香港移住計画

第7回 たった3年で世界を変えた!? アノ香港スターのカリスマ性って?

2010.09.02 THU

香港移住計画

香港のあのヒーローは映画の世界をどう変えた?



引き締まった肉体に、俊敏な動き。鮮やかな蹴り技…! そう、これは『燃えよドラゴン』で有名なアクションスター、ブルース・リーの話だ。

いまや伝説的存在となったブルース・リー。映画監督のクエンティン・タランティーノやリュック・ベッソンも彼の大ファンだというけれど、実際にはどんな点がそんなにすごかったのでしょう? 

「彼は、マーシャル・アーツ・ムービー(武道映画)というジャンルを確立した人物。急逝するまでの3年間に作り上げた、たった4本半の主演映画で、すべてのアクション映画の基準を変えてしまったんです。それは、彼が俳優でありながら一人の武道家だったからでしょうね」(ブルース・リー財団日本支部の関 誠さん)
写真提供/中村頼永 (C)Bruce Lee Enterprises, LLC 2010. All Rights Reserved. 俳優の倉田保昭氏がブルース・リーにヌンチャクを教えたという俗説が今でも流布されているが、これは間違い。ブルース・リーに「今、持ってないんだよ」と言われ、たまたま貸しただけなのだそう
それまでのアクション映画では、アクションはあくまで芝居だった。しかしブルース・リーは、映画に本格的な実戦的武術の要素を取り入れたというのだ。特に、それまで手技の多かった香港アクション映画に、高度な蹴り技を取り入れ、カッコイイものとして定着させたのは紛れもない事実なんだとか。

ではそもそも、ブルース・リーってどんな経歴の持ち主なのでしょうか?

「彼の父親は、香港で有名な喜劇俳優でした。そのため、彼も子役として数多くの映画に出演。また、13歳でクンフーに出会い、熱心に修行していたといいます」

しかしブルース・リーは、学生時代にはケンカ三昧の日々を過ごし、高校を中退に。そこで父親が渡米を命じたのが、一つの転機だった。

「彼は、アルバイトをしながらワシントン大学哲学科に進学。そのころから、中国拳法の道場を開きます。そして、23歳のときに第1回国際空手選手権で披露した演武がテレビプロデューサーの目に止まり、テレビドラマ『グリーン・ホーネット』の準主役に大抜擢。そのアクションのすごさが全米に衝撃を与えました」

なんと! ここで第二の俳優人生がスタートしたんですね。じゃあ、ここから順風満帆な…。

「いえいえ。彼はその後、東洋人俳優という立場が原因で、主演映画が企画されては頓挫、という現実に悩まされます。そして1970年、香港へ帰国。3つのヒット作を飛ばしたのち、ワーナー・ブラザーズ社から声がかかり、香港の映画会社との合作ですが、ようやくハリウッド製主演映画が実現することになったんです」

この作品が、ご存じ『燃えよドラゴン』。本作は世界的に大ヒットし、かくしてブルース・リーは東洋人初のハリウッドスターとなった。

「これをきっかけに、小柄な東洋人が主役を務めるアクション映画が、全世界で大ブームに。さらに、東洋人や東洋武道に対する欧米人の認識が、『怪しく風変わりな異文化』から『憧れ』に変わったんです」

しかしながらブルース・リーは、『燃えよドラゴン』の封切り前、32歳の若さで死去。アクション映画界のパイオニアは、悲劇のヒーローでもあったんですね…。

ブルース・リーはどうして香港のカリスマなの?



俳優として成功を収めた3年ほどで、世界のアクション映画を変えてしまった俳優、ブルース・リー。しかし、彼が香港の人々にとってカリスマであることには、別の理由があるのだそうだ。

「香港映画におけるアクションのクオリティを上げたことはもちろんですが、なによりその出演作によってクンフーを広めたという面でも、ブルース・リーは香港の人々にとって特別な人物なんです」

こう語るのは、ブルース・リー財団日本支部の関 誠さん。クンフー(功夫)とはカンフーと同意で、中国武術の総称。広東語では「グンフー」と発音し、ブルース・リーは生涯そう呼称していたが、現在では英語でKung Fuという表記が一般的となり、カンフーという言い方で親しまれるようになった。

ちなみに、ブルース・リーが考案した武術「ジークンドー」も、いまだ多くの人々に愛されている。亜流を含めて世界中に無数の道場があり、日本には本流の弟子が指導する組織「IUMA日本振藩國術館」もある。そこで学ぶ人は1000人以上。北海道から沖縄まで、各地域に支部を持つのだそうだ。

「そもそも俳優業を始めたアメリカ時代から、彼は映画を通して中国拳法を広めることを目的としていました。アメリカから香港に戻って映画を作る際、本格的な武道を取り入れるためにも、みずから映画会社を立ち上げたほどです。そして、映像的効果を狙った動きの中に実戦的要素を加えリアルなアクションシーンを構成したり、有能であれば無名のスタントマンでも重要な役に起用したりしたんですよ」

その無名のスタントマンこそ、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウなど、名だたる名優たちだ。ブルース・リーは、一所懸命で実力のある人間には、どんな下っ端でも分け隔てなく親身に接したという。
イラスト/藤田としお 実は親日家のブルース・リー。「座頭市」や黒澤明監督作品などを好んで研究したり、香港の自宅に日本庭園を造ったり、メンズビギのスーツを愛用していたという話
ほかにも、アメリカで活躍していたカラテ・チャンピオンの俳優チャック・ノリスや日本映画界でも活躍していた撮影監督、西本正を起用し、「武道家が作る本物のアクション映画」を追求したのだとか。

「大学で哲学を専攻していたり、幼少期から毎日日記をつけていたことからもわかるように、もともと彼は細部までこだわる性格でした。『ドラゴンへの道』では初めて監督・脚本を手掛けたのですが、膨大な量の構成メモや細やかなアイデアスケッチなどが残されています。それほど綿密に練り上げた計画の上で、彼の作品はできあがっているんです」

さらに、ブルース・リーが切り拓いたのは、アクション映画の新しい地平だけではない。それは結果的に、香港映画や中国人スターの地位向上にもなり、そして本物の武道家が俳優として活躍する道筋の構築でもあった、と関さんは話す。

「いまでも、中国武術に携わる子どもたちの将来の夢はアクションスター。ブルース・リーは、武道と映画を結びつけただけでなく、いまでも武道家たちの未来を明るく照らしているのです」

なるほど~。ブルース・リーは、クンフーや香港映画を広めただけでなく、武術に携わる者たちの夢まで広げて見せたという意味でも、まさにカリスマ以外に名づけようのない存在だったわけですね。 ブルース・リーのすごさを改めて知った今回。
今年は、ブルース・リー生誕70周年!
ということで、関さんに見ておくべき観光名所を聞くと、最期に生活していた家、生前ブルース・リーがトレーニングしていた400段ある階段や晩年よく食事に行った庶民的レストランなどなど、縁の地をたくさん教えてくれました。


よーし、香港に移住したらボクも400段の階段で体を鍛えるぞ~!
そうそう、肉体を鍛錬するなら食事だって大事ですよね。
でも、香港の食文化ってどんなものなんだろう?
またもや知らないことが…!!

というわけで、今後も香港についてさらなる調査を続けていきたいと思います!

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