「まだこんな楽しいことがあるんだ」

渡部篤郎

2010.02.18 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 textATSUNORITAKEDA 稲田平=写真 photographyPEYINADA TOYO(bel…
徹底的に日常を追求。もっといろいろな映画を!

演じる…というより、普通にそこにいる姿を切り取ったように見える。薬局を営む父と2人暮らしの家に、東京から戻ってくる妹の早知。娘2人のリビングルームでの会話。まるでホームビデオみたいなリアリティ。早知は東京でのモデルの仕事をあきらめて帰郷したのかもしれない。何も言わない。冬沙子もどうやら彼氏と疎遠になっているよう。だが説明はない。

「日常みたいなものを描きたいと思って始めました。それを一番やりやすい方法というのが、“そのままやってもらう”ということ。何度もお芝居するとナマっぽさが失われるので、1回でやってみましょうかと」

基本的に1シーン1カット、NGはなしという撮影方法をとった。

「間違い…間違いって基本的に、僕はないと思っているんですよ。それは何か植えつけられた価値観による判断でしょ?みんな、普通の人を演じていると思います。監督として役者さんに“こうしてほしい”みたいなビジョンなんてなかったし…とにかく自然なものを撮りたかったんです」

原案も監督によるもの。日常を自然に捉えたい気持ちはかなり前から持っていた。監督は、作品全体に携わることができる。一方、俳優は、自らの役を掘り下げることが仕事なのだという。

「作品全体を視野に入れて演じることは無理でしょうね。作品全体というのは、全体だから。たとえば色調整だったりとか音楽のタイミングだったり、タイトルロゴだったり…すべて。パッケージになって“作品”ですから。役に対してはできる限りのことをやりますが、作品に対して“こういう思いでやりました”とは言えないですね」

それゆえ、この映画の俳優さんたちも「この完成品をイメージしていたということはないと思います。何か面白そうなことなんじゃないのかなって思って参加してくれたというか(笑)」。そして「あんまり大々的に言うことではないんでしょうけど、もっともっと自由にいろんな映画ができあがってくればいいなという気がしてるんです」。

だから、映画監督はどんな人がやってもいいと思っている。

「よくこの作品に関して“あんまり日本の映画っぽくないね”って言われるんです。だから…もっといっぱいいろんな映画を作った方がいいんですよ。日本人が作って日本の俳優しか出ていないのにそういう印象を持たれるのって、ちょっとおかしくないですか」

もっと幅広いジャンルの映画が日本で撮られていれば、“日本の映画っぽくない”という形容は成り立たない。

「日本映画に一石を投じようっていう気は全然ないです。いろんな作品がもっとあったっていいんじゃないのかなっていう…単純なことですよ。それに、監督をやらせてもらった僕からすると、希望が見えたんです。自分のためです。お仕事をいただいてお芝居をして満足できる方と、そうじゃない方がいる。僕は自分がアクションを起こさない限り、希望は持てないと思っていましたが、これをやりきったことで希望が見えて、またさらに先に行ける。まだこんな楽しいことがあるんだって」

そして付け加える。

「でも全部自分のためってこともなくて…若い人たちがもっと自由に撮る気になったり、撮り方がわからないけど作りたいっていう人に“ああ、そんなふうに撮るのもありなのか”っていうことを見てもらうこともできるだろうし」

訴えるのではなく、静かに実践する。アクションを起こし続けている。

06~07年には単身渡仏。フランスの国立劇場プロデュース、全編フランス語による二人芝居『Lapluied'eteaHiroshima』という舞台を経験した。

「アレは、結果どうなるかわからずに自分で選んで…修行だと思ってたところはありましたね」

いくつかの転機と、それを実践したことと

「若かったら怖かったかも。フランス語はしゃべれないし、演劇はやったこともないので、六十何公演ですって言われても感覚がわからないし。まあ、でも、行けばなんとかなるかなとも思っていました。深くは考えなかった(笑)。それで生活の不安とかは、まったくなかったですけどね」

発音の練習から入って、ほぼ1年。

「最終日まで、舞台で演じるのが怖かった。フランス人のキャストは飽きてるところもありました。自分の国だし、自分の国の言葉だし…」

原作は国民的作家、マルグリット・デュラス。決まった曜日に、学生さんたちが“芝居を観ると単位がもらえる”授業で引率されてやってきた。携帯電話をわざと鳴らしたり、観客としては最悪。なえるキャストもいた。

「でも“デュラスだから”って観に来てくれるおばあちゃんもいるんですよ。だから、完成なんか全然してないけど、とにかくベストな状態をいつも出したいと思っていました。僕の感覚としては、初日から最終日まで、同じものにズーッと磨きをかけてるみたいな」

具体的になにか役立ったことは?という質問を投げると唸った。

「少々のことは、怖くないかな(笑)。僕のことを知らないフランス人のお客様の前で芝居して、なんとか受け入れてもらうことができたわけだから」

たぶんこれも(映画初監督も、もちろん)、将来的にはターニングポイントのひとつになるのだろう。たぶん今はまだ、渦中の話。だから過去の話を。

高校時代からアルバイトでエキストラを始め、21歳のときドラマ『青春の門』のオーディションで主演の座を得た。映画『橋のない川』(92年)、大河ドラマ『琉球の風』(93年)に出演。

「ホント時間がなかった。人生で一番忙しかったかもしれないですね。今なら“休みたい”って言えるけどね。仕事のインターバルはずっと勉強してました…今ももちろんしてますけど(笑)」

1作ずつクリアしていくので必死。俳優が仕事であるという実感はなかった。

「デビュー3年後ぐらいからかな。それが“仕事になっている”というのは、それによってちゃんと日常を生きてるってことですよね。俳優をやって生活し、母親に少し楽をさせてやれるようになったのが、そのころ」

余計なことを考えないままなんとか仕事に食らいつき、やがて仕事であることを実感し…。渡部篤郎は、26歳のとき、伊丹十三監督と出会う。大江健三郎の長男で音楽家の大江光をモデルにした『静かな生活』(95年)で。

「この作品で、お芝居はもちろんですけど、伊丹監督はいろんな話をしてくれました。当時伊丹監督は2枚ドアの古いベントレーに乗ってたんです。それが“もうちょっとしたらミニクーパーに乗りたいんだよね”って言うんですよ。そういう話、大好きで(笑)。“おじいさんがミニクーパー乗ってたらカッコいいよね”。はー、そういうことかって。お芝居って、台本いただいて現場に行って、自分の思うことをやって、監督に“OK”とか“ダメ”とか言われて終わります。そういうんじゃなくて、人としての作られ方を知ったっていうかな…大人たちと出会えた作品だったんです。僕らの作業は、いかに人と出会い、いろんなところに行き、どんなことができるか」

伊丹十三は言ったという。チャンスがあれば、海外に行きなさいと。

「“いろんな文化を見てきなさい。美術館はもちろん、町の人たちの生活も。そういうことがすべて俳優として、勉強になりますから”って」

実感できた“仕事”が、より充実したものになりつつあったとき。俳優・渡部篤郎の最初のターニングポイント。

1968年、東京都生まれ。91年、五木寛之原作のドラマ『青春の門』で主演デビュー。95年には『静かな生活』で日本アカデミー賞新人賞と優秀主演男優賞をダブル受賞。96年の『スワロウテイル』では、全編英語のセリフで殺し屋を、翌年のドラマ『ストーカー 逃げきれぬ愛』では高岡早紀につきまとう男を好演した。現在、ドラマ『まっすぐな男』(CX)出演中。公開待機作には『誰かが私にキスをした』『てぃだかんかん』などがある。初監督作『コトバのない冬』は、08年に東京国際映画祭でお披露目。第46回台北金馬映画祭、第33回香港国際映画祭、第11回バルセロナアジア映画祭などで、すでに好評を博している。

■編集後記

高校時代のエキストラはアルバイトの一環。俳優を目指していたわけではなかった。21歳での主演デビューは「すごくお恥ずかしい話ですが、たまたまです。そろそろ就職しないとと思っていたときにオーディションに合格して…」。1800人から選ばれた。「受かってすぐ五木寛之先生とプロデューサーと話をして、“これは大変なことだ”って思ったんです」。そして次々と仕事が決まり始めた。「余計なことを考えず、1本ずつ取り組めたんです」

武田篤典(steam)=文
textATSUNORITAKEDA
稲田平=写真
photographyPEYINADA
TOYO(bello)=ヘア&メイク
hair&make-upTOYO
中村みのり=スタイリング
stylingMINORINAKAMURA

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