「今が一番いい」

ASKA

2010.03.04 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
歴史の延長線上ではなく、「いまの自分がやるなら」

CHAGE and ASKAとして32年、ソロとしても23年のキャリアがある。綺羅、星のごとき曲たちがある。だがASKAは、それらを吟味しなかった。

「CHAGE and ASKAの楽曲は最終的には2人で作り上げてきたものだから。それを1人でやるのは、どうしても、応援してくれた方々への背信行為に思えたんです。それを自分がどう納得して世の中に発信できるのか、大義名分で終わらずに、きちんとした意識が確立できるのか…ずっとずっと考えました」

CHAGE and ASKAは、昨年より無期限の活動休止に入っている。そのこと自体が答えになった。

「ヤツと2人、すごく近いながらも気遣いを持ってやってきて。2人だからできたことはいっぱいあった。でも、ヤツもそうでしょうけど、2人だったからできなかったこともあったと思うんです。今の僕は“無期限で1人でやる”って言ってるわけで、そんな最中に、まだ“2人だったら”みたいなこと考えてるのか”と」

2人の歴史を覆すのではなく、“2010年の今、ASKAが歌うとどうなるのか”。そうして取り組んだ結果、そこに“並んだ”のが12曲だった。

「聴かせたいのは、自分の楽曲であり歌である…一度出した楽曲のイメージを壊さないまま新しくして“なんだかんだ言ってもよかったじゃん”っていうところに必ず行く。こだわりました」

そんななかで、51歳(レコーディング当時)のASKAの歌は余裕綽々。時に年輪と渋みを感じさせるのだ。

「うれしいです(笑)。でないと出す意味はないですから。“成長”というのは気が引けるけど、自分のスタイルが少しずつできあがってきているのかな」

最初は模倣から始まっていい。歌い方をまね、似た曲を作る。自身も、高校3年生のときの“(井上)陽水さんの曲を歌いたい、陽水さんみたいな曲を書きたい”から始まった。そこから自分がより歌いやすく気持ちいいメロディーやキーが加わっていく。滑舌に合った言葉を選んで詞を書く。

「それがその人のオリジナリティになるんだと思う。これだけ音楽があったら誰かに似ますよ。でもいつかそこから“自分”が表に出るようになってくる。自分のやりやすい形が、“自分らしさ”としてできあがってくるんだと思う」

どんな仕事に置き換えても、おおむねうまくはまる。そんな先輩の発言。

やりたいこととやるべきこと。人は成長し続ける

音楽の力、という話になる。「LOVE SONG」という曲は、文字通り男女のラブソングだったが、新しく作られたPVでは、人と人とがつながって壁を打ち破るシークエンスが描かれていた。

「多くの人たちに一言一言を浸透させる力は、政治より強いと思います。わずか3分で何万人も集まった会場が一体化することがあるんですから。みんな純粋に“たかが自分だ”と思っているんだけど、でもそんな小さな存在が世の中のために少しでも役に立つことができるかもしれない。それは幸せじゃないか、音楽やってる意味があるじゃないかって思うんです」

15年ほど前、ロンドンでマイケル・ジャクソンの「アース・ソング」のPVを観たという。破壊される地球に、マイケルが嘆き続ける映像だ。

「涙が出てしょうがなかった。ビジネス先行の人だと思っていたのに、彼はどこかでつきぬけた大きな“LOVE”とアクセスできたんでしょうね。それでCHAGEとかスタッフに話しましたよ。“俺たち、音楽やれて幸せだよな”って。多くの人の前で歌って、“支えられた”って言ってもらえて。でも、社会の中ですごくいろんなことを経験してちゃんと生きてるのは、みんなの方なんですよ。“俺らは歌を歌ってるだけだよな”って。歌うことへのプライドはもちろんあります。でもそれとは別の“音楽に感謝”という思いが…」

照れ笑い。取材でもなければ、あえて口にする言葉ではないから。そして、実はマイケルとは、浅からぬ縁がある。「勝手に思ってるだけですけどね(笑)。87年、後楽園球場で彼のコンサートを最前列で観たんです。打ちのめされました。エンターテインメントの捉え方が変わった。自分たちは自分たちなりに、完成されたものを提示しなくちゃならない…って思っちゃったんです。で、またメンバーとスタッフに話しました。“コンサートの初日と最終日は、同じコンサートじゃないとダメなんだ”って。徐々に作り上げて最後に完成させるのではなく、初日からすでに完成していないとって」

