「身のほど知らずな役者でありたい」

内野聖陽

2011.09.15 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真 中川原 寛(CaNN)=スタイリング 柴崎尚子=ヘア&…
群像劇に秘められた
一俳優の役作りの興奮

手元にある資料は50枚あまりのA4のコピーをダブルクリップで留めたもののみ。スタッフの名前や所属する会社、電話番号に続き、登場人物の役名と演じる俳優の名前。最初のシーンは“青い闇”と書かれている。ドラマ『パンドラIII 革命前夜』のシナリオである。

びっくりするほど面白い! あくまでもインタビューの資料なのに、めくる手が止まらなくなる─そう言うと、内野聖陽は「でしょ?」とにっこり笑った。

「なので引き受けさせていただいたところもあって」

内野が演じるのは、内閣官房長官の湯田。海上自衛隊の潜水艦が消息を絶ち、情報の隠蔽を命じられた湯田は、負った荷の重さから“自殺念慮”にとりつかれる。同じころ、アメリカで自殺願望の治療法を確立した脳科学者の鈴木(江口洋介)が帰国。学生時代の友人である湯田に手術を施す。特殊なチップを埋め込まれ、自殺念慮を失った湯田は、完全に変貌する…1話のシナリオは、この辺まで。プレスリリースによると、湯田はこの後、「日本再軍備に向けて、海上自衛隊の鏑木(小澤征悦)とともにクーデターを計画し始める」らしい。政府の動きを訝る新聞記者(山本耕史)や、元妻を殺された刑事(上川隆也)、年老いた革命家(泉谷しげる)、乗客とケンカしてクビになるCA(板谷由夏)など、一見関係なさそうな8人の主要登場人物がパズルのように組み合わさり、物語は展開していく。

「まったく違う“人種”がふとした縁で袖触れ合ってしまうという…その描き方が、非常に現実の人間社会で起こり得そうなシチュエーションを踏まえていて。大人の観客としては震えると思いますよ。人間って同じ細胞を持ったヒト科の動物なのに、環境によって全然違うんですよね。それが今回8種類、違う環境・文化の下で育った同じ種の動物が、ある何かをきっかけにひとつの物語に収束していく。そこに、そそられましたねー」

骨太な群像劇である。誰と誰がどう関係していかなる役割を持たせられるか。全体の絵図が明らかになっていくのを観る楽しみがある。

一方で、ひとつひとつの役柄は単なる“コマ”ではない。俳優が命を吹き込んでこそ、小説で言う“人物が描かれている”ことになる。ドラマとして厚みを増すのである。

「チップを埋め込まれて変身してしまう湯田は、非常に演劇的なキャラクターだと思うんです。それを大人の視聴者のみなさんに、どれだけリアリティを持って観てもらうことができるか。もちろんその際、フィクションとしてのダイナミックさを損なってはいけない。“あり得ないじゃん!”という世界のことをやりながら“あるかもね!”“こんなヤツいたら面白い!”って思わせるのが僕らの仕事なんで、そこには気をつけて演じていますね」

そもそも『パンドラ』というドラマは、現代の日本に実際にある問題をテーマとして描いてきた。1作目は“ガンの完治”、2作目は“食糧問題”。そして今作は“自殺”。年間3万人を超える死者を出している社会問題だ。が、それに加え、変貌後の湯田は、3・11以降の日本に待ち望まれた強いリーダー像を表しているのではないか。

「そこは難しいところですね。日本の政治家でも、過激な発言で有権者の心をつかんでる方がいらっしゃいます。湯田はちょっと違うと思うんですよ。チップを入れたことであらゆる恐怖や不安や臆病さが取っ払われてしまう。勇猛果敢な男になる一方で、あまりに“純化”された存在になる。自殺念慮を抑えるだけでなく、もっとギアが入っちゃったという面白み。“全知全能なる神”みたいな精神構造なんでしょうね。だから現実の政治家がポピュリズムとして、強い言葉や態度を使うのとは違って、彼は本当に心の底から言ってるんですよ」

演説のテクニックや建前ではないのだ。だから現実の政治家をむしろ想起させてはいけない。内野は普段、役作りに際してできうる限りのリサーチをする、だが今回は違うという。

「せいぜい話し方とか言葉の使い方が参考になるぐらいですかね。日本にはかつていなかった政治家だと思います。なので、魂レベルでアプローチしたいなっていう(笑)。そんな野心があります。その純粋さゆえの危険さが出るといいなあと思ってるんですけど。それを僕がどう味わって咀嚼してみなさんにお届けするか…役者魂をそそるというか、ある意味興奮する役ですね」

“落ちたら死ぬ”仕事を
求め、自分を追い込む

演じる前に“味わう”のである。そして“興奮する”のである。内野聖陽は、演じるという仕事を非常に楽しんでいる印象を受ける。

「いや、むしろ“怖い”ですね。細い綱の上を渡っているような“どっちに落ちても死ぬよ”っていうような怖さ。ちょっとでも緊張や集中力のコントロールを失ったら死ぬ。そんな不安の方が大きいです。“このシーンできなかったら、俺は役者として価値がないぞ”っていうぐらいに自分を追い込んで、勝負を賭けます。賭ければ賭けるほど不安が大きくなって、それだけ落ちて死ぬリスクも恐怖も増します。そんなふうにハードルを高く持っていくかな」

でも綱渡りと違って、向こう側についたからといって終わりではない。また新しいロープが現れる。

「“なんとかこの局面乗り越えられた?。ハーッ”みたいな。楽勝でできたことは一度もないですね」

死のリスクも、次の新しい局面も「訪れる」のではない、どうも自ら呼び込み飛び込んでいるっぽい。

「そうですね。以前にやったことのある“引き出し演技”をしてしまいそうな役って手が伸びません。 “何これ、できるの!?”っていうところに自分を追い込んで“俺できねえ、無理だよ!”っていう俺と“できるぞ、やってみろ!”っていう俺とが戦うことになって(笑)。その辺はマゾですね。いや自分に対するサディズムともいえますね」

が、もともと俳優へのこだわりはなかった。今も所属する文学座に入ったのは、大学を留年したのがきっかけ。所属していたESS(英語会)の先輩に勧められたからだし、ESSだってもとはといえば「英語を習得してジャーナリストになりたかったから」。

いつからタイトロープの俳優へと変貌してしまったのか。尋ねると「イヤー、考えたことなかったな。今から考えます」と腕組み。ほんの少しだけ、沈思黙考。

「…昔ね、寺山修司さんが“一点豪華主義”という言葉を使っていて、“そうだよね”って思うところがあったんです。人間、何かひとつ豪華であればいいんだ、って。じゃあ俺にとって“何かひとつ”って何だろうって考えた。僕はもともと“何でもよかった人”だったんです。書道家でも音楽家でも、メディアは問わず、何かを通じて自分の内なるものを外に出したいと思ってました。で、自分でも“何でもいい”っていうのがイヤだったんですね。だからかもしれない。たまたま俳優っていうことに出合っちゃって一番しっくりきて。腰を据えて俳優に取り組み始め、他のことはやりたくないなと思うようになったんですね」

そして自らをダムにたとえる。

「ダムの壁に“役者”っていう穴をひとつ開けます。するとスゴイ勢いで水が出るでしょ? でもいくつも開けると、それぞれの水圧は弱まる。僕という水の容量が決まっているなら、いろんな穴から少しずつじゃなく、一点だけに圧力を集中させてスゴイ勢いで出す生き方がいいなと。そこに“ギリギリで生きてる人間ってすごく魅力的で色っぽくて格好いいぞ”っていう感性がどこからか芽生えたんでしょうね。それで“俺の仕事もそういうふうでいたいぞ”と、だんだんなってきまして」

簡単に分析したらこんな感じになりますかね、と笑った。目の前のタイトロープを渡ることで必死。その積み重ねが、未来をつくる。

「来た役をとことんまで面白くするのが使命だと思ってるので。ただ…なんだろな、年齢にとらわれない、身のほど知らずな役者でありたいなとは思いますね。年不相応な、意表を突く仕事をしていきたいなと思ってる。より面白い作り手たちとの出会いができるように自分を高めていきたいなっていうぐらいで、あんまり…」

未来は考えないですねと、内野聖陽はきっぱりと言った。

1968年、横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部在学中、文学座研究所に入所。97年、座員に。96年出演のNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』で人気を博す。04年のドラマ、実写版の『エースをねらえ!』におけるけれんみたっぷりの宗方 仁や、07年の大河ドラマ『風林火山』での山本勘助役など、常にチャレンジングなキャラクターを演じ続ける。09、11年の大ヒットドラマ『JIN-仁-』の坂本龍馬役が記憶に新しい。12年テレビ東京新春ワイド時代劇『忠臣蔵─その義その愛(仮)』の主演も決まっている。オフィシャルサイトはwww.uchinomasaaki.jp

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真
中川原 寛(CaNN)=スタイリング
柴崎尚子=ヘア&メイク

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