山本 昌「野球熱を復活させたい」

山本 昌

2016.03.24 THU

ロングインタビュー

1965年東京生まれ。日大藤沢高校卒。83年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。88年、ロサンゼルス・ドジャースに留学、93、94、97年に最多勝利投手。2006年、通算2000奪三振。41歳1カ月でノーヒットノーランを達成。通算219勝165敗5セーブ、防御率3.45。30歳以降にあげた勝ち星140は密かな自慢である。昌さんが野球界への貢献の一手として出版したのが、『ピッチングマニア』。小山裕史氏と分析してきたピッチングのメカニズムを記した、山本昌初の技術書だ。体の各部位の動きが連動してフォームが出来上がる仕組みを解説。“野球アタマ”がまるわかりの1冊だ。球を投げない人が読んでも野球が面白く見られること請け合い。1512円(学研)
1983年にドラフト5位で中日ドラゴンズ入団。32年のプロ野球生活に、自らピリオドを打った。
「今年もいけましたよね?」と尋ねると「もちろんです」と笑う。

「50歳のピッチャーがシーズン0勝に終わって“チームに残してくれ”って言うのはおこがましいですよ。それ以前に、ここまで契約してくれたドラゴンズには感謝しています。チームも3年連続Bクラスに終わって、何か大きく変えないといけない。私みたいな選手がいつまでもロッカーにいるのはマイナスかなって」

入団から4年間は勝ち星もなく、いつクビを切られてもおかしくない状況だったという。そして5年目の88年。昌さん、ドラゴンズが業務提携していたドジャースの1Aチームへの“野球留学”を申し渡されたのだ。

「私はその年、高卒ルーキーで入ってきた立浪(和義)の半分の給料でね。今年こそ頑張ろうと思っていた矢先にアメリカ。つまり、日本にいらないよって言われたわけですから…」

1Aといえば、アメリカの4軍。しばらくふて腐れた。が、チームメイトの姿勢で目が覚めた。みんな4軍での優勝を本気で目指していたのだ。もちろんみんなメジャーに行きたい。でも、今の居場所はここ。だからここで、必死でやる。

「それで私も、絶対ここで何か掴んで帰ってやるって思うようになったんです」

そして、今も師と仰ぐアイク生原さんの指導のなかで、確実に「何か」を掴んだ。アイクさんは昌さんのような野球留学生の指導係。とはいえ教わったのは、基本中の基本だった。いわく“ストライク先行”“上から投げろ”“低めに投げろ”。

「わかってますよ、って返事するんですけど、試合後にスコアブック見ながら一球一球振り返ってみると意外にできてないんですね。それを意識するようになりました。もちろん全部が思い通りに行くわけではなくて。でもその精度をあげようと意識することが大事なんですよね」

基本を見つめなおすクセを刷り込み、「新しいことを身につけろ」というアイクさんの助言もあり、スクリューボールを習得。その年、昌さんはアメリカで13勝を挙げて夏に帰国。ドラゴンズでもプロ初勝利を挙げ、そのまま5連勝。チームの優勝にも貢献した。翌年からはローテーション入り。93、94年には2年連続最多勝をあげた。

95年には、ひざの不調もありわずか2勝に終わる。ちょうど昌さん30歳。

「当時、プロ野球選手は35歳ぐらいで引退するのが普通でした。自分もそのルートに入ったのかと、ちょっと悲しくなってました(笑)」

95年オフにひざを手術。この時、スポーツトレーナー小山裕史さんと出会った。

「ナゴヤ球場にトレーニング機器を設置しにいらしてたんです。面白半分にやってみたら、どんどん調子良くなってきて。ひざだけじゃなくて、投げる方まで良くなってきた」

小山さんが提唱する「初動負荷理論」は、実際の運動に近い自然な付加を与えるトレーニング法。出会った時、小山さん、昌さんのピッチングフォームをほめたという。つまり、非常に理にかなった形である、と。

「先生の話を聞いて納得させられたんです。野球選手にとって大事なものは素質や力だと、ずっと思ってたんですが、きちんと力を生み出し伝達するためのメカニズムがある、ということを教わったんです。そういう“野球のアタマ”が重要だと。それを知れば、もっと自分のフォームをより良くしていけるはずですよね。そこから先生に協力を仰いで、毎年フォームを修正しながらやっていこうと考えるようになったんです」

“35歳限界説”は毎年の努力の積み重ねで、吹き飛んだ。すごいですね、と言うと、昌さん「普通です」と真顔で言う。

「プロ野球選手にとって、プロで通用するところまで自分をもっていくのは当たり前のことなんです。練習もそうだし、フォームの修正もそう。プロ野球選手でいるためには必要だからやってるんです」

ただ、若い頃は必死で仕事に食らいついていっても、普通は年をとるとズルすることを覚える。それでうまく立ちまわるコツを得たりすることもある。

「いや、楽して立ち回ろうと思ったら、自分の成長も終わるんじゃないですか。それで十分ならべつにいいですけど、最後まで上を向いて歩きたいなら、自分がどれだけ貢献できるかを考えないと。“このくらいでいいや”って維持しようとすることは、僕は退化だと思います。それってつまらないじゃないですか(笑)。アイクさんとの出会いで、僕はプロ野球選手として仕事ができるようになれました。小山先生との出会いでは、プロ野球選手を長く続けられるようになりました」

そして今年は、いわば、3度目の人生のターニングポイント。

「例年は母校で始動するんですが、今年は元日から小笠原(慎之介)投手のインタビューをしました。…難しいですね、これまでは聞かれて話す立場でしたけど、これからは人の話を聞き出すことが仕事になります。あと、今シーズンから解説者にしてもらいました。どんなトレーニングをすればいいか、べつに決まってません。マニュアルもありません。だから自分でいろいろな切り口を考えて勉強していくつもりです。今年からは“伝えていく”っていうことに力を入れていきたいと思っています。自分の言葉でわかりやすく、なぜそこにボールが行ったのか、なぜヒットになったのか、今の局面はどうして生まれたか…技術的に説明できるようにしていきたいと思っています。ドラゴンズというよりプロ野球のOBとして、野球界全体のレベルアップと人気の向上に貢献したい。野球熱、復活させたいですね」

武田篤典(steam)=取材・文/稲田 平=撮影

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