そして臨んだのが、デビュー10周年に行った東京厚生年金会館10DAYS。

「“何かが始まる”っていう予感がものすごく込められたコンサートでした。でもそれも忘れちゃうんです。時代が“完成されたエンターテインメント”を求めなくなり、ミュージシャンスタイルのザックリしたライヴに反応するようになってくると、自分たちのやれる範囲内でそっちに移行していく。僕たちはそこに敏感でないといけない」

高3で陽水にハマッたのは、実は、子どものころからアイデンティティであった剣道をやめたから。心に空いた穴を音楽が埋めたのだ。そのわずか4年後には、コンテストを勝ち抜いて、デビューを果たしている。それほど音楽に溺れつつ、一方ではコンテスト対策として当時ウケのよかったフォークを選んだ。情熱的である。一方でつねに状況を俯瞰する冷静さも。

「やりたいことがあり、こうしたらウケるだろう、ウケなくてはと思う自分がいて。剣道やってたときからそうです。“今、籠手を打って、また同じ技でいくと芸がないだろう。だから籠手と見せかけて違うところを狙う…と思った瞬間、相手はそれを読むだろう。ならば同じ技でいくか!”みたいな(笑)。それが生きやすいですね。いいこともあるし、外れることもありますけど。最近すごく思うのは、子どものときの経験と、大人になったときの経験は本質的に同じなんじゃないかっていうこと。見える“色”が違うだけで、そこで胸を痛めたり喜んだりするのは、変わらないかもしれないですね」

26歳のころの話。当時レコード会社間には紳士協定があり、移籍に際しては6カ月のブランクを空けることになっていた。A社からB社にいきなり移ることはできなかったのだ。移籍を考え、新譜を作ることもままならず、折しもコンサートの動員が減り…。

「ムチャクチャなんですけど“こういうときだからこそ武道館!”って(笑)。2000人の会場を2日間やるくらいのレベルの僕らがいきなり武道館。あり得なかったんですが、一致団結してやり遂げました。そういう状況のときに立ち上がって、みんな付いてきてくれた。それがすごい勇気になった」

厚生年金会館、ステージ上でのMCでもこう語っていた。

「こんなときだからこそライヴだ!」

最近ではオーケストラやビックバンド編成でのコンサートも実現。これまでにない興奮を得ることができたのだという。

「僕は、“今が一番いい”って思って生きてきました。もちろんイヤなことはたくさんあるけど、過ぎると終わる。問題は自分の意識だけ。後で振り返ると全然オーケーじゃなかったりするんですけどね。たとえば人間40歳にもなれば、ある程度いろんなことがわかってると思うでしょ。本人もそのつもりでいるんですけど、今振り返ると、“青かったな”と思うんですよ。でもそのときはそのときで“今こそオーケー”と思ってる。なんかそんなふうな年のとり方をしていければいいなあと思うんですよね」

ターニングポイントとなった10DAYSを経験したハコの、クローズに際して10DAYS。象徴的な終わり方である。だが、彼のライブのエンディングは、そんなムードを打破するものだった。未完成で「無題」のブルージーなロック。新曲だ。歌詞がないのでハミング。2000人がゆっくり身体を揺らし、声をあげる。チューブトップの女性が舞台に向かって、何かを受け取るように両手を掲げる。

ASKAは歩き続けているのだ。

1958年、福岡県生まれ。79年「ひとり咲き」でCHAGE and ASKAとしてデビュー。翌年リリースの「万里の河」がスマッシュヒット。初期から精力的にツアーを重ね、実力派として名を成す。「YAH YAH YAH」などヒット曲多数。「SAY YES」は約300万枚のセールスを記録した。韓国、台湾、シンガポールなどアジアでも人気は高い。光GENJIに提供した「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」などでソングライターとしても活躍、87年にはソロデビュー。これまで7枚のアルバムをリリース。09年、CHAGE and ASKAとしては活動を無期限休止。ソロとして精力的に動き続ける。

■編集後記

20代を振り返って思う。「いつも一番になれなかった。だから『一番売れた年』を作ろうぜと。それでがんばったら、アジアで2位になった。そのときの1位はマイケル・ジャクソン(笑)。でも思いました、“自分の周りで起こってることが、世界なんだ”って。大小は単なる物質的なことであって、身の回りが世界の縮図になってるんだと。すごいリリースを達成したからといって、そんなことはささやかな現象だったんです。結局、自分がどう生きるか」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト