大久保嘉人「釣りだけして生きていけたらいいなって」

大久保嘉人

2015.12.24 THU

ロングインタビュー

1982年福岡県生まれ。国見高校3年生の時、インターハイ、国体、冬の選手権の高校三冠を達成。卒業後はセレッソ大阪に入団。04年、五輪代表としてアテネ大会で活躍し、スペイン一部のRCDマヨルカへ期限付き移籍。06年にセレッソ復帰、07~08年はヴィッセル神戸、09年よりブンデスリーガ・VfLヴォルフスブルク。シーズン終了後に神戸に復帰。ワールドカップは10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会に出場。12年より川崎フロンターレで3年連続得点王に輝く。大久保嘉人オフィシャルブログ: http://ameblo.jp/okubo-yoshito//Twitter: @Okubonbon13/Instagram: YOSHITO13
みなさんは「Jリーグアウォーズ」をご存じだろうか。シーズンを通じてJリーグで活躍した選手、監督、クラブ、審判などを表彰するイベントで、今年は12月21日に開催された。登壇者はみなタキシードで決めている。3年連続得点王という、Jリーグ史上初の快挙を成し遂げた川崎フロンターレの大久保嘉人は、今年はじめて自前のタキシードを作ったという。去年まではレンタルだった。

――それはつまり、今後も毎年表彰の席に出ていくぞ、という意思表明ですか?

「なんとなくです(笑)。3年連続得点王もとれたことだし、いいかなと思って…というかレンタルのがいつもブカブカなんで肩が凝るんです。それもイヤだし、ひとつ作っておけば便利かなというのもあって」

――なるほど。今年は、ゴン(中山雅史)さんの持つJリーグ通算ゴール記録が157に対し、佐藤寿人さん(サンフレッチェ広島)が並びました。大久保さんはあと1点ですよね。来年はたぶん、Jリーグでいちばんゴールを決めてる人に絡んでいくのは間違いないでしょう。

「そうですね」

――よくぞここまで戻ってこられた! と思いますよ。だって大久保さんって、ヴィッセル神戸の時、「オーバートレーニング(OT)症候群」になられたじゃないですか。

「アレはほんとにヤバかったですね。2010年のワールドカップ南アフリカ大会が終わったあと、もうサッカーをまったくやる気にならなかったですからね。体は何も悪くないのに、2分動いただけで息が上がって。ワールドカップでやりきった感があったんでしょうね。もう引退してもいいやって思ってましたから」

――どうやって克服したんですか?

「サッカーをやりたくなるまで放っておくんです。オレは長崎の小さな島にいて、毎日釣りしてバーベキューして暮らしてました(笑)。サッカーに関わることは一切考えず、筋トレすらせず」

――将来について不安とかはなかったんですか?

「ないですないです。逆に釣りだけして生きていけたらいいなあって(笑)。チームからは“やりたくなったら帰ってこい”とだけいわれてましたし。で、1カ月ぐらいでちょっとずつやる気になって」

――ただ、チームに戻ってからも成績的にはあまり盛り返せなかった。その年のゴール数は4点で、2011年には9点取るものの、2012年にまた4点。チームもJ2に降格してしまいましたが…。

「全然良くなかったですね。最終的にはチームに必要とされてる感じもしなくて移籍を考えたんですが…」

――韓国とか中東からも声がかかってたそうですね。

「オレは韓国に行くつもりだったんですよ。そしたら妻が“やめとけ”と。“名前さえ忘れられて終わってしまう”って。Kリーグって日本で報道されないでしょ。自分としてはまだ代表の可能性も捨てていなかったので」

――そこに、年も押し迫ったころ、川崎からオファーがあった。

「2日で返事くれなきゃ話がポシャるって(笑)。オレももう1回チャレンジしたいと思いました。点はとられるけどその分とるっていう、Jリーグのなかでいちばん攻撃的なサッカーをしていたし、そこで自分の持ち味を出せなければ、オレがもう選手としてできるところはないだろうと」

――そこから3年連続得点王ですよ。なかなか考えられません。こんなことざっくり言えないと思いますが、何がいちばん変わったんですか?

「気持ち的には“もう後がない”ということですね。あとサッカーでは、オレ、その年まで、シュートを打つ直前に悩むことが多かったんです。打つか!? だとすればどのパターンか…コンマ何秒かのあいだに3パターンぐらい浮かぶんですよ。あるいはパスを出すか…それを迷ってるうちに最高のタイミングを失ってしまう。神戸の最後の方はずっとそう。川崎ではそれをやめたんです。最初に自分が思ったことを即やることに決めました。“シュート打てる!”って気づいたら、他の選択肢は考えずに打つ」

――逆にキャリアが浅いと選択肢は少なくなりますよね。そこから積み上げたいろいろなパターンがあったと思うのですが…。

「はい。(若いうちは)思い切ってプレーするしかないですね(笑)。でも、あの時は、もうそうせざるを得ないぐらいに、自分でダメだって気づいてたんですよ」

――もしかしたら直感的なファーストチョイスが選択肢を超えたという、新しい局面に入られたのかもしれないですね。大久保さんって、過去の痛い経験はどう捉えてるんですか。OT症候群もそうですし、ヴォルフスブルグ時代に遅刻して当時のマガト監督に干されたりもしました。

「その後にちゃんと本気を見せるしかない、と思ってます。でもね、終わってしまえば自分のなかでは全部“いい思い出”なんですよ(笑)。なんにせよ、それがあってよかったなって思ってます」

――サラッとしてますね…たとえば、ブラジルワールドカップの時、“もう1回代表になれ”“上から見とうぞ”ってお父さんの遺言があって、見事、大久保さんが代表に復帰された顛末がありました。当時メディアはこぞって“いい話”にしてたと思うんですけど、大久保さんとしてはちょっとこそばゆい感覚とかはなかったんですか?

「全然ないっす。出してくれるならありがたいです! だってみんな他人のそういう背景とか見たいじゃないですか。たとえばボクシングの亀田(興毅)とかアンチが多かった。うっすらみんな“あのビッグマウスが負けるところを見たいな”って思うでしょ。でもいざ試合を観る、僕は勝ってくれって思ってるんです。むしろそういう逆風を乗り越えて勝つのがプロのアスリートだから。もちろん努力も大切ですけど、コツコツやってるだけで全然主張したり前に出たりしてこないのは面白くないですよ(笑)。僕らは出る杭にならないと」

――今年のチャンピオンシップのガンバ−サンフレッチェ戦はすごく熱い試合でした。11年ぶりに地上波ゴールデンタイムの放送で、試合自体めちゃくちゃおもしろかったのに、視聴率は7.6%だったそうで…。

「まだまだJリーグ、人気ないですよね。盛り上げたいですね。そのためには、オレ自身いろんなところに出ていってもいいと思ってますよ。もっとメディアとかに出て」

――最近、ミスチルの櫻井(和寿)さんやナオト・インティライミさんをマネジメントしている「エンジン」という事務所と契約されましたよね。これはやっぱり“メディア出る作戦”の一環ですか?

「そうですね」

――去年、川崎と契約を更新された時、「やり残したことがある」とおっしゃってたのは…。

「タイトルです。川崎フロンターレって、すごく地域と密着したクラブなんですよ。それが優勝したらどんなふうになるのかを体験してみたいんですよね。きっとよそのビッグクラブが優勝するよりものすごく盛り上がりそうで…。代表の方もまだイケると思ってます。そのためにも、とにかく今のまんま結果を出し続けていかないといけないですね」

武田篤典(steam)=取材・文/稲田 平=写真

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