長く残るものを作りたい

野村萬斎

2014.02.20 THU

ロングインタビュー


奥山信次=ヘア&メイク スチーム=編集 山田貴美子=文 稲田 平=写真
ドン・キホーテは
現代のヒーローか?

狂言師・野村萬斎。室町時代から続く和泉流・狂言の名跡を継ぐ伝統芸術のニューリーダー。もちろん、その才能は能・狂言だけにとどまらない。たとえば、東京スカイツリー開業の儀式など、国家的イベントの主役だって堂々とこなし、NHKでは子どもとともに日本語で遊ぶ。映画『のぼうの城』では、武士らしからぬでくのぼうの城主・成田長親役を軽妙に演じる…。そして、現在は自らが芸術監督を務める世田谷パブリックシアターで新作舞台『神なき国の騎士-あるいは、何がドン・キホーテにそうさせたのか?』の稽古の真っ最中だ。

「これまでも『まちがいの狂言』『国盗人』『マクベス』など、W・シェイクスピア作品に能・狂言の発想を融合させた作品を手掛けてきました。でも、今回は書き下ろし現代劇で初めて演出・主演することに。僕にとっての新しいチャレンジですね」

今回、彼が題材に選んだのはスペインの作家セルバンテスの代表作『ドン・キホーテ』。騎士道物語を読み過ぎて妄想にとらわれた初老の紳士が、甲冑に身を固め、やせ馬にまたがって旅に出る。彼の大いなる時代錯誤な振る舞いと肉体的脆弱さは、行く先々で嘲笑の的となるのだが…。

「なぜドン・キホーテを選んだかと言えば、これが世界で一番多くの人に読まれている古典の物語りだから。演出家って、基本的に自分の主張を作品に込める人が多いと思うけれど、僕は古典芸能の出身だから、彼ら以上に自分のアイデンティティにこだわる部分が大きい。つまり誰もが知る世界の古典を日本人がやるのなら、中世からある芸能に育てられた僕が手掛ける方が、よりアドバンテージがあるんじゃないのか、と」

もうひとつ、今でなければという理由をぽつりと呟いた。

「ドン・キホーテはちょっとズレた妄想オヤジなのですが、そのズレこそが真実を映し出しているのではないか、と。人からズレている、ボケていると言われる人物の方が、実は世間の常識にとらわれない真実の目を持っている、という考え方ができるかもとしれないと思って。今は、様々な情報に我々自身も振り回される時代。また社会生活においても、空気を読むことを前提とされるなか、“それは本当に正しいか?”と言えるドン・キホーテはヒーローになれる。そんなアンチテーゼをはらむ作品になるんじゃないか、と」

書き下ろしをお願いした劇作家・川村 毅氏から上がってきた脚本は、想像以上に難解だったという。

「正直“どうしよう、コレ”って思いましたよ(笑)。でも、この先に自分も何か得ることがあるような気がして。僕は結構、みんなで芝居を作っていくタイプなので、今回は他のキャストに現場で助けられる部分が大きい。当たり前ですが、芝居って脚本だけですべては解決しない。僕は3歳のころから狂言の舞台に立っているから、いつも舞台上で、皮膚感覚で芝居を見ていた。だから実際に役者を置いて芝居の構成を判断していく。そんな現場での勘には、わりと自信があるんです」

また、全身白塗りでパフォーマンスを行う舞踏集団・大駱駝艦のメンバー8人の出演も見どころのひとつだ。

「今回の演出の大きな課題は、脚本に描かれていない“見えない力”をどう体現するか。舞踏って実は農耕民族の身体性がルーツになっている。それは狂言も同じで、大駱駝艦のメンバーたちは僕とは実はコネクトしやすい存在なんです。今回は“見えない力に突き動かされる人間の象徴”として、彼らに重要な役を演じてもらっています。普通の役者とはまた違う、舞台の空気を左右する圧倒的な存在感の効果を感じてもらえたらいいですね」

僕の人生より長く、
受け継がれる作品を

萬斎は、14歳になる息子・野村裕基くんを指導する師匠でもある。今やすっかり成長し、狂言に対しても意欲的に取り組む頼もしいご子息だが、幼いころは「どうして僕は狂言のお稽古をしなくちゃいけないの?」と聞かれ、その返答に窮したという。

「彼の質問の答えは僕にもわからないから。僕も、昔は狂言の稽古がイヤで、その反動からか、ものすごい勢いでエレキギターを掻き鳴らすハードロック少年やっていましたからね(笑)。ただ、そのころから、もう人前に出ることには慣れていたし、なんとかアーティストとして身を立てたかった。当時はマイケル・ジャクソンやアントニオ・ガデスに憧れていましたからね。狂言なんて古臭いものはイヤだ、そんな想いだったんです」

