「70歳で、スタジオで大縄跳び」

東野幸治

2011.07.07 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
メンドクサイ。けど楽しい。
7~8割は出せる番組

『やりすぎコージー』で放送された震災のチャリティーイベントは、一見普通だった。芸人さんたちがネタを披露し、収益は義援金になる。だが、何か怪しかった。

エライ武器が用意されていた。「放課後電磁波クラブ」である。ご存じの方はここから10行飛ばされたい。おちんちん周辺だけが辛うじて隠れる超スーパーハイレグのコスチュームに身を包んだN極くん(今田耕司)とS極くん(東野幸治)が「この世の悪を吸い寄せ」、正し、社会にメッセージを送るコントだ。もともとは、90年代に一世を風靡した『ダウンタウンのごっつええ感じ』のキャラだった。それが今回、14年ぶりに復活したのだ。

「あれはそもそもフジテレビのもんやし、考えはったのも松本(人志)さんやったと思うんですよ。でも話をさせてもらって、その辺がクリアになったから“やりませんか”みたいな感じで話が来たんですよね」

全裸に近い衣装のため、毛は処理済み。取材当日はやや生えつつあって「モゾモゾとかゆくなってきてます」と言っていたが、それに関しても14年ぶりの感慨云々よりは「メンドクサイなあって思いながら(笑)」。

実際メンドクサイらしい。剃る前にはさみで短くせねばならないし、袋の処理は難しいし、床に新聞紙を敷き、終わったあとはカミソリも洗わねばならない。憂鬱である。

「結局ズボラなんですよ(笑)。やりたいんやけど、アマノジャクやからメンドクサイ感じを出してしまうところもあるし、ホントにメンドクサかったりもするし。でも実際始めてみたらスゴイ楽しいから、何の文句もないんですけど」

毛だけでなく、仕事全般に関する話だ。フラストレーションを抱えつつやっている。TVを生業としている以上、制約はある。言いたいことが言えなかったり、わかりきっていることに対してリアクションしたり、誰もが安心できるように突っ込んだりせねばならない。

「キライですキライです。もちろん立場上求められてるときにはやりますけど、ホンマのホンマはやってもそんなに面白くないやろと思ってます。それは性格ですからねえ」

でも“やりすぎ”に関しては、それが薄いと言う。今田耕司は、この番組のことを “ホーム”と呼んだ。東野幸治は?。

「別のバラエティやったら、言いたいことを5割ぐらいで止めてるんですけど、それを7~8割は言える。オンエアされるされない別にして、芸人さん同士の掛け合いでアクセル踏めるんです。いや、むしろ、オンエアされないとわかりながらしゃべってるところも多いので、フラストレーションはたまらないし、スゴイやりきった感じになれるんですよね。ホンマ、ありがたい番組やと思ってます」

好きな企画を尋ねたら、企画そのものより、それによって誰かの意外な一面を知れる方が楽しいと言う。

たとえばオードリー春日が深夜、グローブ片手に公園へ出向き、自らはライトを守っているという体で野球の試合を妄想している件。あるいは、ある放送作家がエレベーターと百貨店を偏愛している件。

「この話なんか『ごきげんよう』で言うたら、絶対お客さん引きますからね。そういうのがアリで、ここで明らかになるのが楽しくてたまらないんですよね」

人の心を失った男が、
人の心に気づいてから

ある番組で笑福亭鶴瓶が言った言葉が耳に残っているという。

「劇団ひとりのことについて言うてはったんですけど、“売れる芸人って言うのは、狂気と優しさを兼ね備えた人です”って。まさにそのとおりやなあと思いましたね」

東野幸治は高校3年生のとき、この世界に入った。1985年のことだ。お笑いブームが終わり、谷間の時代だったという。大阪では、ダウンタウンという新世代の芸人を中心に新たなムーブメントを生みだそうとしていた。その一環として行われたオーディションで、彼は見いだされた。

「お笑いは好きでしたけどね。学生時代に漫才ブームがあって、さんまさんや紳助さんが好きでしたし。オーディションは公開録音のラジオ番組で、ダウンタウンさんが司会でしたね。豪華賞品がもらえるって友だちに誘われて、行ってボールペンもらって帰ってきました。その後、 “今、人集めてるから、よかったら来ないか?”って誘われたんです」 

