「さらに自分が多面体になれる気がしてて」

西川貴教

2010.03.18 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 宮城…
なぜミュージカルなのか。実際と、理想の実現

「実は作品選びから参加していて、プロデュースを兼ねる形でやってるんです。僕は、自分の音楽に関しては、曲や演出、舞台装置から衣装までひとりで手がけています。ただミュージカルの世界は1年生からのスタート。今まで自分が磨いてこなかった…というか、磨く必要がなかった部分なんですよね。ミュージカルに限ったことではなくて、ドラマとか映画とか、自分の素養にあるかどうかはわかりませんが、そういう要素を磨くことで、さらに自分が多面体になれる気がしていて。“ミュージシャン”という一面ではなく、最終的には“表現者”を目指したいのかな」

初めてミュージカルに挑戦したのは99年の『リトルショップ・オブ・ホラーズ』。このときは「周りの声にほだされて」話を受けたらしい。

「もちろん一所懸命取り組みました。ただ専門的な勉強もしてなかったですし、今後続けていくべきなのかを真剣に考えたとき“自分はミュージシャンなので、その道を突き詰めていくのが本分だろう”と。それ以降映画もドラマも一切お断りしてきたんです」

そして07年にミュージカル『ハウ・トゥー・サクシード』に主演。あまりにも長い間口説いてくれる人がいたから。またもや「ほだされた」のである。だが視野はとても広い。ミュージシャンが、フラッと舞台の世界にやってきたとき、どう見られるか意識している。

「ミュージカルをずっとやり続けてらっしゃる俳優の方々や、あと批評家の方々にしてみれば、僕らみたいなミュージシャンを自分たちのカテゴリーに入れたくない、というか。そもそも“評価する/しない”以前にひかれることが多いと思うんですけど、『ハウ・トゥー・サクシード』では“意外にちゃんとやってんじゃん”“まあいいんじゃないの”というような評価をいただけました(笑)」

やってみて変わった。好評を得たという理由だけではない。

「自分の中で、意固地になっていた部分がやわらかくなったんですね。ちょうどタイミング的にも、ソロ活動が10周年を迎えていて。ひとつ大きな区切りが付いた気がしていました」

そして次の作品─つまり、今回の『ザ・ミュージックマン』に思いを馳せることもできた。ブロードウェイで活躍している日本人プロデューサーに相談し、ミュージカル・コメディという方向性も明らかになった。

「“日本って舞台芸術に対するリテラシーが低い。ミュージカルともなると、一層根づいていない。やる俳優さんも限られていて、“王子様”をできる俳優はいっぱいいるけど、コメディができる俳優ってなかなかいないんだよ”って言われて…」

表現者として多面体を目指す。そんな美しいモチベーションと並行して、日本にコメディができるミュージカル俳優がいないからそこを目指す。こちらはビジネス感覚。理想だけでなく、きちんと地に足を着けてものごとを考える。これが西川貴教の“両輪”だ。

自分が自分であるために。やりたいこと、やるべきこと

前作終了後に取り組み始め、新しいミュージカルが世に出るのが3年後の今年。それは超多忙ゆえ。超多忙なのは、“両輪”がゴリゴリ稼働しているがゆえ。「とてもいい状況」と語る。

「僕は10年以上前から自分のマネジメントを自分でやっています。インタビューの、たとえば句読点の置き方からプロジェクト全体までを見ます。当然、すべてひとりでできるわけではないので、何人ものスタッフと仕事をするんですが、末端まで意思を摩耗することなく伝達したい。それには自分と同じ感覚を持つ人間を育てる必要がある…」

ここに至るのが大変だった。

25歳でT.M.Revolutionとしてデビューした。最初から、自分のことは自分でやりたかったのだが…。

「当時は周囲の方が自分より経験値が高かった。反発もしつつ、認めるところは認めていました。でも早い段階で、意見している人たちが経験していないことを自分は経験してしまった。要はTMRというものが成長して、僕自身が見る景色が変わってしまったんです。そこから先は自分でやるしかない、と」

セルフマネジメントすることがきちんと機能し始めたのは30歳ごろ。T.M.R.というプロジェクトが成功することで、増えるストレスもあったのだ。

「自分の“責任”としてやり続けなければいけない部分はきちんとやれていました。T.M.R.を突き詰めてやってきたわけです。そのなかで自分の中にあるものを全部解決させなければならないと思っていたんですね。でも、T.M.R.ではできない要素がある。どれだけアイデアがあっても、プロジェクトとしては成立しないので排除せざるを得ない。それがだんだんストレスになっていったわけです」

そこで単純にやりたかったことがバンド。abingdon boys schoolであった。

「最初に音楽に触れた“バンド”で、何かひとつ形にしたかった。そのうえで“ソロ”をやるはずだったんですけど、順序が逆になっていました。だから、ずっと何か置き忘れてきたものがあったような気がしていて。“それを今からでも取りにいってやろうかな”と」

中学生が仲間たちと始めるようなノリで結成。その後、ミュージカルにバンドなど、活動の幅を広げていくのである。

「映画監督とか演出家の方とか、タイミングよくいろんな出会いもあって、気づいたんです。“あ、要はオレが人の倍動けばすむ話だ”って(笑)。で、いろんなものに決着がつき始めました」

今、西川貴教はメチャクチャに忙しい。それもそのはず。T.M.Revolutionが普通以上に稼働している。バンドもミュージカルもある。昨年から、郷里の滋賀県とコラボレートして始めた『イナズマロックフェス』の運営もある。さらにはインディーズレーベルの運営も。あと、経営者としての顔ももちろん。

「僕、ヒマなの苦手なんですよね。スケジュールがいっぱいになって安心するタイプなんで。あとは、各プロジェクトにかかわる人が違うから。新しい刺激ももらうし、別のプロジェクトでは思いもよらなかった発想もできます。みんな、何らかの期待を持って僕に関わってくれるわけですから、“それに応えたい”とか“ハッピーになってほしい”と思う。そのときどきで悩みも苦しみもあるけど、節目を迎えたときに、また次に一緒に行きたいっていう気持ちになれるものを出せるかどうか。そういうふうに自分を追い込むのも、たぶん好きなんでしょうね」

さらに3年先までやることは、ある。すべてを知るところには功罪がある。

「やりたいことに対して予算が付くのが、本来のクリエーション。でも今や最初から“いくらで”って言われます。その範囲内で発想するしかない。アーティストとすれば“ふざけんなよ!”なんですけど、その辺の事情がわかってるから、思い通りやって赤字は出せない。そこでリクープポイントをどこに設けるかで勝敗が分かれるんです」

きわめて現実的な取り組み方。とはいえ、あきらめてるのではない。

「僕は“いつかの勝ち”を取りに行くべく、粛々と今やるべきことをやっていくだけなんです。もちろん絶対に勝つ勝負しかしないんじゃない。勇気やリスクを払ってベットするときもある。どこかでひっくり返すために、今何をしなきゃいけないかを逆算して考える。そんな自分の足元を支えてくれる人たちをきちんと作り出していく。僕の場合は、つまずいたりとかしくじったり裏切られたり、悔しい思いをして手に入れてきたものが多いので、これからも不器用で回りくどくて、人から見たらアホちゃうかなと思うぐらい働いていくしかない。それでようやくみなさんとトントンになれるんとちゃうかな…そう思ってるんです」

1970年、滋賀県生まれ。96年、ソロプロジェクトT.M.Revolutionとしての活動を開始。「HIGH PRESSURE」「WHITE BREATH」などのヒット曲を連発。圧倒的歌唱力を発揮、アーティストとしてのみならず認知を得る。05年にはabingdon boys schoolを結成。2枚のアルバムをリリース、ヨーロッパでも人気爆発。今月、昨年の欧州ツアーのDVDがリリースされたばかり。またミュージカルにもコンスタントにチャレンジ。3年ぶりの主演作『ザ・ミュージックマン』が控える。詳細はhttp://the-musicman.jp/で

■編集後記

「20」「24」「30」歳が区切りと考えていた。「バンドでのデビューがハタチ。手を挙げてくれた人たちの中から、自分がハタチのうちにデビューできるチョイスをしました。ただ自分の理想とする音楽とか環境作りに周りが追いつかなくて、バンドを抜けます。その後、曲だけ作ってるような期間が2年ぐらいあって、たまたまデモテープがレコード会社に人づてにたどりついて。ひとりで歌ってみないかっていう話になるのが24歳。自分でマネジメントをし始めるのが30歳…」。40歳は“未知”らしい。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
宮城 浩(SQUASH)=ヘア&メイク
hair & make up HIROSHI MIYAGI
BUN=スタイリング
styling BUN

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