極楽とんぼの着地をちゃんと

加藤浩次

2014.06.19 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 サコカメラ=写真
こんなふうにできた
12年ぶりのコントライブ

「すごく楽しかった。でも始まるまでは恐怖心でいっぱいでした」
幕が開くと、中東風のハウスっぽい音楽に合わせ、男たちが踊る。だがダンスの完成度は低い。動きがもっさりしている。と、音楽は止まり、ダメ出しが始まった。

加藤浩次がこの2月にコントライブを行った。極楽とんぼとしてグローブ座で行って以来12年ぶり。今回は博品館劇場。約380席×3公演のチケットは1分で完売した。

そのライブがDVD化された。

冒頭のダンスは、実は「ダンスの練習コント」。舞台はその後すぐ「何かをしでかして逃げてきた人たちコント」に代わる。『レザボア・ドッグス』的に、彼らが何をしでかしたのかはわからないまま言い争う。

出演は六角精児、矢作 兼、秋山竜次、平成ノブシコブシ吉村、マンボウやしろ、そして加藤浩次の6人。ラジオ局、手術室など、様々なシチュエーションのミニコントが次々と繰り出される…のだが、最後になってそうではなかったとわかる。

「怖かったですねえ、何より客の反応が。44歳の僕が自分で面白いと思ってることが、今いろんな舞台を見ているお客さんにとってどうなのか。そこがずれてるんじゃないかっていう恐怖心ですね。それはイシハラも同じじゃないかな。相当気合入れてホン書いてくれてましたし」

イシハラとは『行列のできる法律相談所』や『アウト×デラックス』など数十本のレギュラー番組を手がける放送作家の石原健次。

「極楽とんぼの『テレビ不適合者』ってDVDにも石原が入ってて。“あんな感じのことやりましょうよ”って、何年か前から言われてたんです。そういう状況でもないから断ってたんですけど、今回、そういう話になって、ふと、やろうかと」

それが去年の3月。まず劇場と出演者のスケジュールを押さえ、週1回の会議を持つようになった。

「『スッキリ!!』終わりに雑談から始めました。適当にコント案を出し合いながら“ちゃんとつなげよう”ということは最初からイメージしてましたね。地図でアップで見てるとそんなに変わらない二つの国があって、どんどん引いて見ると実はでっかい大陸と、突起みたいになってる小さな国がある話をして、そこから世界観は広がった気がします」

タイトルは『イルネス共和国』。10月まで話し合い、12月初めに台本になり、年末に顔合わせ、年明けから毎週金・土・日に稽古。

「夜10時ごろから。大きな流れは決まってるし、構造上、コントの順番の入れ替えもできないけど、細かいボケとかは稽古しながら、みんなでアイデアを出し合って決めましたね。その都度みんな思いついたことを言って、稽古は“覚える”というより“固める”作業でした」

公演が終わるまでDVD化は承認しなかった。というのも、ちゃんとできるかどうかわからなかったし、「DVD化前提」ということに内容を左右されたくなかったから。

「ライブがとても面白かったので、まあ残しても大丈夫かということと、一番大きいのは今回のライブが赤字ということ。損失は補填しないといけないですからね(笑)。まあ最近、DVDもあんまり売れませんけど…」

芸人になったわけ
仕事のシフトチェンジ

芸人になった理由を尋ねたら、「山本に誘われたから」と言う。

母子家庭でテレビが大好きで、小学校の卒業文集の「将来の夢」はプロデューサー。中学の希望進路には「芸能人」と書いて提出し、呼び出しを食らった。そのくらい北海道から芸能界は遠かった。サッカー選手の夢も、前十字靭帯とアキレス腱を断裂して断念。人生の道筋を見失ってともかく就職。ところが…。

「札幌のクラブで声をかけた女性が東京ヴォードヴィルショーの研究生で、“北海道なのに、欽ちゃんバンドの人のところで!?”って純粋にびっくりして。高校の同級生で、東京のギターの専門学校に行ってるヤツがいたんですけど、そいつに“東京どう?”って尋ねたら“楽しいよ!”“じゃあ行くわ!”(笑)」

