3本目の長編映画監督に挑戦した、個性派俳優

陣内孝則「ヘンなヤツだからずっと仕事を続けられた」

2016.11.04 FRI

ロングインタビュー
陣内孝則
じんない・たかのり
1958年福岡県生まれ。80年にザ・ロッカーズでボーカルとしてデビュー。82年映画『爆裂都市 BURST CITY』で俳優デビュー。86年ドラマ『ライスカレー』で注目され、87年映画『ちょうちん』でブルーリボン賞・主演男優賞など数々の賞を受賞する。以後、ドラマ・映画・舞台など幅広く活躍する。2003年『ロッカーズ』で長編映画を初監督。最新監督作『幸福のアリバイ~Picture~』は『桐島、部活やめるってよ』の喜安浩平が脚本を手がけ、名だたる名優たちが集結。泣いて笑って大満足の作品だ。11月18日(金)全国ロードショー!
『軍師官兵衛』で見せた宇喜多直家は人を食ったようなクセのある役柄、『菊次郎とさき』では寡黙で粗暴なオヤジ…。陣内孝則にアクの強い役を、という監督は多いのだろう。しかし今回は、作品には出ない。映画『幸福のアリバイ~Picture~』では、中井貴一や柳葉敏郎、大地康雄といった名だたる俳優を束ねる監督という立場だ。

監督業を通して、俳優業の大変さが身にしみた

「もう6年くらい前ですかね、映画『桐島、部活やめるってよ』を書く前の喜安浩平くんの脚本で舞台をやろうと思って。そのときは実現しなかったんですが、今回映画という形で実を結びました」

葬式、見合い、成人、出産、結婚というライフイベントを、“写真”をテーマにコミカルに描くコメディ作品が『幸福のアリバイ』だ。押しも押されもせぬ著名な俳優陣が、軽妙な芝居で楽しませてくれる。

「職業監督でもない僕が、オリジナル脚本で、しかもオムニバスで作品を撮るのはハードルが高い。それでも面白くなる自信はありました。また贅沢に俳優さんを使うためには、1本2~4日で撮れる短編のスケジュール感にする必要があった。あとジム・ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』が好きで、あの作品のように、共通のテーマを置いた短編で構成したものが撮りたいと思って。そこで冠婚葬祭をベースに、日本人が好きな写真で始まり写真で終わる…という流れを、2人で企んだわけですよ。実は僕、写真撮られるのが嫌いなんだけどね(笑)」

そんなテーマだけを共有し、あとは脚本家の想像力に委ねた。中井貴一も柳葉敏郎も旧知の間柄。快く出演を引き受けてくれ、かくして生まれたのが巧みなヒューマンコメディ。

「中井貴一さんや柳葉敏郎さんに『断っていいから』と3回言いつつ、無理にでも引き受けてもらうつもりでした。あとはキャスティングの会議もして。清野菜名ちゃんは、園子温さんの映画でいきなり脱いじゃって、覚えていたんです。台本では『出産』の一部シーンくらいしか出てこなかったんだけど、ピカピカの清野を撮ろうよ! と現場で決まり、清野ちゃんのアイドルPVを急遽撮影しました」

こだわりは「出産」の車内シーン。浅利陽介演じるロック青年が、柳葉敏郎演じる父親を、彼女(清野菜名)の出産に立ち会わせるべく駅に迎えに行く。

「スクリーンプロセスというブルーバックに背景を合成する手法で撮影したんですけど、本物の車内みたいでしょ? 本当は北欧の映画なんかで出てくるような、ちょっと違和感の強い合成っぽさを狙ったんですが、意外とよく撮れちゃって。20分近い車内の会話劇ってなかなかないだろうなと思っていたんですが、調べたら1本まるまる車中というのがドイツ映画であってね。上手いこと作るもんだと思いましたね」

義理の父親と息子のぎこちない関係を、丁々発止の会話劇で描くさまは白眉の出来。本作はオムニバスゆえ、出演者が多い。あらゆる芝居の応酬に、俳優としての血がうずくかと思いきや、「そこは別物」なのだそう。

