今、目の前にあることを片付けていく

松重 豊

2012.10.18 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 サコカメラ=写真
食べることに向き合い、
想像力を喚起する

うまかったですか? と尋ねると、松重さんニッと笑った。

「うまかったですよ。あのー、卵もごはんもどこかの特別なものを使ってるんじゃないと思うんですけど、なんとも良くてねえ」

中野区沼袋の焼肉店である。テーブルの上には卵かけごはんが入っていたとおぼしき大ぶりの茶碗。これはサブ。メインの肉の方にももちろん名物があるのだが、そっちは放送で確認されたし。

ついさっきまでここでドラマ『孤独のグルメSeason2』の撮影が行われていた。

原作は久住昌之(原作)と谷口ジロー(作画)の漫画。1話8ページ、個人で輸入雑貨を商う主人公・井之頭五郎が、出先で腹をすかせてメシを食う。ただそれだけ。

今年の初め、このドラマの第1弾が始まるとき、オファーを受けた松重さんはめっちゃ考えた。

「久住さんの原作は面白いなーと思っていて。で、食べ物以外の情報量は決して多くないんですよね。個人で商売している男が食事をしに店に行ってウマイだマズイだと言ってるだけ。これをホントにドラマにできるのかっていうところに興味がありました」

実際には言いさえしていない。味やら店の佇まいやらについて独白。その間、五郎=松重さんはひたすらメシを食うだけ。

「どうも“ドラマドラマした”感じで演じることのイヤさがあるみたいで。ドラマだと、演者がセリフで何でも説明しちゃうでしょ。そうじゃなくて、役者の表情や目線の動かし方なんかで、そこを想像してもらう。最小限まで削ぎ落とした表現で何かを語って、お客さんが“ああ、なんかいっぱい考えたなあ”って満足できる。映画や演劇ではその余地はまだまだあるんですが、もしドラマでそういうことができるのであれば、面白くなりそうだと思って」

始まった当初は不安だった。実在する店で、実際のメニューを食べる。店の主人は役者が演じるが、料理を出す段取りは本当の店の人がきちんとしてくれる。

「ホントに僕は食べるだけ(笑)。誰が面白がるんだろうって」

いや、面白いのだ。夜中の放送でオジサンが黙々と食べる「汁なし担々麺」「豚ロースにんにく焼き」「スパゲティナポリタンとごはん」「しょうが焼目玉丼」「飲み屋さんのカレー」…たまらんじゃないですか!

「それでいいんだ、と気付かされてからは、毎回僕はできるだけおいしそうに食べればいいんだと。これは意外と、普段、脇でドラマに出ているときと変わらないんですよね。赤身肉という主役の方がいて(笑)、それをどんな角度で見せて、どんなタイミングで僕の口に放り込めば光り輝くのか。僕は一応、人間の方のメインですけど、このドラマの主役は食べ物」

そのためのドラマなのだ。

「普通のドラマの場合、食べるシーンでもセリフをやり取りして物語を進めるので、その段取りを優先して食べます。バラエティ番組では食べたものの感想を求められるから、コメントを計算しながら食べていたりする。食べることにいろんな要素が付随して作用するんです。でもこのドラマでは、食べるときには、ただ料理と向き合えばいいんです」

リアルなリアクションに、台本にあるモノローグを意識した最小限の表現。ウマそう感はグルメ番組よりもグッとくる。お客も店の人も、五郎も、なんだかそういう人がいるように見えてくる。

パート2の苦悩。
松重豊・超真面目説

シーズン1の大好評を受け、いよいよシーズン2が決定! だが松重さんは躊躇したという。

「“パート2”ですから。パート2って前作をなぞろうとしたり油断があったり慣れがあったり…そういうところが次々出てきてダメになる。そんな現場をいっぱい見てきました。だから最初から“パート2はダメになる”って覚悟で臨まないと失敗すると思うんですよね。今も、そういう気持ちで来てます」

それでも受けたのは、替えの利かないポジションだから。ただ、やると決めてからは、考えに考えた。モチベーションをいかに保ち、どう平常心でいるのか。欲を出しすぎず、だからといってネガティブになることなく取り組むにはどうすればいいのか。考えに考えて…。

「そこからまたゼロに戻して、前とおんなじようにやろうと。イヤなこと全部考えて掘り下げて、そのうえで全部捨てて、“何も考えずにやっちゃおか”って。そこまで持っていってからやらなくちゃいけないと思ってるんです」

それにしても超売れっ子である。同じクールで別の連ドラに出演するほか、来年の大河ドラマと映画を並行して撮影中。このひと月で会津、那須、四万十を飛び回った。沼袋の前日は北海道。でも若い頃の方がしんどかったという。

「30代前半の3年ほどは舞台と舞台を掛け持ちしてやってました。年に6~8本出てましたね。そうなると、夜に本番をやりながら昼間は次の舞台の稽古に行かなくちゃならないような状況」

なぜそんなことになっていたのかというと…。

「生活苦ですね」

松重さん、大学時代は三谷幸喜率いる東京サンシャインボーイズで芝居をしていた。卒業を機に、オーディションで蜷川幸雄のスタジオへ。3年半みっちり鍛えられた後、そのまま職業俳優になることに疑問を抱き、廃業。正社員として建設会社の現場作業員になり、1年半が過ぎた頃、かつての芝居仲間だった勝村政信から声を掛けられた。当時27歳。

「“1本だけやんねえか?”って。ちょうど結婚資金も貯めて、休みも取れる時期だったんで、1本だけ舞台やって現場に戻ったんです。そしたら事故があって労災関係でもめましてね、会社辞めなきゃならなくなったんです。そのときに相談した相手と事務所を作ることになりました」

今度こそ俳優でごはんを食べようと決意するも、バイトで生計を立てる日々が続いた。

「30歳ぐらいのとき、石屋で働いてました。早稲田のでかいホテルの地下の駐車場造ってて。トラック1台分の砂を運べと。中国人の留学生の方ふたりと運んでたら、“やっぱりこっちへ戻して”って言われて。しばらくして“やっぱり運んで”と。そこで留学生の方は帰っちゃいました。で、俺一人になって、何時間もかけて砂を戻しました。それから“角スコ”っていう、砂をすくうシャベルをバーンってぶん投げて“俺はもう二度とバイトしない!!”って(笑)。子どももいたんで、女房にも言って、事務所の社長に言ったら “じゃあ舞台入れます”って」

“年間6~8本”は、俳優だけで家族を食べさせるためだったのだ。この当時、体はボロボロ。血尿が止まらなかったという。ただ、誰かが観ている。34歳で大河ドラマ『毛利元就』に出演することになった。そこから徐々に映像の仕事も増え、スタンスが変わった。

「“面白そう”という理由で芝居をやれるようになりました。生活に関しては、他の仕事でなんとか回せる状況になってきたんですね。そうしてやり始めると、映画でもドラマでも、その都度新しい興味が出てきて、まるで新しいおもちゃが増えたような気分になったんです。役者という立場から考えると、舞台と映画とテレビというトライアングルを行き来するのが、すごくバランスがいいと思っていて。この10年は、まあまあうまくできていて楽しいですね」

では、この先は…。

「わからないですねえ。去年ぐらいから、未来は語れなくなってません? 俳優は時代に対する鏡となるものである思っているので、今の50代のオッサンを演じるなり、今のオッサンの目を通した歴史上の人物を演じるなり…できるのは、“今を映す”ということぐらい。今、目の前にあることを片付けていけば、未来につながっていくんじゃないかな」

最後に、幸せな瞬間を尋ねると、「今日みたいに撮影を終えて、“お疲れさん”て言って、家に帰ってビールが飲めれば、それが至福の瞬間です」と言った。

1963年、福岡県生まれ。明治大学在学中に東京サンシャインボーイズで舞台に立つ。卒業後、蜷川スタジオに参加。1年半の休業を経て、俳優業に復帰。初期三谷作品から蜷川作品、ザズウシアター、第三舞台など、83年から約30年にわたり、とぎれることなく舞台に出続ける。映画デビューは27歳で出演した『地獄の警備員』。光石研、役所広司、宮﨑あおいと共演した『EUREKA』(01)を印象的な映画に挙げている。10月期からはフジテレビの『遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~』にも出演。現在、映画『アウトレイジビヨンド』も公開中。『孤独のグルメSeason2』のウェブサイトはwww.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume2/、スクエアな写真が見られるオフィシャルブログはhttp://matsushige.cocolog-nifty.com/blog/

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