「徹底的に叩き込み、そこから解放する」

遠藤憲一

2010.08.05 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
シーンでいかに行ききるか。俳優の喜びは、ひととき

この文の冒頭のモノローグは、今回『きな子』で「よしっ!」と思えた瞬間。

「俺が自分の仕事で好きなのは“用意スタート”から“カット”まで。その場面で自分が“行ききれる”ことを目指してます。自分だけじゃなく、共演者とのかかわりの中で文字やイメージを超えた何かが膨らんでいく。カットがかかって“いやあ、いい場面になったなあ”っていう…そこに身近な喜びがあります。それが積み上がって、作品としてすばらしいものが生まれたときは、もっとすばらしい喜びですけどね。まあそういうのは何年かに1本かな」

そのために遠藤憲一は準備をする。

「反復作業を毎日やるんですよ。そのときもらっている台本を全部、毎日毎日読んでます。プロ野球選手が毎日素振りを繰り返すみたいなもんですよ。去年連ドラが2本重なったときはいっぺんに7、8冊持ってましたね。それを順繰りに毎日読んで頭に叩き込んで」

これでもかと反復し、キャラクターをなんとなく作っておく。そして現場では一切台本を持たない。

「現場では“壊す”作業なんですよ。何が起こるかわからないから。共演者もいるし、監督もいる。かかわる人とか状況のなかで、思いついたことをやってみる。そんなときに覚えてるか覚えてないかっていう状態だったら表現なんてできないんで。徹底的に叩き込んでおいて、そこから自分を解放するのが現場、なんですね」

『きな子』を撮影していた去年の夏にはドラマ『不毛地帯』と『ナイチンゲールの沈黙』が重なっていた。最高の訓練士(にして父親)に加え、手練手管でライバルを蹴落とそうとする超敏腕商社マンと、天才脳外科医を並行して演じていたのだ。

「まあキャラクターは、現場でポンと変わります。その切り替えよりも、大変なのは準備。作品が増えるたび、当然台本も増えていきますから」

来た仕事は、スケジュールが合う限り断らない。“準備”の仕方は、この世界に入ったときから変わらない。

“自然に素っ気なく”“心で”“他人の言うがままに”

高校を中退し、俳優養成所に入った。家でも、バイトの休憩時間や電車の中でも、少し時間があると台本を開いた。

「“最低でも覚えるくらいはしておかないと”って、思ったんでしょうね。ついぞ勉強ではそんな気持ちにはなりませんでした(笑)。それまで別にやりたいこともなく、やってみて、唯一俳優って面白いなって思えたんです」

だがまあうまくはいかない。役者志望の若者はなかなかゴハンを食べられない。生活ぶりはこんな感じだった。

「自主公演をやって前の事務所のマネージャーに声をかけられたのが21歳。ドラマに出て、そこから映像の仕事がちょっとずつ成立するようになるんですけど、そんなに仕事はポンポン来ません。共同便所で4畳半の、家賃3万円ほどのアパートに暮らして、なんとか食える感じでしたね。20代半ば以降ぐらいからは俳優だけでいけるようにバイトはやめましたけど、そのアパートには29歳まで住んでたなあ」

もちろん俳優を生業にしたいとは思っていたが、「やるしかない」と腹を決めたのがこのとき。結婚がきっかけだ。

「女房のお母さんには不安がられますよね。『何年で見切りをつける?』みたいなことを言われるわけです。『3年であきらめて』『やめません』『じゃあ5年では?』『やめません』…というやりとりも含めて、俺はここでなんとかやらねばって思うようになったのかな」

28歳のとき、北野 武の監督デビュー作『その男、凶暴につき』に出演。この映画をたまたま観たアートディレクターの木村俊士が、いきなりカップヌードルのTVCMのナレーターに抜擢するのだ。以降、“声”は遠藤憲一の主要な業務のひとつになる…とともに、20代後半の新婚家庭を支えていく貴重な生業となったのだ。

職業だからお金を稼ぐことは必要。“食う”ために仕事をするのは当たり前のことだ。だが一方で俳優としての理想ももちろんあった。仕事がいっぱい来ていっぱいお金がもらえればそれでいいわけではない。20代は、やはりもがき苦しんでいたのである。

「…とにかく俺すごいぶきっちょで。普通にリラックスして体を動かすことができなくて、最初の劇団の演出家にものすごく注意された。できなかったからなおさら自分の中で“もっと自然に、もっと自然に”って意識してたんですね。それで余計な芝居をそぎ落として、普通のことを普通にやろうって思うようになって…」

京都。時代劇に呼ばれたりするのだ。

「昔の時代劇の表現って“悪役は悪役”でね(笑)。ものすごく誇張した芝居がいっぱいある時代でした。俺はそれを素っ気なくやろうとしてた。素っ気なくしゃべってコワイとか、素っ気なくしゃべって憎々しいとか…頭ではわかってるんだけどなかなかできなくて。20代はそこを探求してましたね。で、時代劇のスタッフにはめちゃくちゃ怒られましたよ“そんな芝居どこで覚えたんや!”“セリフを粒立てえや!”って(笑)。そっちの芝居ができないフリして、少しずつ少しずつ向こうがあきらめながらも認めてくれるギリギリのところを通してやろうとしてました。でも今、素っ気ないのって普通でしょ? それを追求する作業を続けてきたことと、そういう芝居が主流になってきたことで、少し自信がついたかな」

昔のドラマでの遠藤憲一は必要以上にボソボソしゃべっているという。でも、行き着いたのはそこではない。

「素っ気なかろうが誇張されていようがいいかな…って。心さえ嘘つかなければ、コメディでも悲劇でも成立するってわかった。自分の心の中をちゃんと出すことを途切れずにやっていけば、どんな役、どんなキャラクターでも成立していくと思うんです」

そしてこれもゴールなどではない。

「『湯けむりスナイパー』っていうドラマで、新しいやり方を知りました。大根仁さんっていう監督、このドラマを7年ぐらいあたためてて、キャラクターができあがってたんですね。それで俺が思いついたことをやるとほとんどNG(笑)。『もう少し間を持って』とか『トーン落として』って…完全に世界ができてたんです。それで俺、全部任せてみようって思ったんです」

入念な下準備を行い、現場で破壊する─作品ごとの作業を、俳優人生に当てはめているみたいだ。つまり、20代から約30年間行った俳優としての下準備を、他人に委ねる形で壊す。

「そうするとね、自分の知らない自分が出てるんですね。面白いと思った。出会いって大切ですね。脚本、監督、プロデューサー、作品…どんな頻度で奇跡の出会いがあるかはわからないですけどね、結局、自分で想像できる範囲なんて大したことないんですよ」

1961年、品川区生まれ。高校を退学後、劇団フジを経て劇団無名塾に合格。すぐ退塾。22歳のとき、『壬生の恋歌』でドラマデビュー。27歳のとき『メロドラマ』で映画デビュー。28歳のとき、アーノルド・シュワルツェネッガー出演のカップヌードルのTVCMでナレーターデビュー。映画は『月はどっちに出ている』『金融腐食列島 呪縛』『大帝の剣』など多数。Vシネマは『組織暴力』シリーズ、『荒ぶる魂たち』シリーズなど多数。元殺し屋がひなびた温泉宿で過去を捨てて働く『湯けむりスナイパー』でドラマ初主演。9月4日からは『桂ちづる診察日録』で、9月27日からはNHK連続テレビ小説『てっぱん』で、それぞれ父親役として出演。『きな子』オフィシャルウェブサイトはwww.kinako-movie.jp/

■編集後記

実は“R15時代”。「中学時代の美術のテストが面白くて。白い画用紙渡されて『好きに描け』って。絵は下手だったんだけど、発想が面白いって褒められたんです。創造の楽しさを知りました」。高校中退は、先生に教科書を燃やされたから(!)。ロッカーに放置したまま夏休みを越したら灰に。「でも、燃やされてなかったら学校卒業して普通に就職してたはず。今思うと全部の道筋がつながってる。なるべくして俺はなったんだと思いますよ」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

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