運良くヴォードヴィルにも合格。

「そこで山本ともう一人で、渋谷の『ラママ』でやってたコントライブに出始めたんです。ヘンな自信はありましたね。ものの1年でテレビぐらい出られるだろうと。面白くないと思った人が手を挙げるとそこで終了させられてしまうんです。ものの数分でダメでした。はっきり覚えてないけど、それが悔しかったんだと思います。そのとき“こっちをやってみたい!”っていう気持ちにスライドしたのかもしれないですね」

ヴォードヴィルでは課外活動を禁じられており、折しも吉本興業の東京での新人募集の告知を雑誌で発見。ここで二人になった。

「とんでもなく競争率の高い世界でしたよ。当時赤坂のマンションの一室だった東京吉本で、何百人とネタ見せに来てました。一組ずつ入っていって“次”“次”って。毎週1本ずつ新ネタ作っていくんですよ。しんどいし、ボロクソいわれて、3カ月後ぐらいには30~40組に減ってました。そこで十何組かを選んで『吉本バッタモンクラブ』っていうライブをやりますよーと」

ひたすらネタ見せは続き、良ければライブに。ダメならまた次回。

「自分らよりウケてたり、面白いヤツらがいるのが悔しくて。それを越えたい。悔しさの連続でしたね。そのとき、作家の伊藤(正宏)さんが見に来てくれて、変なコトやってるのがいるって、番組のネタ見せに呼んでくれたんです。その頃僕らがやってたのは“ケンカになるコント”の前身。何でもないのがマジのケンカになる…のがしっくり来ていて」

それが、若手芸人がネタ見せをするフジテレビの『新しい波』。担当していたのは片岡飛鳥。93年に『とぶくすり』を立ち上げるとき、この番組からナインティナイン、よゐこ、極楽とんぼを抜擢する。そして番組は『めちゃイケ』へとつながる。

「何か劇的なエピソードを話せたらいいんですけどね、全然ないです」

というのは、その後の仕事のシフトチェンジの件。月~金曜の『スッキリ!!』ではすっかり朝の顔。『スーパーサッカー』のキャスターは13年めで、TBSのワールドカップキャスターは今回で4大会連続。『がっちりマンデー!!』では、経済と企業の話にソフトに切り込む。

芸人である。でもキャスターやMCの割合が大きくなっている。

それは全部“流れ”だという。徳永英明の病気降板で『スーパーサッカー』から声がかかり、02年日韓ワールドカップで仕事をしたスタッフから『がっちりマンデー!!』につながり、それを見た日本テレビの幹部から『スッキリ!!』のオファー。

「オレ、そもそも“逆らう”タイプだったんです。世の中の流れに対してグーッと踏ん張って乗っからないようにしてました。それが30歳ぐらいから、任せてもいいかと思い始めたんです。“絶対そんなのやりたくねえ”とか、“これがやりたい!”って何のスキルも裏付けもなく主張するのは若いヤツの特権だと思うんですけど、僕を見た人が“それをやった方がいいんじゃない”って思うことをやればいいんじゃないかなって(笑)」

やりたい、というより、流れがそうだから。ただそこに乗ってからは自分の責任。結果を出すために勉強をする。それは断言している。たぶんそんな姿勢が支持されて、新たな流れが生まれてきたに違いない。

では、もし仮に何の流れもなければ、加藤浩次、何をしたいのか。

「こういうライブである程度生活できるなら、それだけでもいいですね。作るという作業は楽しいです。テレビってアウトラインが大方決まってるんですよ。スタッフのみなさんが番組をより良く面白くするために考えて、僕はそのパーツの1個として機能すべきだと思ってるんです。でもライブはそれとは違って更地に自力で家を建てる感覚。面白さを実感しました」

実は、来年ライブの第2弾を予定している。

「世間から許していただけるなら、山本ともう1回…。志半ばで止まっているので、僕としてはどこかで決着つけないといけないと思ってます。僕が未来について思うことは、まず極楽とんぼというコンビの着地をちゃんとさせたいということ。まずそこですかね、今は」

1969年北海道生まれ。高校卒業後、上京。東京ヴォードヴィルショー研究生を経て極楽とんぼ結成。芸人としての活動に加え、キャスター、MC、俳優としても活躍。現在出演中のおもな番組は『めちゃ2イケてるッ!』『スッキリ!!』『スーパーサッカー』『がっちりマンデー!!』『先輩ROCK YOU!!』など。TBSのワールドカップキャスターを4大会連続で担当する。

武田篤典(steam)=文
サコカメラ=写真

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト