何もしゃべっていないのに、わくわくさせる落語家に

林家正蔵

2013.01.17 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
正蔵師匠、「ご縁」の
不思議さを語る

「ええと、大丈夫でした?」

その部屋は手前が取材スペースに当てられていて、奥が出演者の楽屋になっていた。係の人に誘導されて現れた林家正蔵師匠、楽屋に入ったかと思うとひょいと顔を出す。

「あ、お時間までお休みください」という係の人に「いや、せっかくだから始めましょうよ」と師匠。

予定時刻より20分ほど早く始まった取材での、師匠の最初の言葉が冒頭のひとことだった。

「並いる俳優さんたちの間に僕がポッと入ってるでしょ? まぁ監督はあて書き(演じる俳優を想定して脚本を書くこと)してくださったということで、“作らずに地のままでやってください”って言ってくださったんですが…」

山田洋次監督生活50周年記念作品『東京家族』に出演している。東京で暮らす子どもたちに会うために瀬戸内からやってきた老夫婦が、東京で過ごす数日間を通して、家族のあり方や別れ、老いのその先にあるもの、希望を描いた。この作品、『東京物語』へのオマージュでもある。1953年の小津安二郎が監督した不朽の名作。イギリスの雑誌『Sight & Sound』が10年ごとに発表する様々な映画のオールタイム・ベストで、昨年夏「世界の監督が選ぶ部門」の一位に輝いた。

正蔵師匠は、現在50歳。林家正蔵を襲名したのは、05年。それ以前、とくに90年代は林家こぶ平の名で、テレビタレントとしての活躍が華々しかった。だから意外なのだが、実は俳優として演技をすることはかなり稀なのだ。

声優としては、ときどきアニメや映画に出演する。『タッチ』の松平孝太郎という当たり役もある。

「いやあホント、ご縁って不思議ですよねえ」としみじみ言う。

実はそうした「ご縁」で俳優として本格的に活動しそうになったことがある。高校1年生で、爆笑王と呼ばれた父・林家三平に入門。だが80年代前半、林家こぶ平は、あの「ワハハ本舗」の旗揚げメンバーに名を連ねていたのだ!

「その話、しますか(笑)。これが実に面白い出会いでしてね。僕の周りには実にカッコいい大人たちがいたんですよ。高田文夫に喰始に高平哲郎という、そういうオジサンたちがみんな一斉に言いました。“オマエは海老名家(=実家)を出ろ”って。噺家の小さなところにじっとしていないで、いろんな大人の世界を知れ! オマエのオヤジもそうだったぞ! と」

青年座の映放部に籍を置いていた関係で竹中直人と知り合い、放送作家の喰始を紹介され、居候することになった。留守番をしながら、東西の芝居や映画のビデオを観、ゴールデン街へ連れられ、つかこうへいの舞台を観た。

「居候といっても“門限付き”で、終電で家に帰る居候(笑)。そのうち、いつの間にか喰さんが『ワハハ本舗』っていう劇団を主宰するから“やってみろ!”と」

新宿の『タイニイアリス』という小さな劇場で旗揚げ公演。こぶ平青年、舞台で尻を出す勢いで熱演。たまたま近くの寄席『新宿末廣亭』に出ていた先輩がそれを見て、「どうやらこぶちゃんが芝居やってるらしい」とご注進。

「うちの一門はシモネタ禁止だったんです。それで呼び出されて“こぶ平! オマエはシモネタを取るのか、林家を取るのか、はっきりしろ!”って(笑)」

ワハハ本舗でのキャリアはそこでついえた。だが、タレント・林家こぶ平としてのブレイクは、このときの様々な「ご縁」によるところは大きい。で、今回の映画出演も、元を正せばここにつながっている、と言えないこともない。

落語に打ち込み、襲名。
今なお実感する“冥利”

25歳で真打に昇進するも、こぶ平としてブレイクしすぎたおかげ(せい?)で、タレントとして見られることが多かった。そんなある日、春風亭小朝とともに京都のある飲み屋さんに行き、三味線で伴奏されるも粋な小唄ひとつ歌うことができないという体験をする。そのときお店の人に「まだ芸人さんじゃないね」と言われて一念発起。

「踊りを一所懸命やり、小唄では名取も一応取りました。落語にももっともっと本腰を入れて、その後の下地づくりを始めたんです」

落語をより充実させるため、積極的に新しい噺を覚えていたとき、どうしてもやりたかったのが『頓馬の使者』。山田洋次監督が5代目柳家小さんのために書き下ろした作品だった。

「許可をいただくために監督にご連絡して、松竹の本社でお会いしました。そしたら“いろんな人がやってどんどん形になっていくのが落語だから、どうぞおやりください”と。落語の師匠にやるように、覚えたときの“アゲの稽古”も監督の前でやって、それでご縁が切れるかなと思ったんですが…」

正蔵襲名の年に、突如『武士の一分』への出演オファーが舞い込む。だがこのときは襲名全国ツアーのため、泣く泣く断った。

「それが今回また、わざわざ下町までお見えになって“新しい映画に出てみませんか”と。主要なキャストのところには自ら足を運ばれるそうなんですね。そのときに『友永』っていう小さなお菓子を持ってきてくださって“ぜひよろしく”って…。“永い友”って意味ですよ! カッコいいですよねえ。ありがたくお引き受けしたいけれど、一方でドキドキもしていて。ただ、すべてを監督にお預けして、できる範囲の最大の努力をすればいいんじゃないかと」

キャスト全員が口をそろえるところだが、撮影中の指導はえらく厳しかったらしい。

「撮る前のリハーサルは、もうそれこそ何べんも何べんも。納得されるまで“はいもう1回”って。でも、それがだんだんとありがたくなってくるんです。山田洋次という大監督がつきっきりでずーっと演技を指導してくださるわけですから、こんな贅沢な時間はないでしょう(笑)。ダメ出しも全然つらくない。そこは逆に落語で慣れっこですから」

『変わり目』という話をある師匠に習ったとき、「大将!」と呼びかける台詞が何度やってもうまくいかない。師匠によると「夜が出てないよ」っていうことらしい。

「師匠が“大将!”ってやると、電灯の薄灯りの寒いなか、お客を待ってる車屋の一声になるんですねえ。その“大将!”だけで稽古が終わっちゃうこともありますから。この映画では“いらっしゃい!”をアフレコで30テイクぐらい録りましたね(笑)。最終的に6回目ぐらいに録ったのをハメたんですが、違うんです。声も音も明るさもそれじゃなきゃいけないってわかるんですね」

未知といっていい俳優の世界で、ポケットに新しい何かを入れるようなことができたのだという。

「この年になっても学ぶことがたくさんありすぎて、面白くてしょうがないです。生業ってそんなもんですよね。ツライこともいっぱいあります。覚えなくちゃいけないこともいっぱいあります。まだまだできないことだっていっぱいあります。ご批判もおほめの言葉もいろいろいただきます。ただ、1つずつポケットの中に何かを入れられる伸びしろがある、ということが実感できる。山田監督の演技指導がうれしくなってきちゃうような…何でしょうね“イヤだ!”とか“マイナスだ”と思ってたようなことが、自分の中を通るとプラスだと思えるようになってる。それが楽しい。今の自分が楽しいし明日の自分も楽しいだろうし、10年後はこうなりたいなと思えるし、まだまだこんなことがやってみたいと思ってしまう。そう考えるとなんだか商売冥利に尽きますよ!」

撮影中、山田洋次監督と落語の話をたくさんしたという。

「“正蔵くん、落語家ってなんだろうね。あなたが舞台に出てきて座布団に腰を下ろしてお辞儀をして、すっと顔を上げたときに、『今日はどんな話をしてくれるんだろう』って、まだ何もしゃべってもないのに、何かわくわくさせてくれる。そんな落語家っていいよね”っておっしゃいました。“そうなってもらいたいよね。正蔵くんならそうなれると思うし”って。監督のその言葉が、今の僕の宝です。きっと自分が目指しているところもそうなんだと思いました。僕が学生のころ、客として寄席にいて、憧れの師匠たちを見る気持ちってそうでしたもん! そんなわくわくさせるような存在に、なりたいですねえ~」

1962年東京生まれ。78年、父である林家三平に弟子入り。88年、最年少で真打昇進。05年、九代林家正蔵襲名。国立花形演芸大賞古典落語金賞、浅草芸能大賞奨励賞等を受賞。落語はもちろん、タレントや俳優、司会など、幅広いジャンルで活躍。12年のNHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』ではナレーションを担当。『あらしのよるに』(05年)、『グスコーブドリの伝記』(12年)など、アニメーション作品での声優としての活躍も目立つ。1月からの新ドラマ『ハンチョウ~警視庁安積班~』(TBS系毎週月曜20:00~)に出演中

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

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