いい仕事した、と言えるように

伊藤一朗

2014.02.06 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真 杉本和弘(maroon brand)=ヘア&メイク 藤井やす…
楽しく聴きたい新譜は
エンターテインメント

「僕のジェネレーションでも少し懐かしく感じつつ、リズムの感じが新しかったりとか。そういうちょっとした遊びを入れて作ったり…」

というのが、アルバムの1曲め。いっくんは1967年生まれ。エブリ リトル シング(ELT)としてデビューし、丸17年が過ぎた。

アルバムは通算11枚目の新譜『FUN-FARE』。

「ファンファーレって本来は“FANFARE”なんですが、アタマを“FUN”に変えてあるんですね。楽しさを感じていただけるアルバムにしたいなと思って」

さらには今年の新たな活動の始まりを告げる、そんなファンファーレ。

「僕らの前回のアルバムは11年の9月に出たんですが、ショービジネスの世界って、世相や経済の状況に影響を受けることが大きいでしょ。そういう点でも非常にメッセージ色のあるアルバムだったんです。でも、もうそろそろエンターテインメントとして聴いて楽しくていいだろうと」

エンターテインメントとは、人を勇気づけられるもの。寂しい人を慰めるもの。しっとりした気持ちにさせ、笑わせるものだという。

「そういうジョイフルをみんな欲しがってると思いまして、それで今回は自然と“楽しませるにはどうするか”という方向でまとまりましたね」

昨年の秋、アルバム制作にとりかかったときにはすでにいくつかのシングル曲があった。

「それ以外のところでフックになるような曲と、逆にカジュアルな曲を考えました。人間って不思議なもので、全曲気合が入っていると肩が凝ってしまうんですよね。そうやってうまくバランスをとればアルバムとして聴いたときにいいパルスができる」

ELTのアルバムの定番としていっくん作曲のインスト曲も2曲収録。アニメ『はなかっぱ』映画版の優しいテーマ曲に続いて「Mighty Boys」。ギターとドラムの畳み掛けるイントロが印象的ないっくんのストレートなロックナンバーだ。そしてアーバンで爽やかな「Sympathy」からカルロス・トシキ&オメガトライブの88年のヒットをジャズファンク風にカバーした「アクアマリンのままでいて」。このへんのつなぎは熟練のクラブDJのように心地良い。

「僕がELTでデビューしたのは20代後半だったので、音楽が好きで好きで…っていう域はもう越えていたんですよ。割り切ってプロになった部分もあったんです。プロというならお金をいただいてやるわけだから、聴く人、楽しむ人ありきなのは当然なんだ、っていう」

いい人であり、正直な人だ。

「ELTの音楽を聴いてくれる方って、マニアックな音楽ファンというよりは日本のポップスが好きな方が多いと思うんです。だからそこから外れたようなことはあんまりやりたくない。とはいえ、毎回同じだと作る方も飽きてしまうじゃないですか。だから毎回のりしろみたいな部分で遊ぶように作ってきたんですが…」

本当に正直な人である。

「それを楽しみながらできるようになったのって、実はここ数年のことなんですよね。以前はゴールを決めねばならないという使命感がそれぞれにあって、やるべきことをやるので精一杯だったんですよ」

きわめて正直に真摯に
自らの未来像を考える

「自分の仕事って、なくてもいいものかもって、震災後に痛感しました。衣食住にはまつわらない部分だし、誰かを直接サポートできる仕事でもない。それを理解したうえで自分がショービジネスをやり続けるのってなんなんだろうかって。“生活のため=お金を儲ける”ではないですよね」

そうして考えて、自分が音楽の仕事をしてもいいという部分を自ら見いだすことができたという。

「あのー、僕は、楽器を触るのが好きなんですよね。演じることが好きだから俳優さんをやっているとか、クルマの運転自体が好きだからドライバーをやっているのと同じように、体と密接に関わることだから。単純に自分がそれが好きで楽しいから」

震災後の音楽の受け止められ方や、音楽(のみならずエンターテインメント)ビジネスの落ち込み方を体感し、歩きながらも自身の立ち位置を考え直してみた結果、仕事がさらに楽しくなった模様。活動の中でもっとも楽しいのは「ライブ」。

「僕はもともと“バンドマン”なんですよ。お客さんの前で演奏してる瞬間が一番“素”の自分に戻れる」

中学のころからギターにハマり、高校ではヘビメタキッズで、20歳のころには仲間たちが次々プロに。そこで一度音楽の道をあきらめた。

「働きながら、自分の好きな音楽を自分でお金払ってやっていけばいいかっていう考えにシフトしたんです。だから完全に趣味ですよね」

どこか、人生に安全地帯を作っておきたい性質らしい。それで神奈川県・久里浜のスタジオに勤務しながら、ときどきバイト的にギターを弾いていた。そう、完全に趣味で。

あるときバンド仲間の友だちのデモテープ作りに参加した。勤務を終えて、彼の勤める青山のスタジオまで終電で向かい、1曲弾いては始発で帰る。そんな二重生活を結構がんばって続けた。その友だちの名は五十嵐充、デモテープのボーカルを担当した女の子が持田香織。このテープがレコード会社の目(耳?)にとまり、瞬く間にデビューが決まった。

でも、デビューってまったく安全地帯ではないのでは…。

「まあ職種を選ばなければ何やっても食える時代でしたし、友だちのプロミュージシャンをいっぱい見てきたから、3年ぐらいの思い出づくりかなと最初は思ってたんです(笑)。それがあれよあれよと忙しくなって…」

デビューの2年後には「Time goes by」が100万枚を売り、ヒットチャート&各種タイアップの常連に。00年には五十嵐がプロデュース業専念のため脱退。かくしていっくんの思い出づくりは、メジャーミュージシャンへの急速な流れへと形を変えた。意図せず急流に放り込まれ、溺れないよう、岩にぶつからないよう必死に泳ぎ続けてきたプロ人生だったのだ。それをついに見直し、楽しむことができるようになったのは、前段で記したとおり。

だがもうひとつ、予測不能な滝壺が待ち構えていた。バラエティだ。

「誤解は承知でやってるんです(笑)。ゴールデンタイムの音楽番組が軒並み減るなか、バラエティは新譜の最高に効率のいいプロモーションの場所なんですよね」

なるほど。でもいっくん、その狙いの範疇を少しずつはみ出して、「出ると面白い存在」になりつつある。

「いやあ~…僕がそれ志望だったら、すごく幸せなことだと思うんですが。楽器持たないで仕事に行くのって、海外旅行に行くみたいなソワソワ感があるんですよね。でも、芸人さんたちの“これ言っても伊藤は怒らないだろう”っていうギリギリのところを遠慮なくぶつけてくる姿勢は意外と嫌いじゃないです。新人の芸人さんだったらこんなに画面に映してもらえないでしょうし(笑)」

あるときは激辛鍋を食して多量の汗をかき、あるときには鋭利なクワガタのアゴで鼻をはさまれ、茶の間に笑いを提供している。

「音楽で人をうっとりさせたり驚かせたりするのと、ベクトルは違えど、そういうことが好きな人たちが集まってる世界ですからね…たぶん僕も根底のところでは人を笑わせるのは好きなんだと思います(笑)。たぶん、この2~3年は今のやり方を判断する過渡期じゃないかな。それにしてもクワガタは痛いですよ。鼻に、穴開きますからねー(笑)」

最後に、未来のあり方を尋ねた。

「そうですねー。シビアに考えると、僕みたいに不出来なミュージシャンは何らかの副業にシフトして、生活のことを考えるべきなんですよ。たとえば名のあるうちにお店をやるとか。財テクに手を出すとか…でも、僕は半ばお金を稼ぐことはあきらめてます。それが自分のなかでわかったんです。でも、あと何年生きて、そのとき家族がどうなってて、僕自身がこの仕事をあと何年できるだろうっていうのもおぼろげに見えてる。だから今は、そこに向かっての思い出づくり(笑)…じゃないけど、ゴールしたときに振り返ってみて、“俺、いい仕事してきたな”って言えるように、これからの仕事に関わっていきたいと思いますね」

1967年、神奈川県横須賀市生まれ。中学からギターを始め、高校時代からバンド活動を始める。卒業後もプロを目指して活動するが、久里浜のスタジオに勤務。その後、参加したデモテープをきっかけに96年、五十嵐充・持田香織の3人でEvery Little Thingとして「Feel My Heart」でデビュー。98年には「Time goes by」がミリオンヒット、01年には歴史的名曲「fragile」をリリースするなど、人気ユニットとして定着。伊藤自身も09年にミニアルバムをリリースした他、近年では(とくにとんねるず、ダウンタウンの)バラエティ番組で独特の存在感を見せている。ELT公式サイトはhttp:// avex.jp/elt/

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真
杉本和弘(maroon brand)=ヘア&メイク
藤井やすのり(CORAZON)=スタイリング

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