お客様の心を動かし続ける

中村勘九郎

2013.03.07 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 サコカメラ=写真 寺田邦子=スタイリング 宮藤 誠(Feliz Hair)…
誰が観ても楽しめる
歌舞伎の入り口に

席に着くと、勘九郎さん自らお茶を振る舞ってくれた。紙コップを手にして恐縮する一同に「いえいえ、どうぞどうぞ!」。「いただきます!」「ウマイ!」の声には、ペットボトルを手にして「伊右衛門です」とニヤリ。

中村屋のリビングルームではない。たぶんそこなら、紙コップやペットボトルのお茶は出てこないだろう。ここは六本木のとあるスタジオ。中村勘九郎は、赤坂ACTシアターで上演される『赤坂大歌舞伎』の取材のためにいるのである。だからつまり、紙コップにお茶を注いだりしなくていいのだ。ボトルを手に、軽く見得を切ったりしなくてもいいのに…。その「伊右衛門です」のチャーミングなこと!

「赤坂っていう土地は、赤坂サカスができて以降とくに、老若男女が入り混じって遊びに来る場所だと思うんです。歌舞伎座とか新橋演舞場みたいに“歌舞伎に行く”みたいに構えなくても、若い世代の人たちにもすんなり観てもらえるんじゃないでしょうか」

『赤坂大歌舞伎』は、昨年12月に亡くなった十八代目中村勘三郎が、まさにそうしたテーマで始めた興行。2008年と10年に公演し、今回が3回目にあたる。

演目も「視覚的な面白さが詰まっていて、初めて観ても楽しめる」という『怪談乳房榎』。この作品は、勘三郎が90年に復活上演した中村屋の当たり狂言である。

「父が復活させるときに(寛川)延若のおじさまに習いに行ったんですよ。そのときにたまたま僕も一緒についていって、父が稽古してるあいだ、おじさまのお宅の前でクルマの中で待ってました。戻ってきた父が“いやあ、いろいろ面白いこと聞いたよ”ってうれしそうな顔してたのをすごく覚えてるんですよ」

当時、勘九郎8歳。

『怪談乳房榎』は、落語家の三遊亭円朝による怪談をベースにした作品だ。絵師の菱川重信の美人妻・お関に横恋慕した浪人の浪江が、重信に弟子入り。浪江は下働きの正助を脅して重信を殺し、お関を手に入れようとする。そこに悪党のうわばみ三次も絡んで…。

うち、重信、正助、三次の3役を勘九郎が演じる。一人三役だけでなく、正助として舞台に現れ、三次と争いながらいつの間にか三次に替わっている…というような早替りを見せる。クライマックスの「十二社大滝」の場面では、本物の水を大量に舞台に降らせながら演じる。

「エンターテインメント性のすごく高い作品です。いまは映像技術も進んでいて、舞台でCG使ったりすることも多いと思うんですが、これは本当にアナログ。人が一所懸命にやる早替りの面白さや、滝の仕掛けなど、視覚的な面白さがいっぱいなので、赤坂ACTシアターで観ていただくには最適じゃないかなと。ちなみに2月は松山ケンイチさん主演の舞台ですから。そういう意味でも『赤坂大歌舞伎』はとくに“歌舞伎も演劇のひとつなんだ”って感じていただきやすいと思います」

勘九郎の初演は、2年前の夏。観る側からすれば、非常にとっつきやすい作品である要素が、やる側には注意点になるという。

「前に父に言われたんです。エンターテインメント性の強い作品なので、早替りショーみたいになっちゃダメだよって。それぞれの人物をきちんと演じてこそと」  

取材が行われたのは1月上旬。この時点で勘九郎さん、結構悩んでいた。舞台の見せ場としてのクライマックスは「十二社大滝」の場面。これが最後なら、うまく盛り上がったまま終わる。だが構成上、この後にタイトルを冠した「乳房榎」の場面が付くのだ。これをどうするか。

「本当は父に相談できれば、一番いいんですけどねえ(笑)。父も試行錯誤しながら作ってきました。父の“乳房榎”では、橋之助の叔父が浪江をずっとやっていたので、その知恵を借りつつ、台本をもう一度読み返して考えていきたいですね」

責任と重圧を背負っても
まずは、焦らない

五代目中村勘九郎(後の十八代目中村勘三郎)の長男として生まれ、初舞台を踏んだのが5歳。家業を持つ者には「継ぐ/継がない」「やる/やらされる」の葛藤が訪れるのが常だが、勘九郎さん、そこは(ざっくりいうと)一切、問題にならなかったという。

「子どものころから父が家でセリフをしゃべったり、ビデオを観ていたりするのを、音楽のように聞いていました。まず耳から慣れ親しんで、実際に芝居を観ると立ち回りや荒事の力強い所作なんかが、僕にとっては本当に遊園地のヒーローショーを観てるようで。ディテールではなく、“歌舞伎=カッコイイ”って刷り込まれてしまったんですね(笑)」

弟・七之助と、幼いころから、勝手に筋を考えて歌舞伎ごっこをして遊んだ。そして使うのは本物の歌舞伎の小道具。勘三郎が『怪談乳房榎』を復活させたときも楽屋のシャワーを使って、「十二社の滝ごっこ」を演じた。

そんなヒーロー像を、今は実際に演じることができる。だから、仕事は基本、すごく楽しい。今回のように父の当たり役を演じると比較されることも少なくない。当然、すごく意識はする。

「父のはやっぱり完成されていますから。“俺はここを変えよう”だなんて、あえて違いを出そうとすると、きっとおかしくなってしまうでしょうね。でも、演じる人が違うと役も作品も全然違って見えるのが歌舞伎だと思っています。いや歌舞伎だけじゃなく演劇全般。シェイクスピアも『レ・ミゼ(ラブル)』も。そこを素直に楽しみたい、楽しんでいただければいいなと思いますね」

ともあれ父・勘三郎の急逝を受け、勘九郎は、31歳にして中村屋のトップに立ってしまった。

昨年2月、TBSのトーク番組『A-Studio』に出演した際、司会の笑福亭鶴瓶が「勘九郎には“ふら”がある」と語った。“ふら”とは個性、独特のおかしみ、歌舞伎に置き換えるならば“華”。すごく卑近な例でいうと、自らお茶を注いでくれて見得を切るチャーミングさ。それは、自由に歌舞伎を楽しめる立場だからこそ、育つものなのではないか。自身が中村屋のトップに立つと、むしろ “きっちりまとまる”方向にいってしまうのではないか。勘九郎さん、そこはどう考えているのだろう。勝手な思いをぶつけると…。

「僕には七之助がいるから。父は1人で背負ったから大変だったろうなと思います。七之助は自分の中でもすごく大きな存在です。普段の生活でも、芝居をしていくなかでも、側にいてくれて本当によかったなと思います」

そして、“華”については…。

「1年ぐらい前かな、父と飲んだときに話をしたんですけど、うちの、アノ父がですよ、35~36歳のころまで“華がない華がない”って言われ続けてたんですって。 “ずーっとそう言われてたんだよ、俺は。でも大丈夫だよ、こんなんにはなるから(笑)”って。で、『コクーン歌舞伎』を始めたのが38歳でしたかね」

本物の泥やろうそくを使い、串田和美や宮藤官九郎などの脚本家と組み、椎名林檎の曲を使い…歌舞伎の裾野を広げる大きなきっかけになった舞台だ。

「だからね、そんなもんなんでしょう、たぶん(笑)。華なんて、“出すためにこうするんだ”なんて思っても出ないでしょ。いろんな経験があって、人と出会って、お話をして、華は出るときには出るようなもんじゃないですか」

昨年12月5日、父上を看取った日、舞台上から「中村屋スピリッツを受け継いだ一門で精進、切磋琢磨し、いい芝居を作ることを約束する」と語った。

「家にいてもいろんなエンターテインメントが楽しめる時代ですから、僕らはナマの面白さをつねに伝え続けたい。ありがたいことに先まで舞台の予定は決まっています。でも“こなす”ことになってはいけない。絶対面白くさせなきゃ! 中村屋スピリッツとは、つねにお客様のために面白いものを作っていくこと。手を抜かないこと。しんどいですけどね(笑)。お客様の心を動かし続ける。そのためには僕たちのここが動いていないと」と、胸を拳でトントンと叩いた。

1981年東京生まれ。父は十八代目中村勘三郎、弟は二代目中村七之助。中村勘太郎として87年1月に初舞台。13歳で初の現代劇『スタンド・バイ・ミー』に出演。歌舞伎座のみならず、平成中村座、コクーン歌舞伎などの話題作にも継続的に出演。13年、『土蜘』の叡山の僧智籌実は土蜘の精役、およびコクーン歌舞伎『天日坊』の観音院弟子法策後に天日坊実は清水冠者義高役の演技で、第20回読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞。まもなく開幕の『赤坂大歌舞伎』、チケットはwww.tbs-act.com/で

武田篤典(steam)=文
サコカメラ=写真
寺田邦子=スタイリング
宮藤 誠(Feliz Hair)=ヘア&メイク

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト