オトコを魅せる夏イベ攻略塾2010

第4回 線香花火を小粋に語る男になる!

2010.06.24 THU

オトコを魅せる夏イベ攻略塾2010


関東ではあまり見かけることはないが、関西ではこちらを「線香花火」と呼ぶことも多いという「スポ手牡丹」(写真手前。奥がおなじみの線香花火)。「スポ」とは、ワラの別称だったそうだ

線香花火と「かぎや」&「たまや」の深い関係とは!?



夏の夜を彩る風物詩として欠かせない存在といえば、やはり花火。今年も7月から8月にかけて、各地で趣向を凝らした花火大会が予定されている。そんな大規模な打ち上げ花火に負けず楽しみなのが、集まった仲間たちと輪になって観賞する玩具花火(手持ち花火)。どちらも甲乙つけがたい魅力をもっていることは言うまでもないのだが…さて。打ち上げ花火のような大規模な花火と、手に持って楽しめる玩具花火、日本での歴史が古いのはどちらかおわかりだろうか?

正解は前者。文献によると、日本で最初に花火に接した人物は徳川家康。慶長18年(1613年)に明国の商人らが献上した、筒から火花が噴き出すタイプの花火を見物したのだという。以降、日本でも花火をつくる技術者が登場。当初は上級武士の楽しみだったが、すぐに庶民向けの花火を扱う業者もあらわれ、江戸時代には数回にわたり花火禁止令が出るほどのブームを迎えることになる。

現在のような玩具花火が、いつごろから広まったのかについて、はっきりした資料は残されていないのだが…。庶民の間で爆発的に玩具花火が普及するきっかけを作ったのは、鍵屋弥兵衛という花火師。あの、「かぎやー!」という掛け声で今も名を残す人物である。万治2年(1659年)に大和の国から江戸に出て売り出した、子どもや女性でも扱える玩具花火が大ヒット。これは、アシの茎の先に火薬を入れる、またはワラの先端に火薬を付けたもので、手持ちで楽しむほか、線香のように、火鉢に立てて火をつけ観賞したという。そう、今も残る線香花火が、玩具花火の元祖と呼べる存在なのである。ちなみに、この線香花火の原型となる玩具花火は、今も「スポ手牡丹」という名前で、関西地方ではメジャーな存在だという。 一方、現在誰もがイメージする、紙製の線香花火を考案したと考えられているのが、鍵屋から独立し、後にライバル的存在となる玉屋市兵衛。言うまでもなく「たまやー!」の玉屋である。初代鍵屋が線香花火の原型をヒットさせてから百数十年後、17世紀初頭のことだった。

それから数世紀。現在では、派手な玩具花火たちの陰でひっそりと咲く存在となった感のある線香花火だが、オトナになればなるほど、その魅力を再確認してしまうのはご存じのとおり。というわけで次回は、線香花火を上手に楽しむためのテクをご紹介しますよ! ご感想や夏のレジャーにまつわる小ネタなど、下のボタンから投稿ください。

オトコを魅せる夏イベ攻略塾2010の記事一覧はこちら

関連キーワード

注目記事ピックアップ

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト