映画の中にずっといたい

佐藤浩市

2013.10.17 THU

ロングインタビュー


喜多尾祥之=スタイリング 及川久美=ヘア&メイク 武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
近年稀に見る
憂鬱からのスタート

タイトなグリーンのスーツにブーツ、茶髪。語り口は穏やか。イメージ的にも、52歳という年齢も、いわば“部長クラス”。にもかかわらず上司な感じは皆無なのだ。むしろ同僚。ときに熱さと青さがむき出しになる。ギラギラしたムードが見え隠れするのは、スーツのセクシーな光沢のせいばかりではないだろう。

キャリアは30年以上、これまでおおよそ90本の映画に出演。イメージどおりのカッコイイ商社マンにトラウマを持った刑事、売れない三流役者、典型的なダメおやじなどなど、多彩な役を演じてきた。

そんな佐藤浩市が言う。

「この十数年で、撮影に入る前にもっとも憂鬱な作品でした」

映画『人類資金』で詐欺師の真舟雄一を演じた。終戦のどさくさで日銀の地下金庫から消えた大量の金塊、戦後の日本経済の発展を裏から支えたといわれる「M資金」を題材にお金と人のあり方を描く作品だ。

「M資金」は戦後史にまつわる一種の都市伝説だ。これに触れることのできる立場を騙り、企業の重役から多額の金をだまし取る。そんな彼の前に「M」を名乗る男が現れ、「M資金」を奪う計画を持ちかけられる。

「今回、阪本さんからM資金を題材にすると聞き、それを使って金をだまし取ることを生業にしている役ですから、M資金に対しては非常にアイロニカルな見方をしている人物像を設定していたんです。でもいざ台本を見ると違う。真舟は事件に巻き込まれます。なぜ“彼ら”が仕事を請うのか、その点と点がまったく結びつかず、ずいぶん困ったままきてしまいまして(笑)」

「阪本さん」とは、この映画の監督である阪本順治。94年の監督作『トカレフ』以来の付き合いだ。今作でふたりのタッグはちょうど10本目に当たる。

「僕は元来臆病な役者なもんですから、一つ一つのピースがある程度はまっていて、役の人間の行動原理が自分の中で納得できないと現場に乗り込めないんです。“俺はあくまで素材だから、煮るなり焼くなり好きにしてくれ”っていうスタイルで現場に行く度胸はないです(笑)。阪本さんの作品じゃなかったら“これはわかりません”って断ってたかもしれません」

わからないまま、困ったまんま迎えたクランクインはロシアのハバロフスク。極寒。

「向こう岸は中国という川の前、映画的には結構引きの画で、オダギリジョーをだますんですが、ふと“最初に設定したほど、真舟は人生を重苦しく考えていないのがいいんじゃないかな”と思い始めて。“あ、寅さんをやればいいんだ”って(笑)」

詐欺の能力には優れているが、根っこではどこか抜けていて、実は分かりやすいおっさん。だから巻き込まれる。「M」たちのグループが欲したのは、あくまでも彼の詐欺師としてのスキルであって、真舟自身は、話が展開した途中からは「義」のような感情を持って、能動的に動くことになる。

「憂鬱な気持ちで撮影に入ったけれど、なんとか出口は見えました。単純に自分の引き出しだけでこなせるわけでなく、阪本さんの考え方や現場の空気にも左右され、でも決してやけくそではなく、なんとか真舟という人間をやれたと思っています」

自分のことより監督。
根っからの“映画屋”

阪本順治監督のことを「盟友」と呼ぶ。

「次の作品は阪本順治だ、と言われたら無条件で付き合う。残り少なくなった何人かの監督のひとりですね。『トカレフ』のときに、社会に対する見方とかに、目線の近さを感じたんです。見方は近くても表現すると全然違う。お互いに真剣味を持って現場に来てやりあうような感覚でぶつかってました。それが非常に面白かったんですよ」

トカレフはロシア製の拳銃だ。これを偶然手に入れたことで犯罪に走ってしまう男と、その男によって家庭を壊される男。ふたりの“普通の男”の静かな殺し合いを描いた作品である。

「阪本順治も、昔は“自分の映画を撮るためにそこに人がいる”と思っていたみたいでした。非常にナローな考えの持ち主で(笑)。今は“自分の映画を撮るためにそこに人がいてくれてる”と思ってる。誰にも迷惑をかけずすべてを自分の中で消化して、自分の映画を撮りきる方法をつねに現場で考えているように見えるんです。目一杯お金と時間を使って、“オマエ、好きなように撮れよ!”ってやらせてあげたい(笑)。そう思わせるところがあるから、ずっと付き合ってるんじゃないかな」

ちょっと話がずれちゃうんだけど、と、相米慎二監督を語る。

『セーラー服と機関銃』『台風クラブ』などを撮り、12年前『風花』を遺作に、53歳で没した。いまの佐藤浩市の年齢の一つ上だった。

「映画監督って決して恵まれていないんですよ。相米慎二のアパートで酒のつまみにニンニクが出たんです。コンロの上にアルミホイルを直に置いてニンニク焼いて、そのまま皿がわりにして食べる(笑)。大変キツい商売だと思います、魂を売らないで生きることのつらさも含めて。僕らはたまにCMみたいな大きな仕事があって、ちょこちょこやれば生活が担保される部分もある。映画監督もCMを撮ることはあるけど、あるときあるアンケートで“好きなCM監督”という項目に自分の名前が挙がったという話を聞いて、それからあの人CMやめたんですよ。なんか自分の中での映画監督であるという矜持みたいなものがあったんでしょうね」

他人のことばかりだ。自身の欲望について尋ねると「自分からやりたいことはとくにない」と言う。このところ映画出演が非常に多く、今年公開だけで5本を数える。

「自分が何者なのかって考えたら“映画屋”なんだと思う。それを明確にしたいから。もちろん闇雲に全部受けているわけではなくて、そのなかでも自分でやりたいと思わせてくれる“人”“役”…。“こんな感じなんですけどやれますか”ってまで言われると、非常に鼓舞されますね。まあ“新しい自分なんてない”って思ってるんですけど、自分自身の期待感も含めて」

30代で『トカレフ』に出合い、40代には『ザ・マジックアワー』で三谷幸喜監督に新たな一面を引き出されたという。50代、昨年出演した『草原の椅子』(成島出監督)『許されざる者』(李相日監督)は「越えなければいけないハードルだった」。

「初めての監督ふたりとの結果がスクリーンに映るとき、今後の5年間が変わるだろうと。そこにいる自分が“そんなもんか”で終わるのか、別の映画屋に“今度はこんなこともやってみない?”と言われることになるのか、それはずいぶん考えました」

怒涛の出演ラッシュのあと、父親の三國連太郎を亡くした。

ドラマ1本に出演した後は、ほぼ2カ月しっかりと休んだ。

「僕が自分を臆病だというのは、三國連太郎という役者を見たからです。三國も、石橋を叩いても渡らないほど臆病で。でも、作りこむ役者はそのぐらいじゃないとできないんだと思いました。現場に行って、空気や雰囲気、スタッフ、天候などで若干芝居のニュアンスが変わるときもあると思う。でも行ってその場で全部変えられるほどの度胸はない。そこも三國から来てるんです。まずとことんまで頭の中で考えて考えて、自分の中で納得しないと演じられないところも…」

デビューは20歳。ドラマに出演後、初めての映画『青春の門』のラストシーンで、自分の顔がスクリーンに大写しになったのを観て、思った。

「自分は、そこに居続けることができるのかと…。三國が亡くなってお別れの会を開くときに、映画会社のみなさんに頼んでフィルムを使わせてもらったんです。遺影ではなく、三國が出た映画でお別れしようと…。三國のお別れの会をやったとき、20歳のときの感覚が継続していることを自分でも強く感じたんです。“観られたい”というより“映画の中にずっといたい”という」

インタビューが終わり、去り際に「大変売りにくい映画だと思います。どうかよろしくお願いします」と微笑んだ。

佐藤浩市は映画が大好きなのだ。

1960年東京都生まれ。80年、NHKのドラマ『続・続事件 月の景色』で俳優としてデビュー。翌年に公開された『青春の門』が映画デビュー作。ブルーリボン新人賞を受賞する。94年『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞。文字通り出演作多数、受賞多数。ときに重厚でときに小気味よく、社会派からコメディまで幅広い作品に出演。映画へのこだわりは強いが、いわゆる月9ドラマなどでも軽妙な演技を見せる。『人類資金』の後は、11月に『清須会議』が公開待機。

喜多尾祥之=スタイリング
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武田篤典(steam)=文
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