「おじいちゃんになっても熱湯風呂(たぶん実現できる!)」

出川哲朗

2011.07.21 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
趣旨は完全に変わった。
だがやむを得ないのだ。

画面に映っているのは何の変哲もない住宅街の公園であり、郊外のゲームセンターであり、動物園の象舎である。日常と少し違うのは、そこに出川哲朗が隠れているということ。視聴者はそれを眺めて、出川を見つけ出す…はずだった。

「趣旨が変わってるぞってことですよ。ブレすぎだろと」

タイトルは『緊急指令! 出川を探せ!!』。エイベックスが提供するNTTドコモ専用のケータイ放送局『BeeTV』のコンテンツだ。

「子どもたちがゲーム感覚で僕を探してくれればいいなって思ってたんです。ただ、最初から“大きい画面だったら隅々まで探せますけど、ケータイでこういうことできます?”って、延々言ってたんですよ。そしたら“全然大丈夫です、スマートフォンもありますし。画面分割してアップにするから、ゲームっぽくできます”って。エイベックス的にも、どうやら最初はそのつもりだったようなんですよ。でも撮影が進んでいくにつれて…」

1本目の仮編集版を観たとき、隠れた出川を探すために1分ほどの時間が取られていたという。それが完成版では30秒に減っていた。

「なんでそうなったのか聞いたら“いやあ、早めに出川さんのリアクション見せた方がいいかなと思って”って。何本目かの会議では、上の方の人が“もう隠れるところやんなくてよくない?”とか言い出したらしくって(笑)。完全に変わってるんです。最初から軽いイタズラはあったんですけど、それがどんどん…」

全12本、最後にはエライ大仕掛けも登場するという。

「『出川を探せ』じゃなくて『出川を探してから…』になっちゃってて。隠れてるはずなのに、もう俺、大半出ちゃってますからね」

実はこれ、同じ『BeeTV』でのシリーズ第3弾。前々作の『毎日どっきりvs出川』は1カ月で150万DLの大ヒットを記録した。今回もいざ作り始めてみると、見つかってからの出川哲朗の方が面白くなってしまったのかもしれない。

そもそも『毎日どっきり』自体が、この人でないと成立しない奇跡の企画だったといっていい。毎日、コツコツと“どっきり”を仕掛け、ひと月後にネタばらしするのだ。

「座った椅子が壊れるとかでは、全然僕も気づいてなかった。ドライヤーから粉が出て、“あ、100%どっきりだな”と。ただ、普通だったらドライヤーの直後に(ロンブー)淳とかが出てきて何か言うはずなんですけど、出てこないから “アレッ?”とは思いました。次の日もその次の日も何か起こるんだけど誰も出てこない。あまりに引っ張るんで、“あ、これ『アメトーーク!』だな”と(笑)。前に密着された『出川大陸』の第2弾だと気づいたんです。そうやって自分の中で納得してからは、もう別にどっきりに構えることもないし。“はい、今日はこれですね”っていうぐらいで(笑)」

普通なら起こり得ないようなことも“どっきり”だと思えば、納得できる。

「いちいちドキドキしてたら生きていけないんで。むしろ、ツメが甘くて“ワイヤー見えちゃってるじゃーん。絶対なんかあるわー”って分かる方がシンドイですよ。もちろんちゃんと、やりますけどね(笑)」

稀代のリアクション芸人である。

「役者さん」ではなかった。
天才を生業にする幸せ

東野幸治やナインティナインの岡村隆史は、彼のことを「役者さん」と言う。芸人ならばボケておくべき局面で、生来のマジメさが顔を出し、普通のことを言ったりする。その辺を揶揄されるのである。

出川哲朗は芸人ではない。

「ホントのことを言ってしまうと僕はただの劇団員ですね。純粋に分類すると、高田純次さんとか久本雅美さんと同じジャンルでしょうね。劇団からTVに出てきてお笑いタレントになったパターンなんで」

横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)で同級生だったウッチャンナンチャン、入江雅人らと『劇団SHA・LA・LA』を結成。座長である。そっちで大成する予定だった。

だが、ウンナンのブレイクとともに、にわかに注目を浴びる…というか、彼らがその面白さに注目したのだ。最初はウンナンとプライベートで行った遊園地でのジェットコースター。出川は「とめて、とめて、おろしてくれ~」と絶叫。もちろんウケ狙いではなかった。それをきっかけに番組の罰ゲームでジェットコースターに乗せられ…「そしたら番組スタッフに面白がられて『じゃあ、次はプロレスラーと闘ってみようか』って。それでグルングルン回されてウケて、『次はライオンの上に乗ってみようか』って(笑)」。流れ流れて、リアクション芸人の道に。

「25~26歳でしたね。バイトもやめられたし、それで一応生活もできた。最初はお笑いでもなんでもよかったんです。名前さえ売っちゃえば役者の仕事がくると思ってました。だからどこかに“自分は本当は役者なんだ”っていう、今考えるとアホみたいなプライドがありました。でもそうして番組に出してもらってるうちに、いろんな芸人さんと仲良くなって、芸人ってすげえなあって思うようになったんです。頭使うし瞬発力もいるし、笑いを取れたときに快感はすごいし…」

決定的だったのが、29歳のときに出た『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』。それまでほぼウンナンの番組にしか出ていなかった出川の、初めての“表舞台”だった。

「芸人・出川哲朗としての出発点でしたね。最初はすごくドキドキして、ダチョウ(倶楽部)さんの楽屋に行って“最後のチャンスだと思って行きます!”って、すごく力んだのを覚えてます。当時の『(お笑い)ウルトラクイズ』って、今のM-1ぐらいの影響力がありましたから。目立ったヤツは翌日にはスターになってましたもん。あとでダチョウさんに聞いたら、僕が楽屋を出た後に“かわいそうにな”“50人は芸人いるからな”“いい子だけど目立てないで帰ってくるんだろうな”って言ってたらしいんです。でも収録が始まったら、1発目から僕、“どっきり”みたいな企画にハマって!」

スタジオゲストの斉藤慶子に「大好きになった」と言われる。「惚れんなよ」という返しがまたウケて、ビートたけしが、コマーシャルへのフリをまかせてくれるのだ!

「『ひとこと言え』って言われて『タケちゃん、これからもよろしくな』って言ったら、ひな壇からダチョウさん、(たけし)軍団さん、ジミー(大西)ちゃん、バウバウの松っちゃん…全員がおりてきて、真ん中で僕をボッコボコにしてくれて、それでCMに行ったんです。僕は泣きそうでした。愛がないとそんなことあり得ません。そこで初めて“ウッチャンナンチャンのところの出川”じゃなくて、ひとりの芸人としてスタートできたと思ったんです」

『進め!電波少年』でリアルに貞操を奪われたほか、様々な番組で、あらゆる猛獣と絡み、ポリバケツでバンジーをし、リアクションの限りを尽くしてきた。「最高に幸せです」と満面の笑みを浮かべる。

「むちゃくちゃされることなんて、夢にも思ってなかったんです。自分が“こうしよう”とか思う間もなく、やらされただけ。でもそれでみんなが笑ってくれた。実感はなかったけど、“たぶん俺はこのリアクションということが得意なんだな”と。得意なものをどうやって探せばいいのかなんて分かんないですよね。僕はそれをたまたま見つけられた」

埋もれていた天才を見いだされ、今はそれに絶対的自信を持って自分の仕事にしている。だからこそ「最高に幸せ」なのだ。もし、あのまま売れない俳優にでもなっていたら、スゴイ損失だったろう。

「おじいちゃんになっても熱湯風呂に入って、笑ってもらえること」 

方々で口にしていた野望だ。それが最近では確信に変わりつつある。「2年ほど前に足を折っちゃって、松葉杖をついてスタジオに出てったんですよ。そしたら、客が笑う。俺、そこで“あれ?”って思ったんです。今も実は首のヘルニアで、コルセットしてるんですけど、それで現場に行くと“哲っちゃんどうしたの?”って聞く前に、みんな笑うんですよね。“卑怯だわ~”“またアイテム増やして~” って(笑)。60過ぎて熱湯風呂入っても、笑ってもらえる自信、出てきました」

ちなみに首のヘルニアだが…。『出川を探せ』の撮影で馬に引っ張られたのが原因ではないか、と本人は分析している。

1964年、横浜市生まれ。横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を卒業後、同級生だったウッチャンナンチャン、入江雅人らと『劇団SHA・LA・LA』を旗揚げ。90年から『ウッチャン・ナンチャン with SHA・LA・LA』(日本テレビ)に出演。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で一躍ブレイク。『進め!電波少年』では、命がけのチャレンジを数々こなし、20年を経た今も、カラダを張ることに関してはかわっていない。現在『アッコにおまかせ!』(TBS)、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)などに出演の他、『大!天才てれびくん』(NHK Eテレ)ではMCを務める。オフィシャルブログは『俺の女の口説き方』www.diamondblog.jp/degawablog/
『出川を探せ!!』を観るには、iモード/iメニュー→動画→BeeTV スマートフォン/ドコモマーケット→動画→BeeTV

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
photography PEY INADA

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