「決断する前に口と足が出てるからね」

アントニオ猪木

2011.07.28 THU

ロングインタビュー


吉州正行=取材・文 text MASAYUKI KISYU 堀 清秀=撮影 photography KIYOHIDE HORI
ソ連に乗り込んで交渉
炸裂! 闘魂外交!!

1989年4月24日。「格闘衛星☆闘強導夢」と名付けられたプロレスイベントが東京ドームで催された。ペレストロイカまっただ中とはいえ、共産主義下のソ連からレスリング選手を招へいするなど、当時にしては常識外れのイベントだ。仕掛け人はもちろんこの人、アントニオ猪木である。

「はじめ聞いたときは怪しい話でね。でも怪しい話は大好きなんで『よし!』と思ったけど、巡業中だったんで営業部長の倍賞鉄夫とマサ斎藤を現地に派遣したんですよ。しばらくして電話が来て、『とにかく来てください!』って」

当時猪木は新日本プロレスの社長。社内では実現に懐疑的な声もあったが、押し切ってモスクワに飛んだ。そこで待っていたのが、ソ連を代表するレスリングの元選手たち。

「彼らにプロレスとはどういうものか、4つの柱で説明したんです。ひとつは受け身。ふたつめに攻撃。そしてお客さんを沸かせる感性と表現力。最後に信頼。この4つがあってこそ極限の闘いができるんだよ、と。そしたら彼らが『それがやりたかったんだ!』ってテーブルを叩いて喜んでね」

交渉は順調に進んだ。…かに見えたが、開催1カ月前に事件勃発。

「確認のためにもう1回ソ連に行ったらちょうどサッカー選手が何億円で契約したとかで、急に契約額をふっかけてきた。冗談じゃないよって。チケット売り始めてたけど、腹切る覚悟で契約書破って。そしたらモスクワ民警のバグダーノフって将軍が出てきたから、説明した。『1回引退した選手を、俺がまた世に出そうとしている。ソ連のことをアピールしたいのに、ふざけたこと言うな』と。で、『そうか、わかった。あとは任せろ』となって」

ようやく話がまとまった。サラッと語るが、たやすいことではない。彼らの懐に飛び込み、信頼関係を築くコツをたずねれば、「酒ですね。ウォッカ」と笑う。それも含めてウソのような話だが、本当のできごとである。冒頭のイベントは、かくして東京ドームが満員御礼の札止めとなるほどの成功を収める。来日した選手のうち、猪木はグルジア出身の柔道金メダリスト、ショータ・チョチョシビリと対戦。黒星を喫すが、重要なのは試合の勝ち負けではない。仮想敵国だったソ連に乗りこみ、リングに選手を引っ張り出した時点で、この大勝負、完全に猪木の“勝ち”なのだ。敵地で軍人相手に真っ向から胸を合わせにいった勝負師魂こそが信頼感を生み、レッドブル軍団を動かしたのである。その信頼の大きさは、猪木がクレムリンに招かれて政府高官と面会を重ねたことからもうかがえる。同年7月の参院選で政治の世界に殴りこんだ猪木にとって、それは期せずして“外交”の舞台を先取りする場でもあった。

「親父も政治家を目指していたし、いずれ、とは思ってたんです。ただ新人議員は外務省の役人に相手にされないんですよ。俺は独自ルートでカストロやブラジルの大統領と会って仲良くなったりしたけどね」

89年末には、モスクワで初のプロレス興行を実現。当時のソ連ではプロレスの知名度は無に等しかったが、満員の成功を収める。さらに翌年の湾岸戦争の直前、出国制限で人質状態だった邦人を救出すべくイラクに乗り込み、平和の祭典としてプロレス大会を断行。故フセイン大統領の計らいで全員を救出するなど、“猪木ルート”の外交は、次々と実を結ぶ。やがて外務省の役人たちも一目置くようになった。その行動力たるや、およそ常人の域を超えたものがあったからだ。

「だって決断する前に口と足が出てるから(笑)」

猪木ならではの、というか
猪木だけのやり方

昨年11月。猪木は「北方領土でプロレスをやりたい」とぶち上げるなど、20年以上経った今でも、“闘魂外交”の精神は健在である。

「今からでも遅くはないと思ってますよ。あと注目してるのが、中国。IGFも進出することが決まりました。大変な事業になりそうですよ」

IGFとは、猪木が会長をつとめる格闘技団体のこと。8月27日には、「INOKI GENOME」と称したビッグイベントが待っている。

「やる予定はなかったんですけど。実はその日は(プロレス団体)ノアと新日、全日のオールスター戦ってことで。でも俺からしたらオールスターでもなんでもないんだよね。じゃあ勝負だってことで、同じ日にぶつけてやった!」

あっけにとられる話だ。興行の常識でいえば、2つの大イベントを同日に行うのは、お客の奪い合いになるから嫌うもの。だが猪木は、それすらエンターテインメントに仕上げてしまう。さらに、“日本を元気に”の軸はぶれない。ロシア人の胸襟を開かせた理由は、猪木のこんなところにあるのだろう。

「今回は東日本大震災の被災地から1000人くらい招待しようと思ってるんですよ。被災地におもむく人は多いけど、こっちに来て楽しんでもらう。日本中が東北を応援してるのを見てもらうのも、いいと思うんですよね。こないだも被災地に行って、『元気ですかー!!』ってやったら喜んでもらえたんだよね。だから今回も、俺なりのやり方で力になりたいんだよ」

1943年横浜市生まれ。中学時代に一家でブラジルへ移住し、彼の地で力道山に見いだされ、帰国し師事。60年にプロレスラーとしてデビュー戦。71年、日本プロレスを脱退後、72年に新日本プロレスを立ち上げ、日本のプロレスに2度目の黄金期を築いていく。76年、モハメド・アリとの対戦は世界の注目を集め、異種格闘技戦の礎を築くなど、その功績は計り知れない。98年、引退。07年に新団体、IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を旗揚げ

吉州正行=取材・文
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堀 清秀=撮影
photography KIYOHIDE HORI

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