堅~いキズナの「堅とも」とは?

第2回 「堅とも」と「友だち」の境界線は?

2011.09.08 THU

堅~いキズナの「堅とも」とは?


「堅とも」と「普通の友だち」の数値の差が大きい項目ほど、そこに境界線があると感じていることになる。

個人情報の共有とホンネのぶつけ合いが「キモ」



ここでは、20歳から34歳までの男女400人へのアンケート(M1F1総研調べ)をベースに、現代の友人関係を見直していきたい。そこで、友達か親友かの2択ではなく、そのあいだに新しいジャンルを提案。ただの友だちほど浅い関係ではなく、親友ほど深すぎない……友達の新しい関係「キズナのある友だち」、すなわち「堅とも」である。ケータイ電話や各種SNSなどの新しいツールの出現は、現代社会の人間関係をちょっぴり多様化させているのだ。

では、堅ともとただの友だちとの境界線はどこにあるのか?

キズナといっても、とらえ方は人それぞれ。友だちに対して自分だけ勝手にキズナを感じてる可能性だってある。こっちは堅ともだと思ってるのに、相手からはただの友だちとしか思われていなければ寂しすぎる。「堅ともならばOKだけど、ただの友だちならNG」という具体的なポイントを聞いてみた。
 
まず重要なポイントは、個人情報を共有できること。(グラフ)「堅とも」と「普通の友達」の境界線は? のグラフを見てほしい。各項目の数値の開きが大きいものほど皆、そこに境界線があると感じているといえる。

125年前、アレキサンダー・グラハム・ベルが電話を発明する以前は、友だちについて知り得る連絡先はせいぜい「自宅の住所」ぐらいだったはずだ。50年ほど前、日本の一般家庭に電話が普及し始めて以降は「自宅の電話番号」が「当たり前にやりとりする個人情報」になった。そして現代。よりふつうにやりとりするのは、「携帯電話」や「携帯メール」。この方が簡単に友だちをつかまえられるし、何の問題もなくつきあえる。

その分、「自宅の住所」「自宅の電話番号」は重要な個人情報として、教える相手を意識的に選んでいる。グラフで「堅とも」と「友達」の差が大きくついているのはそれが理由だろう。一方、比較的簡単に情報を遮断できる「ケータイのアドレス」や、自分で情報をコントロールしたうえでリアルな心情を吐露できる「TwitterやFacebook、mixi」といった新しいツールのアカウント交換は、友達になるための「最初の一歩」としては安全で、かつ都合がいいのだ。

「堅ともにあって普通の友だちにないもの」という問いへの答えも興味深い。(表)上位に挙がっている項目の共通点を一言でいえば「本音をさらけ出せる」こと。つまり前項の「自宅の住所・電話番号」「生年月日」「アカウント」などと同じ傾向が見て取れるのだ。やはり両者を分かつのは、自分の本心みたいな部分を見せられるか否かだといえよう。
語り合える友達、というより、気を遣わなくていい友達。その「気持ちよさ」こそが堅ともか?
これ、逆から見ると非常にわかりやすい。
つまり堅ともではなく、ふつうの友だちの場合…。
「一緒にいて気を遣う」し、「本音で話したり語り合えない」し、「久しぶりに会うと違和感ある」し、「悩みや愚痴を言い合えない」。そして「言葉にしなければ察してくれない」。
 
…なんだか友だちといってもあんまり頼りにならなそうだ。
ただの知り合いとふつうの友だちとの差の調査ではないので、他人を「友だち」と呼ぶことのハードルそのものが下がった可能性も考えられる。だからこそ「ふつうの友だち」と「親友」とのあいだに、「堅とも」が欲しくなるのかもしれない。

つまり、「堅とも」の「キズナの堅さ」は適度に気持ちいいキズナの堅さ。歯ごたえ的にも丁度よいなくらいの、そんな堅さ。というわけで、堅とものそばにはいつもカルビー「堅あげポテト」がしっくりくる。ポテトチップス業界随一の堅さが、ふたりのキズナをより一層、気持ちよくさせるのです。 投稿募集はこちら 皆さんの投稿を募集中!

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