若い選手の活躍の手助けを…でも、今はひと休み

金本知憲

2012.12.20 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
現役との区切りのため、
なんて関係ないのだ

40歳を超えて故障し、肩はボロボロ。ボールを投げ、バットを振るために必要な肩の4つの筋肉は、ひとつが半分ほど切れて、ふたつが出血を伴う肉離れ、残りのひとつも「梅干しみたいに波打って半分くらいの大きさになっていた。しかも神経障害が出て、筋肉が萎縮していたのだ」という。

とにかく即手術、という状態だったらしい。いや、たとえ手術しても、同じような状態から復帰した選手はいない。そう医師は言ったという。でも、当時42歳だった金本知憲は、メスを入れずにリハビリしながらプレーする道を選んだ。手術をしたら1年を棒に振ることになるから。

連続試合フルイニング出場:1492試合。連続イニング出場:1万3686イニングというふたつの世界記録を打ちたて、大卒選手としては史上初めての2500本安打を達成し、今年秋、金本知憲は21年間の現役生活を終えた。

金本は、知られざる壮絶なケガとの戦いや引退の決断までをつぶさに書いた『人生賭けて~苦しみの後には必ず成長があった~』という自伝を出版した。

「復帰は無理、手術以外無理、手術してもむずかしいというケガの中で、復活しようと一所懸命、不可能を可能にしようとチャレンジしてきたことを伝えられればいいかなと思ったんです」

そう、そしてたぶんこの本は現役に区切りを付け、次に踏み出すためのピリオドでもあるのだ。

「いやあ…次のステップといっても、まだ全然実感はないですね。今は、探り探りいろいろなことをしている段階。とにかくすごく精神的にラクですね。なにしろトレーニングをまっっっっったく、していないので(笑)」

今はおもにテレビやラジオに出たり、インタビュー、関係各所へのあいさつまわり、お食事会などなど。その辺は現役中のオフとかわらないのだが…。

「現役のときはそのなかでトレーニングの時間を捻出してましたからね。オフは休むのではなく次のシーズンへの準備期間。これは若いころからずっと自分で決めていたことです。他の選手たちが休んでるときに動かないと差を付けられないですからね。とくにここ5年は、膝を2回手術したし肩も壊したので、リハビリもしなくちゃならなかった。今年はそれがないので、ホントに気楽ですよ」

新たなステージは野球解説。展望を尋ねたら「全然考えてないんですよねえ」と笑った。

「調子を崩し始めたら揚げ足とる解説者もいますけど、そういうときこそ、いいところを見つけて褒めてあげたい。逆に調子が出ているときには、そのままではいけないような点を見いだして戒めるような、そういう見方ができればいいなと思っています」

将来的には指導者を目指すのかと尋ねると、うーんと唸った。「アマチュアの選手がプロに行ったり、2軍でくすぶってる選手が1軍で活躍できたりするための手助けができればいいかな。トレーニングの仕方とか技術とかコンディションの保ち方とか、現役中に自分が得た財産を分け与えるような。それがコーチなのか監督なのか、アマチュアの指導者なのか、まだぼんやりしてます」

ちょっとビビリで末っ子、
だけどアニキはアニキ

金本には甲子園の経験はない。しかも1浪している。東北福祉大では全国優勝を争ったけれど、92年に広島カープに入団したときドラフト4位。入団当時は身長180cm、体重78kg。非力だけど俊足の外野手という位置づけだった。そして2年間芽が出ず。

「早出とか居残り練習に参加できる、特別強化選手にも呼んでもらえず、寂しくて悔しくて、使ってもらうには“振る力”が必要だと思っていました。筋力トレーニングでカラダを大きくし、とにかくバット振る。オフをそのために使い始めたのはこのころから」

筋トレについては“他の選手があまり来ない”シーズン中にもジムに通う、ということをした。

ある程度、クビも覚悟しつつ、「地道にトレーニングを続ければ3年目にはなんとかなると信じていた」という。そしてそのとおりになった。山本一義コーチとの出会いで、苦手の左投手のカーブも克服。3年目には90試合に出場、17本塁打をマーク。

「結局、30代前半まではずっと、2~3年後の自分のために練習してきましたね。レギュラーで出るようになっても、見ているのは2~3年先。というのも、若いころは厳しい練習してバット振って疲れてもなんとか持つんですよ。その日のことももちろんだけど、この先もずっとプレーするための下地づくりに費やしました」

なぜなら「交代の要らない選手」になりたかったから。

「代打も代走も守備固めもいらない、コイツさえ出しておけばフルイニング出て仕事をしてくれる。そんな選手がいれば監督はよけいな戦術を考えなくて済みます。使う側はラクでしょ? 僕は“ずっと出続ける”ことが計算できる選手になりたかったんです」

金本は自身のことを「ビビリ」だという。使われなくなることに恐怖心があるから、つねに2~3年後に向け準備をする。でも、その日にも試合はあり、いい成績を残せなければ、そもそも“先”なんて来ないのだ。ただ、金本の場合、“今日”のことは“2~3年前”にすでに考え済み。そのための蓄積はなされている。だから大丈夫。「ビビリ」であると同時に「楽観主義」でやってきたのだという。

「要はバランスのとり方です」

かくしてカープの4番に君臨し、03年にはFAで阪神タイガースに移籍、リーグ優勝。05年にもリーグ優勝、MVPに輝いた。

「もう先はいいだろうと、未来よりは、その日の試合に全力をぶつけようって考え始めたのは35~36歳でした。それでも先のことは考えてトレーニングするんですけど(笑)。すると結果的に打つ方はそこからぐあーんと伸びました。それが最初からわかっていれば、もっと早くから目の前のことに取り組んだのに!(笑)」

実は繊細で細心。実生活では末っ子で「アニキ」と呼ぶ側の立場(お兄さんからは「トモ」と呼ばれているらしい)。それでもやっぱり、金本は「アニキ」なのだ。

04年7月29日の中日戦。左手首にデッドボールを受け骨折。にもかかわらず、次の打席では右手だけでヒットを放ち、3日後には連続試合フルイニング出場の日本新記録を打ち立てた。骨折したら会社でも1日ぐらいは休む。でもアニキは困難に打ち勝った。

08年5月7日の巨人戦では頭部にデッドボールを受けながら、次の打席でホームラン。しかも翌日、投げた木佐貫に「気にするな、これからもぶつけるつもりで投げ込んでこい」と言葉をかけた。

「中日戦は記録目前だったから、岡田監督が出してくれたんやろと思ってたんです。あとで聞いたら“そんなの関係ない”と。“オマエだから使ってるんだよ”って言われました。岡田さん1年目で、チームが前年度優勝なのに波に乗り切れてなかったんですよね。僕、4番だったし、外せなかったんじゃないかな。ホントは半端じゃなく痛くて、出られる状態じゃなかったんですけど(笑)」

やはりアニキだ。

「木佐貫のホームランはまぐれですよ。狙って打てるもんじゃない。木佐貫もわざと投げたわけじゃないし。危険球をきっかけに内角を攻められなくなってダメになるピッチャーを結構見てきたので。ここでつぶれてもらっちゃイカンなと思っただけ。次の日、謝りに来たから“全然なんともない。でもインコースに投げれんようになるのはダメやぞ”って」

まさに、アニキだ。だからこそ、これからどう動くのかがすごく気になるのだ。が…。

「正直、今は、引退して“うれしい”っていう部分が大きいですよ。現役時代は2割3割の“甘い蜜”のために7割8割の苦しいことに耐えてきたってよく言うんですけど、これからはそんな蜜はないのかな(笑)。21年間息継ぎなしにずーっと泳いできて、いまようやく陸に上がって酸素入れてるところなんで。先のことは、ちょっと待ってください(笑)」

1968年、広島県生まれ。180cm、87kg。91年広島カープにドラフト4位指名。03年、FAで阪神タイガースに移籍。MVP(05年)、ベストナイン7回(95年、00年、01年、04~06年、08年)、日本シリーズ敢闘賞(03年)、1492試合連続フルイニング出場のプロ野球新記録を達成し連盟特別賞。今年、21年の選手生活にピリオドを打ち、特別功労賞を受賞。オフィシャルサイトはwww.aniki-mi6.com

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

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