なーんにも考えてなかったらしい。でも、新世代の芸人たちのホームグラウンドになった心斎橋筋2丁目劇場をベースに、ダウンタウンが司会をした『4時ですよーだ』である程度の知名度と人気を得た。

「売れるとか売れないとか、どうしたいとかどうなりたいとか、これっぽっちも考えてなかったです。“もう就職せんでええやん”っていう感じで、ほとんどナメた態度でこの世界に入ってきましたね」

で、しばらくはそのまま。月収は7万~8万円。バイトをせずにギリギリ暮らせる額はもらえていたので、とくに危機感を煽られるでもなく、向上心を持つでもなく過ごした。

「そんな感じのまま、24歳ぐらいで結婚したんですよ。子どもが生まれて、その後ダウンタウンさんは東京行って、僕は大阪にいてレギュラーがラジオ6本。普通に寝っ転がってTV観ながら“ダウンタウンさんってスターになったなー”って思ってましたもん(笑)。でも26~27歳のころ、娘が喘息で入院せなアカンようになって、嫁はんも医療費払われへんからって内職を始め…そういうイヤでも向き合わないとアカンようになったんですよ。そこでようやく、ちゃんとがんばらなと。子どもにゴハン食べさせなアカンし、ちゃんとお金稼がなアカンと思えるようになった。僕、ホンマに結婚しててよかったですよ。もし自分ひとりやったら、どうでもよかったし」

東京進出。最初は「協調性がないから」と参加を見合わされていた『ごっつええ感じ』のレギュラーを獲得。例の「放課後電磁波クラブ」などで、居場所を見いだし、俗に「お笑い第三世代」と呼ばれるダウンタウンやウッチャンナンチャンらが生み出した新たなお笑いブームの中で台頭する。

ただし、今では必要に応じてこなすお約束も拒否するようなハードなスタンスだった。元アイドルの熟女の顔面にドロップキックをキメ、見た目がそれっぽい社長を同性愛者と決め打ちした。

「当時はコアな芸人をコアなお笑いファンが観に来ていて、全部コアで成立してたんですよ。たとえば画びょう全部外向きにつけたボールでビーチバレーとか、マグロの頭でサッカーしてよかったんです。それが『行列(のできる法律相談所)』とかに出してもらうようになってわかったんですよ。あの番組ってわざと観覧のお客さん、おばちゃんとかにしてるんですよ。茶の間に近い構成です。そこで昔からの自分のやり方でしゃべってたら、どうもたまに引いてるんですよね。“あ、こんなこと言うたら引く人もおるんや!”って、そこで気づいて。距離感みたいなものを学んだんです」

狂気の側にいた芸人が少しの優しさに気づいたのだ。

距離感を知ったからこそ今、『やりすぎコージー』が一層楽しめる。

「笑いが起きてたら、みんなとりあえずそれに乗っかってワーッて行くんですよ。暴走列車ですよね。本来今田さんなんか、MCとしての腕を買われて来てはるんやと思うんですけど『やりすぎ』では一緒になって列車に乗ってます。みんな過度に血走った目ェしてると思います。で、一応の終点まで行ったら、“なんやこのオチ!”とか言うて、全員が三々五々歩いて戻ってくる。番組の素材作りとしては全然いい感じじゃない(笑)。でも出てる僕らには面白かったりするんですよ」

だから、“番組をこうしたい”なんていうビジョンは全然ない。

「毎回やれることの幸せを感じて、本番中に何か奇跡的な出来事が起きたり、スゴイ面白い人に出会ったりできたらいいなと。そういうとき、みんな本気で笑ってますしね」

東野幸治個人としての野望は…。

「長生きですね。70歳でスタジオで大縄跳びを跳んでる板東(英二)さんがおったんですよ。アレになりたいなと思ったんです。あと、ずーっとへそ曲がりで来たから、今、逆にトライアスロンとかゴルフとかやってるんです。あえてど真ん中のことしたろと思って。それが自分の中でオモロイなあって」

1967年、宝塚市生まれ。18歳のとき、芸人としてデビュー。心斎橋筋2丁目劇場を中心に活躍し、吉本新喜劇を経て東京進出。何でもない状況を、身も蓋もないツッコミでひっくり返すことのできる力を持つ。『あらびき団』(TBS)、『ごぶごぶ』(毎日放送)、『ノブナガ』(CBCテレビ)、『マルコポロリ!』(関西テレビ)などに出演中。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト