誰でも宇宙に行けるように

星出彰彦

2013.03.21 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
宇宙4カ月の滞在から
戻ってきてみて

「ナイアガラの滝を樽でおりてるみたいでした(笑)。吐くかと思うぐらい揺れて、“サニー”とふたりで絶叫してたんですけど、 “もう1回やろう!”って(笑)。最後の瞬間まで楽しかったです」

会見場で笑顔を絶やさず、語る。

夕刻。都会の濁った空でも明るく目を引く金色の物体が駆け抜けるのを見られることがある。飛行機よりもずっと高い位置を、流れ星みたいに途切れずに。

それはたぶん国際宇宙ステーション(ISS)だ。地上400kmの上空を、秒速約8kmで飛ぶ、サッカーコートほどの大きさの物体。日本、アメリカ、ロシアなど15カ国が協力して建造。重力や大気に干渉されない様々な実験や観測を、宇宙空間に安全に滞在しながら行う実験施設である。星出さん、ここに4カ月いた。

昨年7月15日にロシアからソユーズで旅立ち、11月19日(いずれも日本時間)まで。

メダカを飼育し、重力が骨に与える影響を観察したり、日本実験棟「きぼう」から小型衛星を放出したり、日本から打ち上げられた補給機「こうのとり」をロボットアームでつかんで、ISSに結合する作業を行ったり。

冒頭のひとことは、帰還カプセルでカザフスタンの雪原に落っこちてきたときの感想。“サニー”とは、星出さんがISSに行った第32次/第33次長期滞在クルーの同僚、サニータ・ウィリアムズ宇宙飛行士だ。

「帰る準備をしているときも直前まで、サニーと“帰りたくないよね”って話してたぐらい。本当に充実した時間を過ごせました」

星出さん、宇宙へ行くのは08年6月に続き2度め。前回はスペースシャトルでISSに2週間滞在し、「きぼう」を設置する作業を行った。今回は初の長期滞在。

「行くこと自体は“出張”という感覚なんですが、プライベートも含めて24時間、他のクルーと生活していくという意味では、単なる仕事というより、人生の共有といいますか…」

同僚も、家族のような感覚。

「前回のシャトルミッションでは、クルーとは“ミッション前”の1年半ほどずっと一緒に訓練してましたし、今回は2年半前から始まっています。ソユーズに乗るので、打ち上げに関する訓練はロシアで。ヨーロッパのモジュールに関する訓練はヨーロッパで、『きぼう』の訓練は日本で。各国巡りながら行う訓練を積み上げていくと、このぐらいの時間は必要なんです。その間、一緒にいることが多いですしね。サニー(タ)・ウィリアムズ飛行士はいいおねえちゃんっていう感じで、ユーリ・マレンチェンコ飛行士はプライベートもよく会ったなあ」

今は“ミッション後”。宇宙で過ごしてカラダにどんな影響が出たかを定期的に検査し(“実験台”はメダカだけではないのだ)、ミッションの報告会が全国である、世界各国で取材も受ける。帰還はしたけれど、まだミッションの延長線上にいる。

「“終わったな”と感じるのは、NASAの宇宙飛行士室のオフィスがなくなるときでしょうね。ミッションが決まるまではバラバラにいるクルーが、ある部屋にまとめられるんです。サニーやジョー・アカバ飛行士、まだ宇宙にいるケビン・フォード飛行士らと同じ部屋になって。今では仕事の場所やスケジュールはバラバラですけどオフィスを共有しているので、顔を合わせて“おう、今何やってんの?”っていう話をする機会があるんですが、そのオフィスがなくなり、配置転換みたいに別々の場所に移ると、それで“終わり”を感じると思います」

2度のウルウルと
日本の宇宙開発の今後

前回、取り付けるだけで帰ってきた「きぼう」の“変貌”ぶりにうれしい驚きがあった。

「“組み立てたのであとはよろしくね”っていう状況でしたので、まだピカピカだったんです。その後、地上から映像を見て状況は把握してましたけど、実際に目にしたら…ペンやテープやはさみが使い勝手のいいところにマジックテープで固定されてたり、“バンジー”って呼んでるんですが、ゴムひもを壁に斜めにかけて、壁との間にものを挟むような仕組み。それがいい感じについていたり。汚れていたりコーヒーのシミもあるんですが(笑)、いい意味で“使われている”感が出ていて」

そこで行われていることの痕跡があり、人の営みがある。2回めの宇宙、しかも長期滞在では「宇宙開発を支えているのは、いろいろな人々のチームワークであり人間の力なのだ」ということを強く感じたという。

昨年4月、日本に帰国した際、「きぼう」の冷却系ポンプの故障が判明。交換の任務を受けた。急遽状況の説明を求めたところ…。

「関係者全員集まってくれて、“現状はこう。トラブルの原因はおそらくこれで、こういう交換の仕方をしたいと思います”と。そのトラブルが発生してからさほど時間はたっていなかったのに…実は、『きぼう』ができるまでは、日本はまだNASAという先輩から手取り足取り教わりながら地上からの管制を行っていたと思うんです。私の初飛行のときはそうでした。それが今回、“ここまでしっかりやってくれるのか!”と。この数年での変化にウルウルきてしまいました(笑)」

しかしNASA先輩もさるもの! その実力は船外活動でのトラブルに際して発揮された。星出さんが電力切替装置を交換するために臨んだ8月31日の船外活動では8時間17分の作業の末、必要なボルトがうまく締まらなかった。 船外活動には機器の点検から活動用のユニットの装着、体内に溶け込む窒素の排出など、準備だけで丸1日を要するという。ハイじゃあ次、というわけにはいかないのだ。

NASAの地上クルーは、ISSの状況を調べ、そこにある歯ブラシやワイヤーなどで新たな工具を設計。星出さんたちは2回めの船外活動に向け体力を温存しつつツールを作り、準備を行った。そして9月5日に改めて行われた船外活動で、見事ミッションは成功を収めた。

「短時間で結果が出せるよう、関係者みんな連休返上で毎日のように新しいツールを提案してくれました。ボルトがうまく締まったとき、こちらのコールに対して、地上からの返答をくれました。管制官がマイクのスイッチを入れたタイミングで、たまたまなんですけど地上のみんなの拍手と歓声が聞こえてきて、宇宙服の中で泣きそうになってました(笑)」

…映画みたいだ。そして、よく泣きそうになるのだ。船内に戻って行った地上とのテレビ会議では、みんな笑顔。「“この笑顔のためにやってたんだ!”って思ってしまうほど」だったという。

星出さん、そもそもは“地上の人”だった。大学卒業後、NASDA(現JAXA)に入って、H-IIロケットなどの開発・監督業務に携わり、後に宇宙飛行士訓練計画の開発支援、技術支援が仕事だった。

「自分でやっているときよりも、宇宙飛行士になっていろいろなチームで仕事をするようになってから、むしろ支えられていることの感謝は強くなりましたね」

有人宇宙飛行に関してはアメリカ、ロシアが先行している。それに対して後発である日本が成長してきたのは宇宙ステーション計画の技術開発によるところが大きい、と星出さんはいう。

「対等の技術力がないと競争どころか協力もできませんから。単に競争して、単独で突っ走ることができる時代ではないので…」

いずれは種子島から日本製のロケットで人間を打ち上げたい。

「それはもう日本人宇宙飛行士の総意ですね。それもそうなんですが、私が思うのはもっといろいろな人に宇宙に行ってほしいということ。今は宇宙飛行士とお金を持ってる人しか行けていないですが(笑)、宇宙へのアクセスが良くなって誰でも行けるようになることで人類の新しい文化が生まれると思うんです。私たちのやっていることが、そういう時代が早く来るための基礎になればいいと思っています」

で、個人的にいうと?

「短期的には、また宇宙に行きたいです。長期的には、月まで行けるといいですねえ(笑)」

1968年、東京生まれ。JAXA宇宙飛行士。慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業後、宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)に就職。各種開発・支援業務に従事しつつ、宇宙飛行士を目指す。97年にUNIVERSITY OF HOUSTON CULLEN COLLEGE OF ENGINEERING航空宇宙工学修士課程修了後、99年、3度めのチャレンジで日本人宇宙飛行士候補者に。08年6月、スペースシャトル「ディスカバリー号」で初飛行。2012年7~11月、ISSに長期滞在。宇宙から『星出LOCKS!』というラジオ番組の配信も行った。

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

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