パッションだけで撮るなら、最後の作品かな

周防正行

2013.05.16 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
2回観てほしい。
2回めは映画的工夫を

「裁判官って、国によって考え方が全然違うんですよ。日本の場合は、完全に普通の人の生活から切り離されたような存在。司法試験のトップクラスの合格者で、司法研修所でも成績が良くて、だけどリーダーシップをとったり自分の意見を言わないような人を、最初から “裁判官任官希望”として裁判所が採用して育てる。英米法の国では、法曹一元制といって、弁護士経験者の中から裁判官を選びます。弁護士としての経歴を見て、裁判官にふさわしいかどうかを判断するんですね。完全に地域密着型。裁判官は地元の名士です。『それでもボクはやってない』をオックスフォードで上映したとき、町の裁判官に取材したんですが、みんな彼のことを知ってました。あちこちのパーティーに招かれるので、顔もよく知られてるんですね(笑)。僕たちは裁判官の顔なんて知らないですよね? 日本では、裁判官を“なんでもお見通しの神様”みたいな“すごく特別な存在”として考えたいんですよ」

人間っぽい感情とか地域との関わりは、「神様」としては邪魔なのだ。それが日本的な裁判官の考え方らしい。なるほど、面白い。「日本でもちょっと前までは法曹一元が提唱されてたんですけどねえ」と、周防正行監督はため息をつく。

そんな主張のために来たわけではない。おもに新作『終の信託』のソフト化の話をしに来たのだが、ふと「ずっと興味がある」という裁判官の話になったのだ。

『終の信託』は終末医療を題材にしたラブストーリー。そしてサスペンスである。重度のぜんそく患者(役所広司)が担当の女医(草刈民代)と心の交流を深め、いよいよとなったときには自分の延命治療をやめるよう切望する。女医は彼への愛情から、人工呼吸器を外す。検事(大沢たかお)はその行動を殺人として追及する。

今回はソフト化なので、ならではの話を伺おう。

「この映画って物語は強烈だし、テーマは重いし。その辺に引きずられて、いろいろ映画的な見どころを見落としてしまう。映画館ならば多くの人が1回しか観ませんが、せっかくDVDなので(笑)、できればその辺を観ていただきたいですね」

まずは普通に観る。次に…。

「たとえば、光を見る。そういうことをしてもらえるとうれしいですね。それって映画の力に触れるということでもあるので。とくに今回、光にはずいぶんこだわりました。土手を歩いてきて、曇りから晴れになって、クルマの中では背景が晴れているというシーンがあります。本当は全部曇天でやりたかったんです。だから“曇り待ち”なんですけど、晴れそうなことが雲の動きでわかった。だから待てない。前のカットが曇りなのに、つながるカットが急に晴れてたらヘンでしょ? それが運良く、間のカットでうまく曇りから晴れに変わったんです、そのワンカットが入ったおかげでつながるんですよね。そんなこと、普通に観ていたらほとんど意識しないでしょ? あと、取調室の光の変化もちょっと見てほしいな。映画ってそういう微妙な光の作り方やカット割りで伝わり方が違うので、そういう工夫を気にかけていただけるととてもうれしいです…あの、2回めに観るときにでも(笑)」

蒼然とした地検の待合室。病室から直接花壇のある中庭に出られる病院。人間の心情の動きを画面でサポートできるようなロケーションにもこだわった。これほど映画的な画面作りを意識したのは初めてだという。

「『ファンシイダンス』や『シコふんじゃった。』は間の抜けたカット割りやリズムを外すようなおかしみを意識しました。『Shall we ダンス?』は映画としての深みというより、雑居ビルの中に取り残された教室の前時代的な空気や社交ダンスの“色合い”をどう映画の中に出すか。『それでもボクはやってない』はまさにリアルに日本の刑事裁判を描くこと。実在の法廷を採寸して、似た材質を使ってセットを作り、灯りはリアルに天井の蛍光灯と、映画的な嘘はつかずに撮りました。そうすることで、現実の裁判を傍聴しているような臨場感を作りたかったから」

『終の信託』で映画的なルックにこだわったのは、これまでの作品からの反動もあるらしい。

映画になる題材とは、
一体いかなるものか

“それでもボクは?”を作るとき、周防さんは冤罪の当事者に取材し、200回以上裁判を傍聴し、資料を読み漁り、準備に3年以上を費やした。今では司法はライフワークになった。法務省の法制審議会のメンバーも務め、新時代の刑事司法のあり方について、法案作りの素のところを考えている。でもそもそもは、ある痴漢冤罪の新聞記事を読んで、ただ単に興味と疑問を持ったのが始まり。

監督、「映画のネタ探しはしない」という。

「映画を前提にネタを探すと、自分に都合よく事象を解釈しそうな気がするんです。自分が面白いと思う映画のスタイルにうまくハマるように現実を再加工しそうでイヤなんです。それだといつも似たような映画しか作れない気がするし。僕は自分の能力にあまり自信を持っていません。だからむしろ、出合った題材が僕自身を広げてくれたらいいなと思っているんです。映画監督として、というよりは、今、日本で同時代に生きるひとりの人間として感じることを大事にして、それをどう映画にできるのか…という。ニュートラルな姿勢でいた方が、いつも違う映画ができていいと思う」

まずは最初に小さな興味の芽がある。ただそれだけ。

「僕の映画ができるときって、取材しながらお話ができていくんですよ。取材してもお話ができないものもある。それは相性なのか何なのかわからないけど」

禅寺の山ごもり(ファンシイダンス)も、大学相撲部(シコふんじゃった。)も、社交ダンスの世界(Shall we ダンス?)も、実は刑事司法と同じ。興味の対象に肉薄した結果、映画になった、ということなのだ。もちろん周防さん自身が作るのだけれど、「映画が“できる”」と言わしめている。そう考えると『Shall we ダンス?』から『それでもボクはやってない』までの、11年のブランクに関してもまあまあ納得だ。

「まあその間、CMやったり野球小説書いたり、いろいろしてたんですけどね。“映画を作らなきゃいけない!”ってあんまり思い込まないようにしてたら、ホントに作らなかったね(笑)。僕は映画作りを仕事と思ってないのかもしれない。仕事だとしたら、自分のスタイルを決めて、それに題材を当て込んでやらないとコンスタントに作れないから」

「出合った世界が自分を導いてくれるということを大事にしたい」という、そんな作り方だから、新作はつねに未知の領域。

「『終の信託』だって、こんな冒険をするハメになるとは思ってなかったし。後半45分間、狭い取調室だけで動きもなく会話だけで見せるという。そうなると挑戦のしがいがあって燃えるんだけど、最初から“よーし、45分間室内だけで撮るぞ!”って考えてるわけじゃなかったからね」

実は現在、次回作の準備中。これもまた違う意味で未知の領域。「これまでは僕がシナリオを書いて、撮ろうとしている世界の面白さを訴え、みんなを説得してなんとかクランクインにこぎつけてたんですが、次作はシナリオを書きながら準備が進んでいるという(笑)。ずいぶん古い企画で、何度か挫折したもの。まあ軽いといえば、軽いタイプの作品なのかな。“裁判官の話”も撮りたくて撮りたくて…、なんとか切り口を探してます」

かくもストイックなまでに題材に寄り添っていくスタンス。自身のパッションだけで映画を撮るようなことはないのだろうか。

「デビュー作の『変態家族 兄貴の嫁さん』はもうパッションだけ。ある意味、幸せな映画だった。よくやった! と今にして思う。何も知らないことの強みっていうか、恥ずかしいけどすごい(笑)。今はパッションだけで撮ろうとしても、絶対ブレーキを踏む自分がいる。次もしパッションだけで撮ることがあるとすれば、最後の作品かな。それを撮ってそのまま死ぬ。…じゃなきゃ、ないんじゃないかな(笑)」

1956年、東京生まれ。大学在学中に高橋伴明の現場に入り、若松孝二や井筒和幸らの助監督を務める。デビューは84年、本文中で「パッションだけで撮った」というピンク映画『変態家族 兄貴の嫁さん』。小津安二郎へのオマージュをポルノで実現した意欲作。『ファンシイダンス』(89年)、『シコふんじゃった。』(92年)、『Shall we ダンス?』(96年)など、オリジナリティあふれる題材と軽妙なコメディ演出でヒットメーカーに。近年は日本の刑事司法のあり方に大胆に切り込み『それでもボクはやってない』(07年)、『終の信託』(12年)を発表。ちなみに“次回作”は『舞妓はレディ』14年公開予定。

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト