「役者は役者だけ、と思ってた」

筧 利夫

2010.09.16 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 山崎…
トム・クルーズのように(?) 舞台で、自由を求める

「僕、最初が舞台からだったんで、芝居は本業だと思ってるんですよ。やはり、気が引き締まるんですよね」

取材3日前に『広島に~』が千秋楽を迎えたばかり。“最後の最後まで、力の限り舞台に埋まってる宝を掘り続けようと思う”と、ブログに書いていた。

「舞台にはそういうところがあるんですよね。できれば半年とか1年とか、同じ芝居をやっていたいぐらい。というのは、やっぱり幕が開いた最初のころって“ザワザワ”してるんですよ。声をきちんと出し、体を動かし、照明とかのタイミングはどうか、お客さんのリアクションは…気にかけてチェックすることがいっぱいある。それが回を重ねていくうちにこなれて、自由になる。そこからが勝負なんですけど、そのころにだいたいの芝居は終わってしまう(笑)」

自由は、ただしなかなか複雑な自由。

「トム・クルーズが『ミッション・インポッシブル』で敵の施設に潜入するとき、目には見えないレーザー光線が網の目のように張り巡らされてるでしょ。あっちいって『アチッ!』ってなって、こっちで『アチッ!』。で、やっていいことが自分でわかる…そんな自由」

舞台への心構えである。

でも人生もこうして歩んできた…。閑話休題。

『じゃじゃ馬馴らし』で演じるのはペトルーチオという紳士。じゃじゃ馬として有名なキャタリーナという娘を口説き落とすために見せる口八丁手八丁。歯の浮くような甘いセリフに罵詈雑言。

「新しいブロック塀の前に立って、どうやってぶち破るかを考えてる状態ですね。昔は台本の段階で役作りに頭をひねったんですけど、結局それって書いてあるセリフを掘り下げる作業だけなんですよね。芝居って相手のあることだから、それをやっても、現場でどうなるかわからないんですよ」

台本を見せてもらうと、じゃじゃ馬・キャタリーナとペトルーチオとのやりとりは、まさに丁々発止。ものすごくかみ砕くならば、ドS同士の口げんかというか言いくるめ合いというか。

「人間が舞台の上に立って、人前でこんだけたくさんの言葉をしゃべるのかという。それってお芝居観たことない人からすると驚異だと思う。とくにシェイクスピアってひとりが1回しゃべり始めたら終わるまでものすごく長い。普通の人が1日にしゃべる分量なんてはるかに超えてるわけだし。プロの役者さんだからできる、そういうのを観たときの…僕でいうなら、オリンピックで鉄棒とか跳馬を観たときの興奮。目の前で生身の役者さんがやってることでもあるので、ほかの何を観るよりも自分の生活とかいろんなものを見直すきっかけになるものになると思うんだよね、演劇って」

筧 利夫は演劇が好きなのである。

「ドス黒い」か「純粋」かで、悩み続けた三十路の春

中学の卒業式で、みんなをびっくりさせようと俳優宣言してから俳優志望。「卒業したら自動的に俳優になれると思って」大阪芸術大学の舞台芸術学科に入学。そんなはずはないのだが、この人の場合、ほぼその通りになった。

大学では、旗揚げしたばかりの「劇団☆新感線」に参加。俳優としていくつもの舞台に立ち、卒業間近に、主宰のいのうえひでのりから東京行きを勧められる。鴻上尚史という天才がやっている「第三舞台」に合流せよと。

「ホント、いのうえさんはそれこそダンスの振り付けのように手とり足とり教えてくれたんですけど…そう言われて“あ、そうですか”って行くんだから、なんの忠誠心もないよね(笑)。まあ、あのまま新感線にいても、オレは単なるOBになってただろうし、上京するのは運命だったんでしょうね」

「第三舞台」のオーディションに合格し、即上京。大学4年生、しかも卒業のちょっと前。何も考えていなかった。

「就職しようとも、役者になれるとも。役者で食えるとも食えないとも思わなかった…単なるバカだよね(笑)。決めてたのは“芝居をやる”ってことだけ」

鴻上尚史は、いのうえとはまったく違い、何も教えてくれなかった。

「俳優の自主性にまかせるんですね。台本もらったら翌日には、セリフ覚えて、なんにも指示ないままやる。ところ変われば演劇の文体も変わるので、鴻上さんの書くセリフが全然頭に入らなかった。叱られるのがイヤでゲームセンターでグズグズしてたなあ(笑)」

大阪で身につけた基礎から、自主的に抜け出さねばならない時期だった。

ちょうど「第三舞台」もプロ化。そもそもプロ意識が非常に強く、きちんと芝居にギャランティーを発生させることを大事にしていた劇団だった。

「ラジオドラマとかCMのナレーションの仕事もあったので、たしか24歳ぐらいですでに確定申告してました。食える額ではないですけど(笑)」

それでも芝居と関係のないバイトは25歳でやめ、27歳でドラマ出演、28歳には最初の『飛龍伝』、29歳のときには、劇団員みんなで深夜番組にレギュラー出演し、人気を博した。

かくして筧 利夫は、職業であることをさほど意識しないまま、プロの俳優になっていたのだ。いわく「演劇の世界で純粋培養された」。

30歳のときに、ドラマで福山雅治と絡むクールな社長役を演じてから、大河ドラマにバラエティに映画に、一気に露出が増える。われわれがよく知る筧 利夫像の完成…ではないのだ、実は。

「いやいや昔はオレ、すごかったんだから。いっときバーッといろんなものに出たんだけど、実際には“役者は役者だけやってなきゃいけない”と思ってたんです。いろいろ出てるうちに、全部がドス黒く見えるようになった。好評な役のあと、同じような役ばっかりくるし、舞台の純粋さはほかの仕事には見いだせなかった…」

ドス黒く思えるものを全部排除すると、残るのはほんの一握りの舞台。

「今回の“二つ返事”みたいなのだけを1回1回命がけでやるわけ。33歳のとき『NODA・MAP』の『贋作・罪と罰』に出て、その後半年ぐらいまったく仕事をしていない時期があったんですよ。体力的にキツイし、すごく達成感のある作品だったんだけど、それでまた満足しちゃって」

日本拳法の道場に通い、映画にクラシック音楽に耽溺する日々。ときにニューヨークに芝居を観に行き、そのすべてに対する感想を毎日パソコンで書き殴った。誰にも見せないブログだ。

「“あの作品はあそこがダメだ”とか“アイツはここが面白くない!”とか、誰が読むものでもないから。オレにはやりたいことがあるんだけど、そういう作品のオファーが来なくて、やりたくないものを排除していったらヒマになった。そんな思いも入れながら」

書き続けてたら、唐突に答えが出た。「『今日の自分が悪いのは、昨日の自分が悪いから。今年の自分が悪いのは、去年の自分が悪いから』。正直に自分の気持ちを書いてたら、わかった。34歳のとき。それまでは、舞台の仕事と映画やドラマを分けて考えてたんだろうね。舞台は誠実にやる。ほかも一所懸命やるけど、あくまで“合間にやるもの”だった。仕事の側というより、取り組むオレに純粋さがなかったんだよ。そういう偏見を全部捨てて、バラエティもドラマも、ヨーイドンで純粋に取り組んだんだよ…そしたら面白がられるようになってね。その前までオレ、“イイ役者がイイ役をやる”と思ってたのね。でもそうじゃないんだよね、売れてるヤツがいい役をやるの(笑)」

偽悪的になっているのでも、開き直っているのでもない。筧 利夫があちこちにぶつかって得た真実。だいたいこんなセリフ、イイ役者じゃなきゃ自信を持って吐けるはずがないのである。

1962年、静岡県生まれ。80年、大阪芸術大学に入学し、『劇団☆新感線』で俳優デビュー。84年、拠点を東京に移し『第三舞台』に参加。劇団の作品のみならず、数々のつかこうへい作品で伝説的なステージを見せる。おもな出演作は『贋作 罪と罰』(95年、NODA・MAP)、『朝日のような夕日をつれて』(第三舞台)、『西遊記』(99年、劇団☆新感線)、『飛龍伝』ミュージカル『ミス・サイゴン』など。『踊る大捜査線』シリーズなど、ドラマも多数。現在、NHK大河ドラマ『龍馬伝』、『名曲探偵アマデウス』(NHK BShi)に出演中。『じゃじゃ馬馴らし』のチケットほか詳細は彩の国さいたま芸術劇場まで TEL0570-064-939(チケットセンター)。 www.saf.or.jp

■編集後記

大学卒業までふた月を残し「第三舞台」に合格。卒業後に上京するつもりだったのが、「すぐに来い」との指令。大阪のアパートを残したまま、いきなり東京の先輩んちに居候(ニナガワスタジオの俳優・大石継太氏であったらしい)。2カ月後、無事大学を卒業し、本格的に上京。「先輩のところにはちゃんと挨拶しに行きましたよ、ティッシュの5ハコぐらい積み上げたセット持って…ホント何も考えてないよね(笑)」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
山崎初生(SUGAR)=ヘア&メイク
hair and make-up HATSUO YAMAZAKI
瀧本景子(アップ・トゥ・デイト)=スタイリング
styling KEIKO TAKIMOTO

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