“GLAYの人生って間違ってなかったね”って言われたい

TAKURO

2013.07.04 THU

ロングインタビュー


稲田 平=写真 谷崎隆幸(Fats Berry)=ヘア&メイク 武田篤典(steam)=文 坂嵜タケシ…
“新しい風”の1曲は
それでもやはりGLAY

「寝る前に曲作りを、毎日だいたい10分間、必ずやるんですよ」

ここは渋谷の収録スタジオ。コントロール・ルームにはTAKURO以外に事務所の人とプロモーター、そしてインタビュアーの4人だけ。小さなライブハウスでのセッションのようにラフだ。

「リフだったり、曲の断片、詞のテーマ…。昼間、移動中のクルマの中から見た看板とか、公園とか。で、“あ、『誰もいない公園』ってタイトルの曲できそうだな”なんて思ったり。あ、でも一番曲の元になるのは人間関係。その日のうれしかったこと悲しかったこと印象深かったこと、これから広がりそうな言葉をまとめて、ためておくんです」

毎日10分の曲作りは、デビュー前から欠かさない習慣だ。そして、たとえば新曲のレコーディングで。

「曲とかテーマを提案するんです。メンバーとは、普段の暮らしのなかで気になってることなんかをいつもしゃべってるので、“そろそろみんな新しい風をほしがってるんじゃないかな”とかは感じる。作るのはひさびさのドラマの主題歌で、タイトルは『激流』。そこで反射神経ですよ。“亀田さんってどうかな?”って。5年前の『ap bank fes』で話したとき“GLAYのプロデュースに興味あります?”って聞いたら、“ある!”って言ってくれてたので、今オファーするべきじゃないのと。ずっと温めてきた“川”っていうキーワードも使えるな、と」

かくして今回、亀田誠治を初めてプロデューサーに迎えた新曲「DARK RIVER」が生まれた。

どこか昭和歌謡風味の漂うメロウな曲で、ベタなことを言えば、川の流れが徐々に広がっていくみたいに、終盤、弦楽器が壮大に曲を盛り上げていく。新しいプロデューサーと一緒に作った、まさに“新しい風”な1曲になっている…にもかかわらず。

この曲の試聴中、ある者(職業:専業主婦)が背後を通りすぎざま「あ、GLAYだ」と宣った。耳にしたのはわずか数秒なのに。

「俺、サビのアタマ1秒聞いたらサザンとB’zは絶対わかる。そう思うと、ちょっとうれしいな(笑)。俺たちがどんなに“今回は挑戦したぞ”と思っても、やはりそれでGLAYだとわかってしまうのは、ひょっとしたらとてつもない勲章だなあ」

そして「GLAYのサウンドとは何か」という説明をしてくれる。

「TERUがちょっと後ろ気味に歌って、そこにHISASHIのギターがハマり、コンピュータ上で見たときに俺のギターはちょっと前目にいて、ドラムとJIROが縦のラインを構成する。このことをGLAYサウンドっていうんです…」

説明してくれるのだが、実は制御できていなかったりもするのだ。

「俺たちもつねに新しいことを求めてきた20年なんですけど、いくら俺がヘンな曲を持っていっても、できあがってみると“やっぱりGLAYになったなー”って(笑)。メンバーの意見でヘンな部分がスポイルされることもあるんでしょうけど、ある音楽家の方に言われたのは“全員が持ってるビートの集まりがGLAYになる”ということ。“詞がどうとか曲がどうとかではなくて、作り出される空気なんだ”って」

1曲1曲に関してもそうだが、この数年とくにライブで実感することが多いという。

「曲のエンディングでTERUが叫び続けて何かひとこと言ったときの空気。“みんながここまで来て俺たちに求めたものを得ることができたんだ”ってわかるんです。その一瞬は詞も曲も関係ないですよね。もしかしたらTERUの心臓の音を流せばそれだっていいのかもしれない(笑)。それを得た瞬間、“GLAYのままでいいんだ”というか…なんだろ、ずっと学んできたロックという学校があるとしたら、“あ、俺もう、そこは卒業したな”と思いました。十二分に堪能させてもらったので、今度は実際に自分たちがやる側として見せていく番だと。そんな達成感はこの2~3年ありますね」

GLAYとは、たぶん
切り離せない存在なのだ

インタビューをしていると、やっぱりGLAYの話になる。話を聞いていると“GLAYのリーダーであること”がTAKUROの仕事であるのだと感じさせられる。いや、単なる仕事ではないような…。

そもそも25年前、函館の高校生だったころに結成し、そしてそのまま就任したリーダーである。

高校卒業後、TERU、HISASHIとともに上京し、JIROも加わって94年にメジャーデビュー。

「当時はひたすらサクセスストーリーを求めてました。20万人の前でライブしたら気持ちいいんだろうな。有名になりたい。モテたい。今考えるとものすごくわかりやすい夢。全部“だから何なの?”ですんじゃう夢なんだけど、でも、実際にその光景を見てみないとわからないですよね。“どうせつまんないんでしょ?”って切り方はしたくなかった」

全部やってみた。ベストアルバムを500万枚売り上げ、99年にはまさに20万人を集めた野外ライブを成功させた。GLAYはビッグになり、先の「GLAYらしさ」も醸成され、それがとてつもなく多くの人々に認知されるに至った。

「最近、考えるのは、究極のリーダーの仕事って“仕事を作り出すこと”なんじゃないかっていうこと。どのバンドにも…どの会社にも、物語が必要だと思うんです。物語のないところはこの先50年を語れない。GLAYで音楽をやることは幸せです。でも、それをスタジオでひたすら作り続けるのって、たぶん5年ぐらいで耐えられなくなるでしょう。そこで起承転結を示したい。何もないとき…もっというと、悪いときに何を語ってどんな仕事を生み出せるか。1位になるのも、動員ももちろんですけど、いい人たちとのいい夜や、いい酒、どんなところで達成感を得られるかをチョイスするのがリーダーの仕事なんですよね」

01年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件があり、03年にはアメリカがイラクと開戦、リーダーは新聞に意見広告を出した。東日本大震災に、理不尽な力の恐ろしさを実感した。「お客さんに負担をかけて業界が潤うシステムに疑問を覚えたので、一度見直そうと」バンドを代表して意見を述べ、会社を独立。自らのレーベルも立ち上げた。

「いざ自分たちでハンドルを握ると、道に迷うも、休憩するも自分たち次第。人に評価されようがされまいが、メンバーとその家族が食っていける程度に稼ぐ方法はこの20年で学びましたね(笑)。この数年とくに、人生でやりたいことが思いきりできるGLAYであってほしいって思うようになったんです」

ロックの学校は卒業したから、これまで以上に“形”にしばられることはない。いや、それどころか…。

「俺の望みは、この4人が幸せだと思える人生を歩んでいけること。で、それはたぶんGLAYを母体として実現してくことなのではないかと仮説を立てているわけです。極端な話、音楽じゃなくてもイイ(笑)。たとえばGLAYがどんな評価を受けても、40年間続けたとして、最後の最後にメンバーの誰かが“ここまで来たGLAYの人生って間違ってなかったね”って言ってくれたら、俺の人生はそれでよかったんだって思ってます」

というと、全精力を注入しているみたいだけれど、そうではない。

「ずーっと行けてない授業参観は優先してもいいだろうし、ツアーばかりでいいかげん嫁がキレる局面なら休んでもいいと思う。機嫌悪くても過剰にノリノリでも、4人がGLAYですから。そのときどきに応じて少しずつ形を変えていきながら、物語を紡いでいければいいかな」

GLAYは、もはや空気とか水とか家族とか、自分自身の細胞みたいな存在なのかもしれない。

最後に“久保琢郎”個人としての夢を尋ねると、ふかーく考え込んだ。

「家族の一生の記録の中には“いいことしかない”ってことはないと思う。子どもの悩みとか離婚の危機とか、何かあったときに言葉を持った男でありたいなぁって思います。“どうしよう”ってなるべく言わない。逃げない。お互いのためになるような何かが言えるように、日々努力していきたいですね(笑)」

1971年北海道函館市生まれ。GLAYのリーダーにして、所属事務所&レーベルの代表取締役。高校時代にGLAYを結成、卒業後、メンバーのTERU、HISASHIとともに上京、91年にJIROを加えて94年メジャーデビュー。GLAYのほとんどの楽曲の作詞・作曲を担当。「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」「Winter,again」「とまどい/SPECIAL THANKS」などがミリオンセラーを記録。GLAYとして、来年の20周年に向け様々な企画を展開。今夏の函館ライブに続き、来春にはドーム公演、さらに東北で、かつて20万人を動員したライブ『GLAY EXPO』の開催も予定している。詳細はwww.glay.co.jp

稲田 平=写真
谷崎隆幸(Fats Berry)=ヘア&メイク
武田篤典(steam)=文
坂嵜タケシ(StyleLAB.)=スタイリング

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