大企業の仕組みを見本に組織を変革

跡継ぎへの道は突然に… 証券マンが継いだ家業とは?

2016.08.10 WED

給料?やりがい? 30男キャリア相談所 > 後継者は語る!


(撮影=栃尾江美)
サラリーマン経験を経て、家業を継いだ人にインタビューをする本連載。今回訪ねたのは、仏壇・仏具専門店「三善堂」の常務取締役である諸田徳太郎さん。野村證券で約6年の営業を務めたバリバリの元企業戦士だ。家業を継ぐことになった経緯や、現在につながるサラリーマン時代の経験を教えてもらった。

巻紙に筆でお礼状!? 飛び込み営業から始まった会社員時代


大学時代はヨット部で鍛えた諸田さんが野村證券に入社したのは、2004年。最初に配属されたのは名古屋支店だったという。法人、個人を問わず、支店の近くから順番に飛び込み営業をした。さぞかしつらかっただろうと想像するが、諸田さんの答えは意外なものだった。

「性に合っていたのか、さほどつらいとは思いませんでした。初めての人と話すのも楽しいし、むしろ断られると燃えるタイプ。粘り強く、しつこいタイプの営業だったと思います」

新人の頃に先輩セールスマンに教わったのは、商談のあとに必ずお礼状を書くこと。しかも、巻紙に筆で書くのだという。通常業務が終わったあとに毎日深夜までかかって最低5通は書いた。飛び込み先の社長が感激し、社長室に飾ってもらったり、その企業の社員に向けて「これが営業なんだ」と褒めてもらったりもしたという。「手応えを感じて、ひとつの成功体験になりました」と振り返り、家業を担うようになった今でも、顧客に手紙を出す習慣を続けている。

自分のルーツを知った晩、跡継ぎになることを決める



そんな諸田さんは、家業である仏壇店を継ぐ気はまったくなかった。社長をしている父親や親族にも、継ぐよう勧められた記憶はない。しかし、継ぐ決意は突然訪れたのだとか。

「三善堂を興した祖父が亡くなって親戚一同が集まったとき、今まで知らなかった事実をたくさん知りました。事業を立ち上げた当時のことや、育ててきた経緯、祖父が伝統工芸士として“東京仏壇”を広めてきた歴史など…。自分のルーツを知り、思わず『俺が継ぐよ』と言っていました」

東京仏壇とは、高級木材を用いて伝統的な技術で作られる仏壇で、その普及や浸透に大きく貢献をしたのが祖父だった。諸田さんの「跡を継ぐ」という言葉に、親戚一同は大いに沸き立つ。表だって口にしなかったとしても、おそらく待っていたのだろう。当時は27歳で妻もあり、子どもも産まれる予定だったが、家族には相談せず決めた。

当時、野村證券では後輩の教育担当もしていたため、途中で投げ出すわけにはいかない。継ぐと決意してから1年半かけて仕事を整理して退職。その後熊本の仏壇店へ1年、大阪で葬儀店と仏壇店を兼ねる会社で1年と、計2年間の経験を積み、三善堂の常務取締役に就任した。

大企業の組織運営を参考に、ワンマン経営から脱却



三善堂で働くようになってから目に付いたのは、組織が確立されていないことだった。

「大きな会社では、部長や課長にある程度の権限があります。それを飛び越えてすべて社長が決めてしまったら、中間管理職の意見は不要なものとなり、モチベーションが落ちてしまう。当時の三善堂は、社長が権限を持ちすぎていたことで、悪循環に陥っていました」

会社員時代、上司や部下、それぞれの役割を明確にし、責任分担をしていくことこそが組織を成り立たせているのだと学んだ諸田さんは、社員に役割を分担し、少しずつ権限を与えていく。展示会での仕入れなど、すべて社長が決めていたものを、社員でも決定できるようにした。また、店内の改装についても、店で働く従業員の要望を取り入れた。「今でも言い合いは日常茶飯事」という社長の抵抗はあったものの、会社は少しずつ組織の形を成していった。

(栃尾江美/アバンギャルド)

諸田徳太郎(もろた とくたろう)
1981年東京生まれ。成蹊大学を卒業後、2004年に野村證券へ入社。名古屋支店と横浜支店で営業を担当する。祖父の死をきっかけに実家の仏壇店を継ぐ決意をし、2009年に野村證券を退職。他店で2年経験を積み、2011年に「三善堂」の常務取締役に就任。2013年に葬祭備品を取り扱う関連会社「萩原」の常務取締役を兼務。東京青年会議所理事も務める

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