夢はないね

富野由悠季

2012.04.05 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
巨大ロボットアニメで、
なんとか映画を

「少し認識変えなくちゃいけないなー」と、富野さん、頭を抱えた。取材を始めると、リアルタイムで『機動戦士ガンダム』(ファースト・ガンダム)にハマった世代の中心が、今や40代後半だとわかったから。それを5~6歳若く認識していた。

「つまりガンダム世代は今、決定権を持ってるヤツらなんだね」

富野さんがファースト・ガンダムを作ったのは、33年前のことだ。

「ファースト・ガンダムは、僕のなかで初めて“普通の映画”を意識した作品です。テレビの巨大ロボットアニメというジャンルを利用させてもらいながら、普通の映画を作る。同時に、僕自身、普通に映画を撮れる監督になろうと思った。ギャラをもらいながらオリジナルストーリーを作り、映画を作るためのエクササイズにしようと思っていました」

当時37歳。フリーのアニメ監督として、一般人はおろか登場人物も死ぬ『無敵超人ザンボット3』、コメディ演出の『無敵鋼人ダイターン3』などを手がけていた。

「シリアスからギャグまで、自分の演出の幅を試したうえで、ガンダムでは、巨大ロボットアニメを子ども向けに作る意識は捨てて、シリアスに映画らしく作るということをやってみたわけです」

それが化けた、と富野さんは言う。初回放送は振るわなかったが、再放送熱望の声が上がり、プラモデルもヒット、劇場版の製作が決定。

「テレビ版のダイジェストですけどね。本来映画は35ミリフィルムなのに、ファースト・ガンダムは16ミリフィルム。ホームムービーを劇場で公開するようなもので、技術的には相当ヤバかった。だからとにかく構成とテンポで見せようと。つまりお話の面白さですね。その点では、嘘でも映画館にかけられる体裁にはできた」

81年3月14日、劇場版第一作の公開初日は、夜明けから若者たちが劇場に押し寄せた。そして翌日には続編の制作が決まった。

「僕が思う映画って動く画面を使ってお話を作るものなんです。だから、画面を見る能力さえあれば5~6歳から老人まで誰でも観られる。しかも“子ども向け”“若者向け”“老人向け”なんて切り分け方の必要のないもの。そのときはワケがわかんなくても、大人になってから見直したら“なるほど”と言えるような媒体だと思っています。そもそもガンダムは、そういう根本精神で作り始めましたから」

ガンダム以降の33年間は「過酷だった」という。天下の富野由悠季が、満足のいく作品で、名声を残し、ビジネスとして成功させることができなかったのだと。

ガンダムを自由にできる裁量があれば…と言いつつ「ちょうどよかったのかもしれない」と笑う。

「もし僕が営業的な発言権を持っていたとしたら、ガンダムつぶしてただろうな(笑)…というのは、きっと“世界に打って出るぞ! 勝負だ、100億かけろよ!”って、たぶんいまだに100億の借金背負ってた気がする。僕はそっちに行っちゃう人間なんです」

まやかしを吹っ切れ。
自分は何者でもない

「30代から40代の初めまでは“よし、今がチャンス! 行け~”ってできる。けど、70の僕は“20年後どうすんの?”って思ってしまう。20年って膨大な時間だと思うかもしれないけど、あっという間だよ(笑)。もちろん先が見えなくて、どうなるかわからないからこそできることもある」

フェイスブックを例に挙げ、批判し始める。創始者の顔が詐欺師に見えるとか、理系じゃないとか。一方でスティーブ・ジョブズを「技術で勝負する工学系」と称える。

「正しいか正しくないかは関係なく、これは僕の一方的な偏見。“あのジジイがなんかへンなこと言ってたな”って引っかかるのが重要ですよ。若いからこそ勢いでダーッていくのは大切。若さは宝だもの。ただ、今の時流とかメディアに乗ってる情報だけをベースにしてちゃ突破できない。フェイスブックはつぶせない。ザッカーバーグは詐欺師かもしれないけど、これからは技術とか工学的センスだけじゃなくその部分が必要かもしれない。“詐欺師? ダメ!”じゃなくて、“詐欺師? 利用してやれ!”と」

通り一遍の物の見方をしていてはイカンと、怒るのだ。

そして独自の視点から携帯電話会社と電鉄と電気会社と議員を叱る。それは70のジジイなればこそ持てる視点なのか。

「そんなことはないよ。僕なんかアニメの仕事しかやらせてもらえてない、ましてや巨大ロボットものの専従者ですよ。それがこんなふうにつべこべ言ってるのは…」

富野さん、もともと理科系志望だった。子どものころ宇宙に夢中になり、物理やら地学やらを学べばいいものを、“宇宙旅行の仕方”を中学3年間、独学しまくり、結局高校からは文系の道に。でも「どうせなら機械を扱う文科系がよくて、となるとカメラマンとか映画の仕事しかなかった」。日大芸術学部映画学科に行って、必要なのは機械としてのカメラの知識よりも「どういう物語を作るのかが大事と知った」。だが、もとは理系思考。「僕はろくな本にも、ろくな映画にも触れてきてなかったわけです」。それを思い知って卒業。

結果、手塚治虫率いる虫プロに入り、アニメを作る人になった。なりたくてなったわけではなかった。そこで『鉄腕アトム』を演出するのだが、それは中学のころに愛読しつつも、SFだとは認めていなかった作品。

「つまり、いつも自分のいる立場が理系と文系を行ったり来たりしながらブレ続けてきた。だからこそそのつどそのつど“俺の芯ってなんなんだろう”って、考えていたわけです」

芯。つまり固有のもの。自分の才能。ぐらんぐらんに揺れ動いた人生だったからこそ、オノレのあり方を常に俯瞰し続けてきたのだ。

「でもさ、誰にもない自分だけに固有の価値なんてものを持ってるのは、それこそ尾田栄一郎ぐらいだよ。あのくらいの才能がないと、絶対にグーンと行かない。この20~30年の義務教育で“みんなには個性がある”という教え方をしてきたらしいんで。僕を含め、固有の能力のあるヤツなんてほとんどいないんです。でも“ある”と思ってるヤツが若い年代にはいっぱいいる。一番耳の痛い言い方をしましょうか。テレビ関係者向けに言うと、たかが番組のコーナーの取材者でしかないヤツをみんな“ディレクター”って言ってる。あれはレポーターです。デジタルの方の“ディレクター”はオペレーターだよね」

テレビとデジタルだけの話ではない。みんなそう。何もないのにあるように思い込まされているだけなのだと、富野さんは言う。

「だから、大事なことなんだけど、まず、自分が凡庸な能力しか持ってないということを覚悟しろと。社会と世間とに紛れ込んで自分自身のポジションを獲得していく方法しかない。ほとんどの人は成功しない“普通の人”なんです。ここにしかいられない自分がどうするか。我を出すということが一番いいわけでは必ずしもない。協調性だけを守っていけばいいのか、それはそれでのたれ死にするだけ。そういう状況を把握したうえで、階段を上っていく。言っておきますけど、25歳から上の世界って、気持ちのいいことなんてほとんどないですよ。じゃあどうするかというと、そこでいかにガマンして右と左のヤツをつぶすか。そういう気概がないとネクストはない」

これは、オノレの真の姿と向き合おうとし続けてきた70のジジイの実感。それでもあえて「夢」を尋ねてみたら、「ない」と即答。

「ホントは、世界中の人に僕の話を聞いてほしいんだけど、僕には今それだけの言葉がないからね。死ぬまで勉強をするしかない。その気力を持続できる自分でありたい。…あ、それと、最近読んだ本で初めて知ったんだけど。日本って明治維新以降、ずっと“家”の体制で国家を運営してきたのを、福島と津波の問題があったせいで、近代化せざるを得ないと。その新しい体制を見たい。できれば、そこで人がどう生きていくかのハウツーを提示したい。アニメという絵空事の世界を考えて大風呂敷を広げてみたために、国家論とか組織論を考えることが好きになっちゃったんだね。だからホントはネーチャンにハマりたいんだけど、この歳になるとハマらせてくれない(笑)。そのかわりに国体をどうするかというところに萌えるという…(笑)」

てゆうか、夢だらけじゃないか。

1941年、神奈川県小田原市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、虫プロダクションに入社。『鉄腕アトム』の演出を手がける。退社後、CM制作を手がけ、フリーに。72年『海のトリトン』の監督。74年『宇宙戦艦ヤマト』に絵コンテで参加。77年『無敵超人ザンボット3』総監督、78年『無敵鋼人ダイターン3』総監督、79年『機動戦士ガンダム』総監督。『伝説巨神イデオン』『機動戦士ガンダム(劇場版)』『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』『機動戦士Ζガンダム』『機動戦士ガンダムΖΖ』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』など。2005~06年にかけて『Zガンダム』を3部作で劇場映画化。

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

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