「監督やってる作品に出たいとは思いませんよ。役者って大変だなとあらためて思うくらい。ただ、現場を引き締めなきゃいけないときはデカい声出しますし。でも、できるだけ楽しく。今回は特にコメディですしね。何度もリテイクを重ねるのは、俳優としては嫌なんです。だからテイクワン。特に今回はプロ中のプロばかりだから、あんまり何度も演じるとクドくなっちゃう」

映画を語るときの陣内さんは楽しそうだ。本作で映画3本目。昔撮った短編作品も含めれば4本目となる。

「やっぱり何かを表現するということが、僕らの生命線だと思うんですよね。それが俳優なのかトークなのか、はたまた音楽なのか。僕はたまたま監督というチャンスをもらいましたが、長編はまだ3回目。挑戦するたびにワクワク感がわいてくる。その気持ちがあるうちは続けたいと思いますよ」

その一方で、監督として作品を背負うことには、俳優とは違った重責がある。たとえば興行成績。

「そりゃもちろん当てたいですよ。当てたらみんな幸せになれるし、勝ち取れる自由もあるんだけど、あまり考えたら押しつぶされちゃうからね。だから発表したところで、ある種のゴールだと考えています。どれくらい(客が)入ったかは、もう付録でしかない。ただ俳優のときよりはやっぱりリアクションは気になりますよね。だからこっそり映画館に行きます。狙ったところで笑ったり鼻をすすってくれたりすると、本当に後ろから抱きしめたくなっちゃう! なんか、そういうのが楽しいんです」

俳優としては、監督の視座を持つことによって視野が広がった部分もあるという。若いころに監督から出された“ダメ”の理由がわかったり。

「『あ、こういうときはそういうことを言いたくなるんだな』とか、昔よく言われた『見てらんねえんだよ! お前の芝居』という理由が理解できたりとか(笑)。監督がどこまで俳優を信じているのか、俳優がどれだけジャンプするのを狙っているのか、なんとなくわかるようにはなりましたね。一方で、俳優が監督に対して“演技の答え”を期待しているということもよくわかるようになってきた」

それは職場の上司と部下の関係に似ているのかもしれない。

「上司が答えを持っているのに、わざわざ聞くことってあるじゃないですか。そのさじ加減がなんとなくわかってきたというか」

ロッカー陣内孝則、いまだ健在。そのこだわりが、身を助ける?

俳優と演技について語ってもらってきたが、もともと俳優志望でも何でもなかった。博多でバンドを組み、1980年に「ザ・ロッカーズ」としてデビュー。しかしミュージシャンとしては大成できなかった。俳優になったのは、「とりあえずショービジネスや芸能界の土俵に残っていないと、九州に帰って違う仕事をしなきゃならないだろうな」と思ったから。

解散後の1982年に映画『爆裂都市 BURST CITY』に出演することで、風向きが少し変わる。

「ライブシーンとかバンドのリーダーでボーカリストという部分は様になっているんだけど、芝居の部分は見てられないくらいですよ。ただパンクムービーとしてはカルト的な人気があるようですがね」

転機となったのは次に出演した『リトルショップ・オブ・ホラーズ』という舞台。暴走族でサディストの歯医者というハチャメチャな役柄だが、それが大いに受けた。

「僕が出るたびにみんなが笑って拍手したんです。こんなに気持ちいいことがあるのかと思いました。こういうのがあるからみんな俳優やるんだなって。芝居が面白いと思えるようになりましたね」

その当時は、まだ俳優の志は芽生えていなかった。音楽で売れるつもりだったから。「歌でいつか決着付けてやる」と考えていた。

「昔、NHKのテレビ小説の裏番組で、『ポーラテレビ小説』というTBSの連ドラがあったんです。そこでヒロインの相手役というチャンスをいただいたんですけど、裏番組があの『おしん』。おしんよりかわいそうな男優なんて呼ばれたりね」

不運だったのはそのチャンスが花開かなかったことくらい。陣内さんにはすぐさま運が巡ってくる。

「『リトルショップ・オブ・ホラーズ』を観てくださった倉本聰先生が、『ライスカレー』というテレビドラマに抜擢してくれ、いろいろオファーがくるようになっちