僕にとってあまり必要じゃない。大切なのは“今”

渡辺 謙

2013.02.07 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真 馬場順子=スタイリング 筒井智美(PSYCHE)=ヘア…
舞台がやりたかった。でも、
舞台に出るのは、怖い

渡辺 謙が舞台に出る。

舞台に興味がない人でも「おお!」と思うでしょ? 「謙さん、ナマで観ない?」で、多くのデートの誘いもうまくいきそうだ。

「実は僕自身、ここのところ、そろそろ舞台やりたいなって漠然と思っていたんです。でも、かなり久しぶりだったもので“じゃあどうしてやるんだ?”って、舞台の意味みたいなものを過大に感じてしまっていたんです。“せっかくやるんだから”っていう意識で、どんどんハードルが上がってしまった。僕だけじゃなく、お話を持ってきてくださる方も、たぶんおんなじように」

そりゃ制作する側にしても、めったなものは持っていけない。謙さんの側も“ずっとやっていなかった舞台をやる理由”を求めてしまう。そんな意識のせいか否か、互いにお見合いのような状態が続いてかれこれ3~4年。

「うちの嫁さんは平気でばんばんやってるんですよ。そんな一番身近な人が、舞台の仕事に入って、俳優としての非常にイキイキとした瞬間を味わってる(笑)。それで触発されるんだけど、腰が重くなってて。そういうタイミングでお話をいただけたんです」

三谷幸喜が作・演出の新作『ホロヴィッツとの対話』である。謙さんが演じるのは、20世紀の偉大な音楽家たちを支えた調律師、フランツ・モア。彼が仕える天才ピアニスト、ホロヴィッツ役に段田安則。そしてモアの妻に舞台初出演の和久井映見、ホロヴィッツの妻に高泉淳子という4人芝居。どうやらすごいコメディらしい。

「三谷さんとは、仕事はそんなにご一緒してないんですが、彼が(東京)サンシャイン(ボーイズ)をやりながらもテレビの脚本を書き始めたぐらいのころからよく知ってるんですよ」

1992年、三谷脚本のドラマ『君たちがいて僕がいる』で、腕利きの実演販売人を演じている。

「僕のことをよく理解してもらえているので、おそらく今までの僕の感じではないところを相当狙ってこられると思いますね」

誰も見たことのない渡辺謙が見られるかもしれない。三谷さんは、なんとこの舞台の謙さんを、クリント・イーストウッドとクリストファー・ノーランに観てほしいと述べている。

「ハハハハハハハハ(笑)」 

愉快そうに笑いつつも、いよいよ現実のものとなる舞台には恐怖を感じているという。

唐十郎作・蜷川幸雄演出の舞台『下谷万年町物語』で、81年にデビュー。その後、「演劇集団 円」で20代の多くを過ごした、そもそも舞台の人。だから「お客様の前に身をさらす怖さは、実感としてすごくわかっています」。

それを乗り越える喜びがあるからやるのかと尋ねると、謙さん、ニヤリと微笑んだ。

「まあ…Mなんですね(笑)。でもそれは舞台にかぎらず。映画でもクランクインの前日には眠れませんし。あらゆる仕事に恐怖感はあります。どこか崖っぷちのようなところに立って、監督・共演者・スタッフを信じて、一緒に手をつないで飛び降りる、みたいなところがあるわけです。もちろんただただ苦痛だけならそんなことやりませんよ(笑)」

だが、飛び降りるまでにはとにかく綿密に綿密に準備を重ねた。そして、崖から足が離れる前に全部捨ててしまう。でなければ、飛び降りることなどできなかった。

「うん、今まではね」

どこにでも連れてけ。
自然と変わるスタンス

「この間、李相日と映画を撮ったとき、すべてを委ねてみようと思ったんです。それで2カ月半過ごしてきた。今回の舞台もそうだな。演出も含めて、三谷さんが作ってくれた世界に、どこまで身を浸していくことができるか。そんな作品になると思うんです。2013年って、“僕が何かをする”というよりは“どこかに連れていかれる”“何かに引きずり倒される”みたいな、そういう年になるような予感がしています。全然ロジカルじゃない選択だよね(笑)。引きずり回されてみるのもいいな、アンコントローラブルな方が、楽しいんじゃない? みたいな」

仕事の多くが、やりやすい環境になりすぎたのかもしれないと自問する。今回は“パルコ劇場の渡辺 謙”だけれど、普段はやっぱり“世界の渡辺 謙”だもの。

「どうしてもキャリアを積んでしまったりすると、プロデューサー的な立場も兼ねて作品に参加することになりやすい。そうなるとよけいなことをしちゃう。自分で自分にタガをかけてしまうようなところがやっぱりあって。それを、監督や三谷さんを信じて、手を引かれるままに暗闇を歩いていく方がいいよな。そっちの方が面白いなって、たぶんどこかで思ったんだろうね」

とはいえ、若いころから未来のことは考えてこなかったという。

「病気で休んだという負荷があったからかもしれないですが、若いころから長いストロークで人生を考えたことはないですね。一番近々にあること、手前にある山をどうやって登るか。どう降りてくるか。それに腐心している間に5年が過ぎ、10年が過ぎ…。でもさ、そんなにみんなビジョンってあるのかな? 組織を作る人とか、経済の枠組みの中で何かを積み上げていくような人ならまだしも、僕ら“自分”だからね。いくら長いスパンでものを考えても、自分がどうなるかなんてわからないもんなあ」

では“ちょい先”は? この舞台の前は北海道で過酷な映画の撮影に臨んでいたというが、“次は三谷幸喜の舞台だ”ってふと、ほんの一瞬、ちらりと思ったりするようなときはあったのだろうか。

「いや、全然(笑)。全ッ然です。とにかくこれを生き抜いて帰るにはどうすればいいかということを毎日考えてました。今回は撮影環境も厳しかったけど、それとは別に、1つの作品では誰か1人の人生を送るわけです。そういう意味でいうと、やっぱり役に対しての姿勢は“演じ抜く”というよりは“生き抜く”って考える方がしっくり来るかな」

ただ、まあ意識するとせざるとにかかわらず、大きな舞台に出たあとの渡辺 謙には何かがある。それは歴史が語っているのだ。

85年、山崎努主演の舞台『ピサロ』に出演した少し後、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』に主演。山崎 努との師弟関係は今も続いているし、『ピサロ』の翻訳者・伊丹十三の映画『タンポポ』でも、山崎演じるトラック運転手・ゴローの弟分・ガンとして共演。その12年後に、三谷幸喜の映画監督デビュー作『ラジオの時間』にも、あの、ガンを思わせるトラック運転手役で登場している。

そんなことをつらつら考えれば、今回の舞台のきっかけを、28年前の『ピサロ』にまで遡ることができるといえなくもない。

ちなみに前回の舞台に出演したのは12年前。その後にやってきた節目といえば…そう、あの『ラスト・サムライ』だ。

『ホロヴィッツとの対話』の後、何か新たな節目が来る予感があるかと尋ねてみたら…。

「ここ何年かはずっと、目的地のわからない旅を続けていた気がします。その作品で連れて行かれたところが目的地。船や汽車に乗るチケットはもらうけど、行き先は書いてない…。そういう旅は、作品が人の目に触れたときに終わる。それが今回は、そもそも何に乗るのかすらわからない(笑)。さっき言ったことに重なるかもしれないけど、今、そんな感じがしてるんですよね」

仕事の一つひとつは次に行くためのステップなどではないと言う。謙さん、旅にたとえる。出かけていったら、また家に帰ってくる。そしてまた出かけていく、旅。

「先への見通しがあると、それに制約されて僕はダメだな、たぶん。もちろん素敵な先輩やかっこいい先輩は、たくさんいらっしゃるから、漠然と“こうなりたいよね”とか“あんなことが言える70代になりたいな”とは思うけど、それに向かって具体的に何かをするようなことはないですね…」

軽くうなずいて、付け加える。

「僕にとって未来ってあんまり必要じゃないのかもしれない。大滝(秀治)さんが正しいと思うな。役者は、過去でも未来でもなく、“今”。それがたまさか積み上がっていくだけの話。役者は生き物…つまりナマモノなんですよ。そりゃ、未来の…“先物取引”なんてことはできないよね(笑)」

1959年新潟県生まれ。81年、俳優としてデビュー。演劇集団 円において数多くの舞台に出演。20代半ばごろからはテレビや映画にも進出。そして87年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で大ブレイク。30歳のとき、大病を患い、一時休業するも生還。ドラマや映画に一層の活躍を見せ。03年の『ラスト・サムライ』出演を機に海外の映画界にも進出。『硫黄島からの手紙』『インセプション』などに出演。本年9月には、本文中で触れている李相日監督作『許されざる者』が公開される。まもなく開幕する12年ぶりの舞台『ホロヴィッツとの対話』の詳細はwww.parco-play.com/web/play/horowitz/

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真
馬場順子=スタイリング
筒井智美(PSYCHE)=ヘア&メイク
衣装協力:エルメネジルド ゼニア(ゼニア カスタマーサ-ビス:03-5114-5300)

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