結論はまた来週

高橋秀実「面白いのはあなたです」

2015.08.28 FRI


イラスト・小笠原 徹
「どうすれば面白い文章が書けるんでしょうか?」

時折、そう訊かれることがある。私は正直に「わかりません」と答えていたのだが、それも愛想がないので、「そんな方法があるなら、私も教えてほしいくらいです」と切り返すことにした。実際、そう思っていたのだが、これは間違った答えであることに最近気がついたのである。

方法やコツが「ある」などと思えば、それらを知るまでは面白い文章が書けないことになる。文章より内容などを考え込んでしまうことにもなり、肝心の文章が先に進まないのだ。

才能もそうだろう。文章は才能だと言う人もいるが、自分に才能が「ある」などと思うと、文章を書く際にその才能を見せなくてはならなくなる。モノであれば「ある」のを見せるのはたやすいが、才能はモノではないので、見せるといっても何を見せるのかよくわからず、見せようとしている姿勢を見せることになって、自意識過剰に陥るだけである。

方法もないし、才能もない。

文章を書くにあたっては、まずそれを認め、あきらめることが大切ではないだろうか。実際、私はそうしており、せめてきちんとした文章を書こうと心がけている。「てにをは」を的確に使い分ける。漢字などを誤用しないように。そして書かれた人が傷つかないように。そもそも文章を書くとは恥をかくことである。書けば間違えることもあるし、無知も露呈する。恥をかくなら、せめて読む人に失礼のないようにかきたいと願うばかりなのである。

ちなみに私は面白い文章を書こうなどとは思っていない。むしろ書いてはいけないと常々戒めている。というのも自分で読み返してみるとよくわかるが、文章自体が面白いのは、はっきり言ってひとりよがりの印象しかない。特にノンフィクションの場合、文章は伝えるためのもの。伝えるべき対象ではなく、文章の面白さ、要するに「面白いでしょ、これ」という自己陶酔を伝えてしまうのである。お笑い芸人でもよく見かけるが、自分で言って自分で笑うようなもので、書き手が先に笑ってはいけないのだ。

文章を読んで「面白い」と感じるのは、文章自体ではなく、読む人のセンスである。もし面白い文章があったとするなら、それは文章ではなく、読む人にユーモアがあるのだ。例えば「左の反対は右です」という文章は面白くもなんともないが、前後の文脈などからぷっと笑えるとしたら、それは想像力がなせる業。たとえ当たり前のことでも、新鮮にとらえられることがむしろ才能といえるのではないだろうか。

睨めっこもそうだが、面白そうにつくった顔はあまり笑えず、睨めっこという対決にもかかわらず、いつものように真顔でいると笑える。実は真顔が一番面白いのである。私の取材経験から言わせていただければ、人はそのままで十分に面白い。つまらなくなってしまうのは、そこに「面白さ」を重ね塗りしてしまい、本来の魅力を潰しているから。こうしなければ面白く感じないでしょ、と訴えているわけで、それは相手の感性を信頼していないという表明でもあるのだ。

もともと「面白い」とは「面(顔)」が白いことである。火を囲んで話をしている時に、話に引き込まれて顔を前に出すと顔が白く浮かび上がることに由来するそうだが、私はこの「白さ」が重要なのではないかと思っている。余白の白というべきか。そこに余白があるからあれこれ言いたくなるわけで、人を言いたくさせるのが、あえていうなら面白い文章。批判も悪口も大歓迎。この連載も皆様の踏み台になっていたら幸いです。長い間のご愛読、ありがとうございました。

文・高橋秀実(たかはし・ひでみね)
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。他に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『男は邪魔!「性差」をめぐる探究』など。

※本記事は、『R25』2015/8/27号より転載しました。「結論はまた来週」は今号で最終回です。長らくのご愛読、ありがとうございました。

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