サイコロ振って、その目に合わせて生きてる

森 昌行

2013.10.03 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
“あの世界”を今、
問い直したい人たちが

この方、株式会社オフィス北野の代表取締役社長である。テレビ番組のディレクターで、ビートたけしに請われて、会社の設立に参加。タレント・ビートたけしのマネジャーにして、北野武監督映画のプロデューサーである。

また、96年に公開された『キッズ・リターン』以降、オフィス北野は、おもに北野武監督作品を中心とした作品の配給を行っている。

その、“その後の物語”である『キッズ・リターン 再会の時』が、このたび完成。森社長はエグゼクティブプロデューサーとして、作品に関わっている。

「今の若い世代から、“自分たちにとっての『キッズ・リターン』があってもいいんじゃないかという声が上がりまして。ただ、北野武の『キッズ・リターン』は“あれ”で終わってる。同じ路線で何かを作る気は、僕にはさらさらなかったので、彼らにまかせました。新しい、今の世代の、彼らの『キッズ・リターン』が新たに生まれたと理解してます」

『キッズ・リターン』は若者たちの物語。ひとりはボクシングのチャンピオンを、ひとりはヤクザの世界でのし上がることを目指したふたりの高校の同級生。彼らを中心に、大人の世界に踏み出していく若者たちが、ハードな現実に直面し、ときに敗れる姿を描いた。

今作の舞台は、10年後。出所したヤクザのマサルが、旧友のボクサーであるシンジに再会。マサルは縮小した組織の再建を目指し、ボクシングを諦めたシンジにチャンピオンを目指すよう焚きつける。

「一時“自分探し”みたいなものが流行りましたよね。自分が何をしていいかわからない。やりたいことが見つからない。だから何もやらない…そんな、いわばニートな発想(笑)。そういう時代を経て、また『キッズ・リターン』の世界を世に問い直してはどうだろうか、と」

森社長、『キッズ・リターン 再会の時』を予定調和だという。

「でもそれでいいと思う。私のなかでは、今の人ってあらかじめ結果を知りたがっている一方で、結果のわかったことなんてやってもしょうがないって、先回りしてモノを言う傾向があると思うんです。先を知るための情報を集めやすい世の中だからね。でも、私みたいに還暦を過ぎて、今後若い世代に迷惑をかける者から言うと、“結果がわかったからやんなくてもいい”と思うのは、違う気がするんだよ」

たとえるなら、オリンピック陸上の100メートル走。

「予選で全部タイム出るんだから、やんなくていいでしょ?(笑) それでも走って、見た私たちがみんな興奮するのは“走ってみなくちゃ、何が起こるかわからない”って、どこかで思っているから」

データ通りだったとしても、それはあくまでも走った結果。

「予想と結果を、デジタル的に直線で結んだものではないんです。走る過程に人間のドロドロしたものがある。結果が予想通りになったとしても、それを得るためにはものすごいエネルギーが費やされてるんですよ」

これは持論である、と前置きして森社長は続ける。

「“人間の結論”ってなんだと思います? “死”です。ナポレオンでも始皇帝でも、人は生まれたら、死ぬ。“だったら明日死んでもいいですよね?”って言われたら、どうします?みなさん、死にたくないって言うでしょ? 結論はあるのに、プロセスにこだわる。そこにすでに答えはあるんです。生きてみなきゃ、なぜ生きたかなんてわからない」

『キッズ・リターン 再会の時』の監督、清水浩は『チキン・ハート』という過去監督作品で、登場人物にこんな対話をさせている。

ボクシングの噛ませ犬だった若い男が、年嵩の謎の男に問う。

「何も悪いことしてないのにうまくいかないんですよね」

年嵩の男はポツリと答える。

「なんもしてないからだよ」

『キッズ・リターン 再会の時』の宣伝コピーは“最後になってもいい。やりたいんだ”である。

エラそうに説教しない。
だって。なぜなら

96年の映画『キッズ・リターン』は北野武監督の第6作だ。94年8月にバイク事故で瀕死の重傷を負い、8カ月のリハビリを経て、復帰後初めて手がけた映画だった。当時、あらゆるメディアで壮絶にバッシングを受け、タレント生命すら危ぶまれたという。そこで唯一、活路を見いだせたのが映画の製作だった。

「テレビは認可事業だから、ダメと言われたら出ようがない。でも映画は、フィルムを持っていけばなんとかなるだろうと。でも、大手の映画会社がどこも相手にしてくれなかったので、自ら配給会社を名乗ることになったんです」

北野監督は『フラクタル』という企画(05年『TAKESHIS’』という非常に実験的な作品として完成)を撮りたがっていたが、『キッズ・リターン』で押し切った。さらに、北野映画の脚本は現場でどんどん変更されるのが常だったけれど、この作品のときには何度も練り直し、きちんと仕上げた。

「自分たちでお金を集めてちゃんと映画を撮らないといけなかったので、そこで『フラクタル』は出せませんでした。映画らしい映画を、きっちり撮ることが当時の北野監督には必要でした。結果的に、映画作りにおけるすべてを自分たちで掌握し、責任を持って製作する態勢になったんです」

真の意味でプロデューサーの役割を果たすことになったのだ。

「北野監督も最初は脚本作りを何度もくり返す作業には乗り気ではなかった。でも、もの作りで頭が働き出したのか、どんどん積極的になり、どんどんのめり込んでいきました。本人、あの映画を“リハビリ映画”と呼んでいます。作品に登場するふたりが人生のリハビリをする映画に見えますけど、製作の過程そのものが、北野監督にとってのまさしくリハビリだったんです」

この後、森社長は北野武監督全作をプロデュースする。「クリエイティブサイドとビジネスサイドのブリッジとなる」「出資者に損はさせない」など、確固たるポリシーを持っているが、なによりのビジョンは「ビートたけしが一芸人として全うすること」。

「私はなんだかんだ言って、ビートたけしのファンなんですよ。申し訳ないけど、映画監督ですら、芸人としての幅を広げるものでしかないと思っている。よくギャグでたけしさんが“黒澤にお笑いができるか!”って言うんですけど、そうなんですよね(笑)」

自身の仕事は、つねにビートたけしが本気で仕事ができるステージを用意すること。

「たけしさんは、シリアスに振れば全速力で反対側に行こうとします。最初は映画がシリアスで、テレビがその逆のお笑いの世界だったんですけど、それも崩れてきた。振り子をできる限り正確に振らせるのが私の役割なんです。でもそれが見えるとたけしさんはまた“そうはいくか!”とかき回す。最近は、やたら文化人扱いされるので、ちょっと窮屈になってきている一方で、ひょっとしたら“人間国宝にして”って言い出すかもしれませんね。だってそのほうが、ひんしゅく買うときは大きいからね(笑)。映画もテレビも全部使って流れを作ろうとしてきた。プロデュースであるけど、私の仕事は依然としてマネージメントなのかな」

それはつまり、タレントありき。

「私は以前、テレビのディレクターを…それも偶然やり始めて“ちょっと面白いかも”って思い始めたときに、北野さんに声をかけられてこっちに来て。プロデューサーになったのも、北野さんが映画監督になったからなったわけで。確固たる信念を持って生きてきたわけじゃないんですよね(笑)。“これが目標でした!”なんて、エラそうなことは言えるような立場じゃないしなあ(笑)。まあ不幸だと言ったら、たくさんの人に叱られるでしょうけど、サイコロ振って、その目に合わせて生きてるみたいな人生でね」

森社長、ニヤッと笑いながら「落語の世界で、それをなんて言うかわかります」と尋ねてくる。

「出鱈目と言うそうだよ」

1953年、鳥取市生まれ。青山学院大学卒業後、レコード会社への就職を夢見つつ、テレビ番組制作会社に入社。『ビートたけしのスポーツ大将』(テレビ朝日系)などを担当の後、オフィス北野に参加。92年より代表取締役社長。タレント・ビートたけしを中心とするタレントのマネージメントを行う他、映画監督・北野武のプロデュースも手がける

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

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