肩の力を抜いて泳ぐ

北島康介

2014.07.17 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 サコ=写真 多田亜樹博(deapres)=ヘア&メイク
4年ぶりに代表を逃す
でも、残念ではない

水泳のジャパン・オープンが開催されたのは6月19日~22日のこと。8月のパンパシフィック選手権と、9月のアジア大会代表の追加選考を兼ねた大会だ。北島康介は、100m3位、200m13位に終わり、代表入りを果たせなかった。インタビューは、その10日後に行われた。

―それほど残念な気持ちではない、とおっしゃっているようですが。

はい、今年は別に入っても入らなくてもよかったんですよ(笑)。代表に入るために一生懸命やるより、今年は新しく出てきた若い選手と一緒に練習して高め合う期間だと思ってたし、若手が力をつけて、来年の世界選手権とかその先のオリンピックに向けて準備していくときだから。それに今年は世界選手権がないので。

―ある大会によって違うんですか。

気持ちの張り方は違いますよね。今年は、そんなに高いレベルで泳げるとは思っていませんでした。僕も若くはないので、ある程度狙ったところで結果を残せるようなコンディショニングを心がけています。20代前半のころのように結果だけを求める水泳中心の生活とは違って、自分の会社でも仕事をしていますから、100%水泳に注ぎ込む時間は減りました。その分、目的意識や楽しみを持って取り組もうと。

―いつごろから変わりました?

2012年のロンドンオリンピックは、「何が何でも結果」ではなかったですね。周囲とは温度差あったと思うんですけど…。

―「北島康介オリンピックに行く」ですから、期待も大きいですよね。

課せられるものはそうですよね。でも個人でメダルを取れなくて、それは僕のなかでは死ぬほど悔しいものでもなくて。

―とはいえ、それを表に出すことはできないですよね?

そうなんですよ。“戦う精鋭部隊”として勝負に行くわけですから。でも初めてオリンピックに金メダルを狙いに行ったときの、本能的な熱さみたいなものはなかったですね。「引退」みたいな流れになってましたけど、僕に近い年齢の後輩が現役続行していて、帰国後一緒に練習することで、新しい水泳観が生まれることにも期待していたし。

―今年のジャパン・オープンの後も引退っぽい話が出ていましたね。

メディアってすごく単純なんですよね。「今年代表入れなかった」→「だから引退」っていう、そんな言葉が聞きたいんだと思うんです。選手として認めてくれてるのであれば、あんまりそこは追求しなくてもいいんじゃないかなって気はする。本人の口から出たなら別だけど、迫られるのは選手にとって酷ですよ。やめるか続けるかっていうことは、トップに行けば行くほど重みが増すところなんでしょうけど。

―来年のロシアの世界選手権は目指すんですよね?

水泳界のビッグイベントですからね。そういう大会で泳げるのであれば、シンプルに興奮できるしね。生活に張りが出てくる。今年代表に入れなかったのはリセットして、来年4月に代表選考があるので、そこに向けてどんな取り組みができるか。その第1弾として7月にLAインビテーショナルというアメリカの大会に出ます。原点みたいなところに戻って、もう1回トレーニングして。でももしかしたら「もうやめたい」と思うかもしれないけど、それはいつ来るかわからないことだからね。

失敗したからではなく
成功の後に自分を変えた

原点というのはUSC(南カリフォルニア大学)。北島康介は男子100m平泳ぎ、200m平泳ぎの2種目で、04年アテネ、08年北京のオリンピック2大会連続金メダルを勝ち取った後、09年に競技を離れてアメリカ留学を決めた。同じタイミングで、大学在学中からマネジメント契約していた会社を離れ、自身が代表取締役を務める「imprint」を設立。ちなみに大学卒業後の05年以降は、日本コカ・コーラと所属契約を結んでいる。さらに日本初のプロスイマーでもある。

―アメリカに行くときには選手をやめる可能性もあったんですか。

そうですね。やめようとも続けようとも考えず、生活を変えたい一心でプラッと(笑)。

―その間、日本では、仲間たちが着々と会社を設立していたと。

今でこそこの会社ではいろいろな仕事をさせてもらってますが、当時は僕のマネジメントでしたね。

―北島さんって、キャリアのあり方についてすごく考えてますよね。

でも遅い方ですよ。もともと水泳ってプロのない世界で、主に学生スポーツとして結果を求めていく選手が大多数で、最近になって社会人になってから記録が伸びて結果を残す選手も多く出て。そうして長い間続ける選手が増えるのはうれしいんです。終わったときにどう過ごすか。それは選手みんなの悩み。そこで何も残らないのは寂しい。僕で言うと2008年ごろから考え始めましたね。

―水泳以外のことも知りたいってアメリカに行かれて、すぐに復帰されたのはなぜですか。

コーチのデイブ(・サロ)に会えたのが大きいですね。デイブに「国のためとかではなくて自分のために泳げば?」って言われたんです。「何を言われようと、オマエには残してきたものがある。ともかく今泳ぐことを楽しめばいいと思う」って。ライバルの国だったアメリカが僕をリスペクトを持って受け入れてくれたし、スイス、オーストリア、ドイツ、イタリア、チュニジア…世界のスイマーがそのチームに来ては一緒に泳いでた。もちろんアメリカの一流現役選手も。すごく居心地の良いチームでした。2008年まではつねに刺を出しながらやってきて、自分のテリトリーから外に出ると、その刺が自分を苦しめてた。もちろん世界と戦うにはあのやり方でよかったと今も信じてますが、肩の力を抜いて泳いでもいいんだとわかった。そこからだと思いますよ。競技は続けたいけど、もう1回オリンピックで金メダルを取りたいかって考えると、そうでもない感じになってきたのは。世界の大きな大会に行くとき、それまでは閉じてた自分のテリトリーをオープンにすることができて、海外の選手の活躍も素直に喜べるようになった。それがスポーツの本当にいいとこなんだなと。より水泳が好きになって、より高めていきたいなって思うようになりましたね。

―ところで、北島さんにとっての「失敗」ってどういうことですか?

うーん…考え方によっては、今年代表になれなかったのも失敗ですよね。競技者としての失敗は、一般的に言うと「思った結果が得られないこと」でしょう。でも個人的にはそうは思わない。僕自身、毎年毎年自己ベストを更新して金メダルを取ったわけじゃないし。結果で評価される世界ではあるけど、さらに上に行くには、失敗があって教訓があってステップできるものだと思う。むしろ競技をしてると成功の方が少ないんだよね。失敗を重ねないと強くなれないのは当然。失敗は当然。

―細かな失敗を繰り返しつつ成長すると。

ええ。

―でもその失敗はいちいち失敗と認知しないわけですね?

むしろそれに負けない精神力やそれを上回る好奇心や忍耐力を持ち合わせるべきだと思いますね。

―会社の方では、今どういう仕事をしているんですか?

選手活動と、あとは以前やってた全国の子どもたちと触れ合う活動が「アクエリアス 未来への夢はじめよう。」プロジェクトという名前に変わって続いてます。今年は10月と11月に福島と山口と北海道に、小学生対象で水泳を教えに行きます。「キタジマアクアティクス」のスイミングスクール事業は、子どもから大人まで。元競泳選手や、水に関わるアスリートたちをインストラクターに起用して、一般のスポーツクラブがやらない、より“深い”ところでのレッスンを展開してます。僕がアメリカで気付かされた“水泳を楽しむ”ということを教えられれば一番いいのかな。

―で、その辺の経験を生かしてほしいと、東京都水泳協会の理事に選ばれたんですよね。

ジュニアのときからお世話になってる上野広治先生が会長になられて。「康介、現役中悪いんだけど理事やってくれないか」と。まあ僕なりの立場から意見を出して若い子たちの役に立てればと思って引き受けました。まだ大きなビジョンはないですけど、東京都の水泳の発展が将来の日本の水泳界の発展につながると信じています。

―最後に、この号の特集のタイトルが「30オトコの10年後、どうなる? どうする?」なんですが、北島さんは10年後に何をしていると思いますか?

10年後か…いつも4年単位で未来を聞かれて、「長いよ!」って言ってたからなあ(笑)。一線では活躍してないでしょう。会社では水泳事業にもっともっと力を入れていると思います。そのとき41歳か…。21歳のとき、今みたいな10年後は想像もしてなかったんで、もしかしたら自分でもびっくりするようなことになってるかもしれないですね。まあ選手としてかどうかはさておき、泳いでいたいなと思います。

1982年9月22日、東京生まれ。5歳から水泳を始める。2000年シドニーオリンピックに初出場し、4位入賞。大学卒業後、日本コカ・コーラと所属契約を結び、プロスイマーに。04年アテネオリンピックと08年北京オリンピックで100m・200m平泳ぎで金メダルを獲得。2種目2連覇は日本人唯一。09年、ロサンゼルスに拠点を移し、南カリフォルニア大学でトレーニングを行う。同じ年、マネジメント事務所であり各種事業を行う会社imprintを設立。共同で代表取締役を務める。2012年、4大会連続出場となったロンドンオリンピックでは4x100mメドレーリレーで銀メダルを獲得。

武田篤典(steam)=文
サコ=写真
多田亜樹博(deapres)=ヘア&メイク

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト