「あ、あそこ、人、いねえじゃん!」

石橋貴明

2010.04.15 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 堀 清英=写真 photography KIYOHIDE HORI …
芸というより、暴れること。今も昔も“部室笑い”

「もともととんねるずがそうなんですよね。ずっと昔から言ってますけど、僕らのやってることは、自分たちの“部室笑い”。そのときのノリでどこまでやれんのかっていうだけなんですよね。考えてみると、もう(木梨)憲武とこういう形でやって30年…いや、美空ひばりさんの助言に従って“芸能生活は25年”って言ってるんですけど」

帝京高校卒業後、ホテルに就職しながらも、同級生だった木梨憲武と2人で『お笑いスター誕生』を4週勝ち抜く。仕事を辞めてとんねるずを結成したのが、80年のこと。父上と「4年だけ、大学に行ったつもりで」という約束で芸能界入りを果たす。

美空ひばりの助言とは「芸能生活は、売れた年から数えなさい」というもの。

「この間『笑っていいとも!』で、85年4月1日の新聞のラテ欄を見せて“どの番組の視聴率がよかったか”って企画をやってたんですね。この日って、フジテレビで『夕焼けニャンニャン』がスタートしてるんです。新番組。片岡鶴太郎さん、三宅裕司さん、とんねるずって書いてあって。その左下の方には7時半から9時『ザ・トップテン春のスペシャル』。そこにも“出演:とんねるず”って書いてありました。あれからもう25年たってんだなあ、と」

ブレイクしたのは24歳になる年。1年余分にかかったことになる。

「大学留年するヤツもいるし、一浪して入るヤツもいるわけだし。そのとき親父はもう亡くなってたんですけど、あと1年だけやらせてくんないかなって。ちょうど84年ごろ『オールナイトフジ』に引っかかって、そこから85年の『夕焼けニャンニャン』に入っていって。84年の12月にカメラ倒しちゃったり、85年には『ザ・ベストテン』の静岡の中継で客に向かって『てめえら最低だ!』ってやったり」

翌年には武道館でのコンサートも実現する。…というブレイクへの流れを見ても、それまでの芸人とは違う。

「芸がないわけですよ、僕らは単純に。“暴れること=とんねるずの芸”だみたいになって。途中からはテレビ局の人が“セットとか壊しちゃってください”って言うんだもん(笑)。今も鶴瓶師匠と会うとその話になるんですけど、当時鶴瓶師匠がテレビ朝日でやっていた音楽番組に出たんです。エンディングにゲームがあって、歌手全員が挑戦する、と。そのときはやかんが山積みになってて、“崩さないように何個か取れたら、これをプレゼントしま~す”みたいな。“じゃあまずとんねるずから~”。いきなりつまずいたふりして、やかんを全部倒したの。そしたら鶴瓶さんがそれをものすごく喜んで“お前らはめちゃくちゃだな”って(笑)。憲武なんか『夜のヒットスタジオ』の“今日の風物~”みたいなコーナーで、『今日から洋蘭の展覧会を開催してます。こちらの蘭、何十万円もするんですよ~』って言ってんのを、花びらむしって食っちゃったり(笑)」

“そんなことばっかですよ、とんねるずは”と、静かに笑う。ムチャクチャ。でもとんねるずは時代を作り、つぶれることなく、新たなことをやらかそうとしている。なぜなのだろうか。

誰もやらないことを見つけ、面白がるということ

「まあすごくいい時代にいい人と会えたってことが大きいですね。それと、においをかぎ分ける嗅覚みたいなものは持っていた気がします。あとはやっぱ憲武との相性みたいなことかなあ。僕らが2人で世に出たということは、2人じゃなきゃダメだったからだと思うんです。1人ずつで出てくる力はお互いになかった。2人が出会って、2人でやってきたことが一番の秘訣だったんじゃないかなと思う」

一般社会には“相方”はいない。だが、「あるタイミングで出会う誰かによって、人生が大きく変わるってことはあるよね」と、タカさんは言う。

実はDJ OZMAがバンドを結成したのは『とんねるずのみなさんのおかげです』のコントに登場した不良バンド「矢島工務店」がきっかけだった。

「誰かのやる気みたいなものを、いちバラエティ番組が引き出すことができたんだって…そういうのを聞くと非常にうれしいですよね。でもたいていが失敗しちゃうんですけどね。オレたちは多くの若者に勘違いさせちゃいましたね。“すぐとんねるずぐらいにはなれる”と思って、お笑いの世界に入ってきたのに、意外となれなくて」

タカさん、「オレたちは“つれえなあ”とか思うこともあんまりなく、ヒュヒュッと来たけど」と前置きして、言う。

「夢見てるうちは、殴られても蹴られても痛さを感じないからね。だんだん歳を重ねて、夢より現実が強くなってきたら、どんどん痛さがわかってくる。僕らの仕事だけじゃないと思うけど、それに耐えて続けていかないと。夢だけじゃなかなかいけないからね。オレたちはそれでまた今もこうやって悪ふざけしてるわけですけど(笑)」

何度か“におい”“嗅覚”という表現が、話の中に出てきた。

「なんでしょうね、これは。空き地みたいなのを見つけるのがうまいのかな。“あ、あそこ、人、いねえじゃん”みたいな。“このくらいのスペースだったら、こんな遊びできるよね”って。空き地を見つける嗅覚のようなものは、ずっと気にしてるかな。TVだってひとつ当たって、それと同じ方にみんな向かってっちゃうと面白くないでしょ」

自分たちが楽しめるのと「何か面白そうなことやってんな」って思った誰かが観に来ることの両方とも。

「いまは矢島美容室が、抜群の遊び場ですね。…この間、たまたまミズノの坪田(信義)さんっていうグローブを作る名人の本が送られてきたんですけど、15歳から60年作ってるんだって。アメリカのキャンプに行って、そう言うと“crazy!”って言われたそうですよ(笑)。でも今まだ仕事してて“へー、こんなことがあるんだ”って思うんだって。ね、たかだか30年で物は言えないよねえ。オレもあと30年がんばったら、言えるかもしれないけど」

1961年、東京生まれ。帝京高校の同級生・木梨憲武ととんねるずを結成。80年NTV『お笑いスター誕生』で10週勝ち抜き。CX『オールナイトフジ』『夕焼けニャンニャン』などでブレイク。88年から始まった『とんねるずのみなさんのおかげです』は『~みなさんのおかげでした』と名を変え、今も新鮮な笑いを提供。紅白出場歌手であり、日本歌謡大賞受賞アーティストであり、ハリウッド俳優でもある。一世を風靡したダンスユニット「野猿」に続き、“みなさん”から始まった「矢島美容室」がまたもや人気爆発。まさかのキャストでまさかの映画化、詳細は www.yazima.jp/にて

■編集後記

「もう27のときには“完璧な状態”でしたね。自分たちの番組を持ち、それが視聴率20%を超え…“これはもう行ったぞ、マジ”っていう」。それが88年、『とんねるずのみなさんのおかげです』が始まった年なのだ。「でも、当時の自分たちを観たら、ホントなんにもしてないと思うんですよね。ワーとかギャーとか言ってるだけで(笑)。今の若手の人たちの方がはるかに丁寧にネタ作ってやってますよ。オレたちの当時の自信はなんだったのかなあ」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
堀 清英=写真
photography KIYOHIDE HORI
尚司芳和(HAIR DIMENSION)=ヘア&メイク
hair & make-up YOSHIHIRO SHOJI
倉科裕子=スタイリング
styling YUKO KURASHINA

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