「日の当たる場所へ行こう」

川崎麻世

2010.04.01 THU

ロングインタビュー


兵藤育子=文 text IKUKO HYODO 稲田 平=写真 photography PEY INADA
吉野家の買い出しにファンがぞろぞろ着いてきた

もともとは歌手出身。それも正統派のアイドル歌手だ。

「所属していたジャニーズ事務所は、基本的に歌をやりながら、芝居の勉強もさせてもらえたんです。世界に通用するミュージカルスターになりたいという夢は、ずっと持っていました」

アイドル時代も、ミュージカルの経験はあった。しかしそれは、コンサートと2部構成の完全にファンに向けたもの。セリフを間違えても、舞台上で転んでも笑って許してもらえた。何をしても温かく見守ってくれるこの世界の外に出たら、自分の力は通用するのか。20歳の青年は、大海に漕ぎ出す決意をする。それが劇団四季の『CATS』だった。

「厳しいトレーニングで、毎日体がガクガクになっていました。だけど、『こいつはアイドルだから』とだけは言われたくなかった」

13歳から芸能界で生きてきて、初めて経験したこともあった。

「劇団のみなさんの衣装を集めて洗濯をしたり、買い出しで初めて吉野家にも行きました。楽屋を回って、大盛りだとか卵を入れるだとか、注文をメモして買いに行くんです。外に出ると、出待ちをしているファンの人たちに『麻世、どこ行くの?』と聞かれて、『吉野家』って答える。『えー!!』なんて言いながら、お店までぞろぞろ着いてきたりしてね。すべてが新鮮で楽しかった」

世界に通用するミュージカルスターになりたかった彼が、ニューヨークやロンドンに目を向けるのに、大して時間はかからなかった。武者修行に出て、オーディションを受けまくっていたころ、オフ・ブロードウェイでは『ANGRY HOUSEWIVES』というミュージカルが誕生していた。2年後、日本に上陸して話題となる『イカれた主婦』のオリジナル版だった。

「一体なんだったんでしょうね、あのハングリー精神は。絶対に外国の舞台に出てやるぞ! と信じて疑わなかった。恐れを知らない年齢でした」

とはいえ、ダンスを習っていたわけではないし、クラシックの声楽指導を受けてきたわけでもない。役者に転身したはいいが、基礎のできていない役者に過ぎなかった。しかし、ライブで培った度胸だけはあった。

「人と違うことをするということに固執していました。たとえば歌のオーディションで突然踊ってみせたりして、審査員になんとか印象を残そうとしたんです。向こうのオーディションは、みんな、野獣のような勢いで食らいついてきますから。会場内はディズニーランドみたいなんです。同じキャラクターは、ひとりとしていない」

念願叶って、1988年にミュージカル『スターライト・エクスプレス』で、日本人として唯一出演。順風満帆、前途洋々の役者人生だった。

しかしある日突然、人生が舞台のように暗転する。子どもができたのだ。それも未婚のまま。26歳のことだった。

「おめでとうございます」この言葉を待っていた

「迷惑がかかると思い、事務所を辞めてアメリカで出産することにしました。大きくなっていくお腹を横で見ながら、この先どうやって生きていこうか、ずっと不安でしかたがなかった」

突然の雲隠れを、マスコミは放っておくわけがなかった。スポーツ新聞や週刊誌には、「川崎麻世逃亡」の文字が躍る。当の本人は海の向こうで、日に日に減っていく貯金と、増幅していく不安のなか、途方に暮れていた。

「だけど、生まれたての娘がおれの人差し指を引っ張ったとき、変わりましたね、人生が。そっか、おれはもうひとりじゃないんだ。家族になるこいつらのためにも、頑張らなきゃいけないんだ。そう思って、日本に戻ることを決意しました」

しかし“元アイドルで未婚の父”というレッテルは消えていない。心はまだ、揺れていた。

「帰国する飛行機の中で、このままマスコミにつぶされるのかな、などと考えていました。彼らが空港で待ち構えていることをすでに知っていたので、『おれが先に出るから』とカイヤに言いました。『おまえは赤ちゃんと一緒に、時間差で出てきてくれ』と」

そのときふと、ある言葉が浮かんだ。「裏口から入らずに、正面玄関から入ってこい」。小さいころからいつも聞かされていた、祖父の言葉だった。

「飛行機から降りる瞬間、子どもを自分の腕に抱きました。覚悟を決めて表に出ると、真っ先に『おめでとうございます!』と言われて、ああ、これだ、と思った。この言葉を待っていたんだ。日の当たる場所に、正々堂々と出てくることができたんです」

明治生まれの薩摩男児だった祖父は、父親のいない彼にとって、育ての親と呼べる存在だ。

「ものすごく厳しいところがある反面、妻や家族に対する愛情や責任感も並大抵ではない。あんなに慈愛の精神に満ちた人は、見たことがないです」

実業家だった祖父は、孤児院から子どもを引き取り、寮に住ませて仕事を与え、彼らが結婚するまで面倒を見た。祖父は、みんなにとっての“お父さん”だった。

「そのころ、家に風呂がなかったので、おじいちゃんと一緒に銭湯へよく行っていました。おれは洗面器にシャンプーとリンスと石けんを入れて、タオルとバスタオルを風呂敷で一緒に包んで持って行くんですけど、おじいちゃんは小さいタオルを首にかけて、片手に石けんを持っているだけ。シャンプーを使っていると、『あほかおまえ、そんなの女が使うもんじゃ!』と一喝されてしまう。そのうち、冬でもバスタオルを持って行けなくなりました」

亡くなって10年が経つ今もなお、何をするにも、祖父のことが頭に浮かぶ。

「いまだに死んでしまった気がしなくて、いつも会話をしているんです。それだけ祖父から学んだことが多いんでしょうね」

一見日本人離れしているけれども、根っこはどっぷり日本男児。

「だけどおじいちゃんのように、子どもに対してなかなか厳しくはなれません。だって“イカれた主婦”がいますから(笑)」

これも日本男児的愛情表現、ということにしておこう。

1963年京都生まれ。大阪育ち。13歳でデビュー。NHKの人気歌番組『レッツゴー・ヤング』で、「サンデーズ」のメンバーに起用され、4年にわたって在籍。83年、劇団四季の『CATS』出演以後、舞台役者として活躍。87年にはミュージカル『スターライト・エクスプレス』で「新幹線・ハシモト役」として海外デビューを果たす。国内でも『マイ・フェア・レディ』『レ・ミゼラブル』『アニー』『回転木馬』『親鸞 わが心のアジャセ』など多数の舞台に出演。日課となっている書をブログで公開中。http://ameblo.jp/kawasakimayo/ 『イカれた主婦』は5月15日?23日にル テアトル銀座で公演後、地方公演も予定。

■編集後記

アメリカ行きを決めたとき、10代のころからお世話になっていた女優の大空真弓さんに不安を吐露していた。「『何かあるといけないから、持って行きなさい』と渡された風呂敷包みには、200万円が入っていた。帰国後、仕事が順調にいくようになって、お金をお返しに行ったら『貸したなんてひと言も言ってないわよ』『いいえ、お借りしてたのです』。押し問答の末、『そこまで言うなら、預かるわ』と」。慈愛に満ちた精神に感服。祖父とともに人生の師匠と呼べる大切な人。

兵藤育子=文
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稲田 平=写真
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