主役なんて想像しなかった

片岡愛之助

2014.09.18 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 手塚陽介=スタイリング SACO.=写真 山崎潤子=ヘアメイク
楳図かずお役の苦悩、
絵コンテで吹っ飛ばす

「即刻お断りしましたよ」
片岡愛之助は笑いながら言った。そりゃそうだろう、と素人でも思う。“楳図かずお役”なのだから。意外なキャスティングが功を奏する場合もあるだろうが、やっぱり違う。でも愛之助さん、オファーを受けた。
『マザー』という映画の話だ。『おろち』『洗礼』『漂流教室』などなど、SFマインドと恐怖にあふれた作品を描いてきた楳図かずおが、自らの創作と出生の秘密を明らかにする自伝的作品を、77歳にして初監督。“自伝的”ったって、全然自伝ではない。楳図かずお自身とその作品をモチーフとして描き出す因縁モンスターホラーなのである。

―なぜ受けたんですか?

楳図先生が「楳図かずおという漫画家の役を演じてほしい」ということをおっしゃったんです。先生ご自身ではなく、役ということなら務めさせていただきます、と。ただ、主人公の楳図かずおという人物をどう演じればいいのかまったく見当もつかなくて。それで事前にお食事をさせていただきました。

―ヒントは得られたんですか?

先生に尋ねたら「台本を読まれて思われたとおりにやってください」と。まるで禅問答ですよね(笑)。だいたいいつも演じるのは架空の人物か、歴史上の人物です。後者の場合、もちろん事前に勉強しますが、今回みたいに目の前にいることはないでしょう(笑)。だから食事の時、クセでもないかなと思って見てたんですけど、それも見つからず。弱ってたら、絵コンテを見せてくださったんです。

―楳図さんの作ですか?

もちろん。「どう演じるか」が具体的に絵で描写されてました。通常の絵コンテは人物の配置と動き、目線なんかを簡単な図で描いてあるものですが、先生の絵コンテはそのまま漫画として成立する。それで「ここは“ギャー”って驚くんだな」とか「“ギロッ”って見るんだな」とか、演技の方向性が一目瞭然。もはやそれ自体が楳図先生の演出だったんですよ。

―なるほど。お母さんが亡くなるシーンとか、楳図さんが首に注射器を刺されるシーンとか、脳波を測られてる時の「ギャー」とか…。

わかるでしょ(笑)。面白いなと思ったのは、赤いボーダーシャツが何枚も用意されていたことです。

―それは、汚れたり破れたりした時のためにじゃないんですか?(以下、愛之助さんのセリフには伏せ字が入ります。答えは欄外※に)

違うんです。楳図先生がおっしゃったのは、このボーダーの「×を×××」と。ご覧になって気づかれました? 主人公が強気の時と弱気な時とで変えるんですよ。他の監督なら、絶対やりませんよ。だって同じシーンのなかで違ったりするんですから! 普通の現場なら大事件ですよ。でも度外視。気持ちであえて変えるなんて、漫画ですよ!

―そこはインタビュアーとしては指摘したかったですねえ。

でしょう?(笑) でも誰も気づかなかった。そんな発想、楳図先生にしかできないですよ。

大好きであり続けた
歌舞伎に責任を持つ

―歌舞伎以外のお仕事の時って、「糧になること」を求めてます?

どこかにはあると思いますよ。僕らは何をしても絶対に勉強になるんです。たとえば次回新作歌舞伎を作る時に、ホラー的な要素が取り入れられるかもしれない。あるいは歌舞伎で培ったものを映画やドラマに用いることもできる。引き出しにしまっておけば、いつか、「あ、これがあった」って思い出すんだと思います。そのタイミングで取り出して「これは合うんじゃないか」ってできるわけですね。

―歌舞伎を知らない人に歌舞伎への親しみを持ってもらいたい、ということもあるんですよね。

「『半沢直樹』の黒崎が歌舞伎に出てるぞ!」とか、実はこの夏仮面ライダーの映画に出たんですけど、「ライダーが歌舞伎やってる!」って見に来ていただけたらいいなあと思ってるんです。でもそれで「面白くない」と思われると本末転倒。たぶんその人は二度と歌舞伎を見に来ません。実際に来ていただいた時に、「こんなに面白かったのか!」って思っていただかなくてはいけない。そこが僕の本領ですから。

―歌舞伎の面白さに絶対の自信がないといけないと。

はい。それで自分の座頭公演だったら昼の部に新作歌舞伎を掛けて、夜の部には古典をやる。新作歌舞伎は初めて見た方でもわかりやすく作ってあるんです。そうすると昔ながらの古典を見たくなるのが人情。それで夜も来てくださる。歌舞伎は難しいことはないんですよ。日本語でやってることですし、芸術だとか高尚に思われがちですけど、そんなことはありません。

―衣装も装置もキレイだし、おまけに見たことのある人も出てる。

普段古典を見ている方はもちろん、初めての方でもお楽しみいただけるように工夫してやっておりますので、ぜひお越しいただいて、お楽しみいただければと(笑)。

―それは子どもたちでも?

むしろ子どものころに見ておくべきだと思います。国立劇場の『歌舞伎鑑賞教室』という公演があるんですが、ここで、亡くなった成田屋の(市川)團十郎のおじさまから教わった歌舞伎十八番の『毛抜』を1カ月間やらせていただいたんです。小・中・高・大の学生さんが集まるなかで、一番前のめりになって全編盛り上がってくれるのが、小学生。役者が怒ったり泣いたり見得切ったりするだけで喜ぶ。中・高・大と進むと、寝たり斜に構えたりする子が増えます。だから、物心ついたら見せる、っていうのは大事ですよ。小学生の時の「なんかしらんけどオモロい」っていう感覚はその後もずっといい印象として残りますから。僕自身、歌舞伎を始めたのが6~7歳で、最初は「ストーリーは分からんけど白塗りって面白い、宙乗りってスゴイ」って思いましたから。

―児童劇団から歌舞伎に入られたんですよね。歌舞伎俳優の家に生まれた子は「やらざるを得ない」からやります。普通の家庭に生まれた愛之助さんの場合は…?

僕は好きだからやってきました。ずーっと脇役でセリフも一言ぐらい。でも、歌舞伎に出合ったころの好きな気持ちがそのままあり続けたんです。

―いずれは主役を、みたいなことって考えなかったんですか?

そんなおこがましい(笑)。セリフひとつのお役でも難しくてきちんとできないのに、自分が主役をやらせていただけるなんて想像だにしてませんでした。そもそも若手のころは、お客さんが自分を見に来てくださってるとは思っていませんでした。だから空席が目立ってても「今日は入ってないなあ」っていう程度。結局、前に主役さんがいらっしゃって、自分はサポートをしているだけの立場ですからね。

―前に『情熱大陸』で「どんなベストな芝居をしてもお客さんがいなければアウト」とおっしゃってましたよね。そういう気持ちはいつ芽生えるんですか?

いつかなあ…12~13年前に(市川)染五郎、当時の(市川)亀治郎、愛之助で「花形歌舞伎」を開ける、と決まったときかもしれません。それまでは何があっても大先輩たちに頼っていたのですが、そのときは僕らがメインですからね。初めて「お客さん、来るのかな」って意識したんです。「僕たちで大丈夫なのか。どうしたら来てもらえるのか」って(笑)。

―さっきおっしゃってたように演目を決めたりできるのは…。

この10年ぐらい。主役をやらせていただくようになってからですね。

―今のブレイク状態についてはどう思われてるんですか?

この10年は歌舞伎で大きなお役ばかりさせていただいてきました。そうしたなかで出させていただいた作品がたまたま当たった。今でよかったなと思います。家のお芝居をたくさん教えていただき、いろんな大役をさせていただいた。非常に濃い修行をさせていただいた。もちろん今でも修行の身ですけど、10年前に同じ現象が起きていたら、中身が伴わずすぐに終わっていたでしょうね。

―今なら動じない、と。

というか、実は仕事の内容は変わってないんですよ。歌舞伎はもちろん舞台も。変わったとするなら、バラエティへの出演が増えたことと、それにともなって町中で声を掛けていただく機会が多くなったことぐらいですね。

―失敗はありましたか。

ないです。人生って年輪のように積み重なっていくからこそ深みも味も出る。失敗も考えようじゃないかと思うんです。失敗を悔やむ瞬間に、確実に得ることはあるんですよ。だからそっちに注目した方がいい。悩みって、解決しないから悩みなんですよ。それをいつまでも悩んでたって時間の無駄でしょ。だったらそれとは違うことに頭をフル回転させて、違うステップのことを考える。するとね、意外に元の悩みの鍵が見つかることがあったりするんですよね。


※ボーダーの「幅を変える」

1972年、大阪府堺市生まれ。5歳から児童劇団に所属、7歳で歌舞伎の舞台に。片岡秀太郎に才能を見出され、十三世片岡仁左衛門の部屋子となり、片岡千代丸を名乗る。93年、片岡秀太郎の養子となり、六代目として片岡愛之助を襲名。古典のみならず、歌舞伎と現代劇を融合させた「平成若衆歌舞伎」の中心メンバーとしても活躍。2003年からは映画・ドラマにも積極的に出演。13年の『半沢直樹』ではオネエキャラの官僚・黒崎駿一役が話題を呼ぶ。歌舞伎以外の舞台にも意欲的。14年には三谷幸喜作・演出の『酒と涙とジキルとハイド』、栗山民也演出の『炎立つ』に出演。公式ブログはhttp://ameblo.jp/6ainosuke/

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山崎潤子=ヘアメイク

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