17歳で初めて三番叟を舞った時から、少しずつ気づき始めた。海外の有名な演出家やアーティストが日本に勉強しにやって来るのだ。日本の古典の技術は、実は宝の山だ、と。日本の芸能の歴史は長く、そのメソッドは優れている。これを使えば海外でも通用する新しい挑戦ができる。古典の世界に身を置きつつ、少しずつ確信していった。

「とくに狂言は能より、かなりオールマイティな芸能。謡って踊れて、マイムもできる。喜劇的な要素もあって、他ジャンルの舞台ともコネクトしやすい。狂言を知るほどに見えてくる、その事実を目の当たりにして、自分は狂言師という人生を自ずと選び取ったんだと思います」

それからの彼は、どうやって自己発信していこうかと考え始める。

「自己発信のために、この“型”を使って他のジャンルの舞台とどう拮抗していくか。僕は狂言の中から外に出て芝居をすることにしたんです。つまり現代劇で狂言のメソッドを使うということ。そんな時は今も、海外のアーティストに対し、本家本元が伝家の宝刀を抜くぞっていう意識でやっていますね」

初めて狂言の舞台を踏んでから早45年。世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任してからは12年。その間、「まちがいの狂言」「MANSAIボレロ」、「マクベス」など、彼が作った新作狂言はロンドン、NY、パリなど、世界の主要都市を巡回し、海外でも高い評価を得てきた。近年では建築家・磯崎 新、現代美術家・杉本博司、音楽家・坂本龍一といった、名だたるアーティストたちとのコラボレーションをする機会も多い。

「誰と何をしようとも、いつも心掛けているのは長く残る作品を作ろうということ。たとえば話題の作品を、旬の役者をそろえて爆発的ヒット作を上演する。民間の劇場なら、それでいいかもしれないけれど、公共劇場は補助金をいただいているのだから、その場限りの紙コップ的に消費されるものじゃなくて、色褪せない、国や世代が変わっても再演が望まれるような良質の作品を目指したい、と。それが世界のフェスティバルを巡回したり、海外公演に行ったりして、ひとつひとつ評価されていくことが、結果、世田谷区民の財産になればいいな、と。“野球チームもサッカーチームもないが、僕の町には世田谷パブリックシアターがある”。地元の方にはそう思ってもらえれば」

そして彼が未来のために、今やろうとしているのは“残すこと”。

「〈命には終わりあり、能には果てあるべからず〉と世阿弥が言っている通り、僕の人生は残り数十年で終わってしまうでしょうけど、能楽には果てがない。だからこそ僕はその歴史の中で、作品とか思想を打ち立てていくことに興味があるんです。しかも僕は自己顕示欲が強いのか、狂言だけじゃなく、別の作品や行動や行為であってもいいので、オリジナルなものを作り、後世に残したい」

古典芸能の面白さは、作品を受け継ぐことにある。師匠からの技術を自分の時代にどう開花させるか。また自分の技術を伝え、その後継者がいかにバージョンアップした芸に昇華させてくれるか。そのためにも今は、後を継ぐ者を育てなければ、という使命感もあるという。

「今、何のために息子に稽古をつけているかと聞かれれば、それが、私が彼に残してあげられる一番の財産だから。稼業のためかと聞かれれば、そうではなく、これはもう僕の生き方なんでしょうね。もっと言うと僕にとって狂言は室町時代から連綿と続く伝統であり、世田谷パブリックシアターは現在から未来へ発信する挑戦です。古典も以前はみな新作。自分の新作が未来に残るかどうか、自分でもまだまだわからない。きっと正解のない旅をしているんだと思います」

1966年、東京生まれ。狂言師。70年『靱猿』で初舞台。国内外の能狂言公演は もとより、舞台『子午線の祀り』『オイディプス王』『ハムレット』『敦― 山月記・名人伝』『国盗人』『藪原検校』『マクベス』などに主演。02年より 世田谷パブリックシアター芸術監督に。ほか、映像では、85年、黒澤明監督『乱』、 97年NHK朝の連続テレビ小説『あぐり』、01年『陰陽師』でブルーリボン賞主演 男優賞、日本アカデミー賞優秀男優賞受賞。11年『のぼうの城』で第36回日本 アカデミー賞優秀主演男優賞受賞。オフィシャルサイトは www.mansaku.co.jp/

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