年間以上の勉強をしたと思います。アウトプットを我慢すると、どのようなインプットが足りてないかどんどん見えてきて、壮絶な不安のなかでも、技術を得て磨くことに喜びを感じました。もし現役で受かったとしても結局は入学後に苦しむことになっていたでしょうから、今では受験に落ちて本当に良かったと思っています。私にとって、19歳は人生の大きなターニングポイントになりました」(後編に続く)

(菅原悦子)

世界が認めた瞬間
(C) Anne-Laure Lechat.
世界が認めた瞬間
1939年から開催されている「ジュネーブ国際音楽コンクール」。ピアノやフルート、チェロ、声楽など約10部門があるが、作曲部門での入賞は日本人初だった


こだわり仕事道具
こだわり仕事道具
知人からもらったドイツ土産の「LAMY」の0.7mmシャープペンは、手によく馴染んで使いやすい。分厚くて上質な「ECHO」の五線紙ともども作曲時の必需品だ


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