王 貞治、田中角栄、池波正太郎…

大物著名人の年賀状エピソード5選

2014.12.05 FRI


池波正太郎(いけなみ・しょうたろう) 生来の筆まめであり、几帳面な性格で知られた池波正太郎。新年を迎えると同時に、翌年の年賀状のことを考えていたという。年明け早々に絵柄を決めてはがきを手配。夏から師走にかけ、1000 通を超える宛名をすべて直筆でしたためていた(写真提供/時事通信)
道を究めた大御所たちの年賀状エピソード。そこには、節目の挨拶をおろそかにしない、偉人たちの誠実な人柄が垣間見える。

たとえば、王 貞治や田中角栄は、ファン、支持者から毎年山のように届く年賀状一通一通に目を通したり、心を込めて返信したりしていたという。また、池波正太郎も1000通以上の年賀状すべての宛名を直筆で書いていたそうだ。新年が来ると、もう翌年の年賀状のことを考えていたというから驚かされる。作家としても生涯にわたって締め切りを守り通した氏の、几帳面さを物語る逸話だ。

一方で、年賀状に最期の言葉を託す大御所も。「今も猶 やまひ癒えずに告げてやる 文さへ書かず深きかなしみに」。これは石川啄木が歌人仲間に送った年賀状につづられていた短歌で、病床にて死を覚悟した心情を詠んだものだ。

また、坂本 九も亡くなる直前、2人の娘に“最期の年賀状”を残している。「21世紀に年賀状を送る」という企画に際し、飛行機事故の4カ月前に投函されたもので、2001年の正月に本人たちのもとへ届けられた。「ひょっとしたら花子には子供がいるかもネ 良き母として、妻として、ついでに良き娘として…」。愛娘への想いがつづられたメッセージは感動を呼んだ。

年代を超えて慕われる大御所の年賀状。送る相手に対する一流の心配りに学ぶところも多いはずだ。
(榎並紀行/やじろべえ)

  • 田中角栄(たなか・かくえい) 首相在任時、元旦になると段ボール箱いっぱいの年賀状が自宅に届いた。激励や応援ばかりではなく、なかには批判や冷やかしも。ピーク時には数千通を数えたという。分刻みの多忙なスケジュールのなか、その膨大な年賀状すべてに目を通したとされる(Getty Images)
  • 坂本 九(さかもと・きゅう) 広島中央郵便局(現・広島東郵便局)の一日署長を務めた際、「21世紀に年賀状を送る」企画で愛娘に宛てた年賀状を投函。その4カ月後、御巣鷹山の飛行機事故でこの世を去るも、16年後にその年賀状が娘たちの元へ。そこには故人の愛情あふれるメッセージが添えられていた(写真提供/時事通信)
  • 王 貞治(おう・さだはる) 現役時代、多いときでは3000通以上の年賀状がファンから届いたが、そのすべてに返事を出していたといわれる。優勝旅行で訪れたハワイのホテルにもはがきを持ち込み、一通一通、直筆のメッセージを添えたという。真面目で律儀な人柄がうかがえる(Getty Images)
  • 石川啄木(いしかわ・たくぼく) 石川啄木が最期に詠んだ短歌は、肺結核で亡くなる4カ月前に歌人仲間に送った年賀状に書かれていたものといわれる。病気が治らない悲しみの深さを短歌に込め、死を覚悟した心情を伝えるものだ。年賀状の現物は、函館市文学館に今も大切に保管されている(写真提供/時事通信)

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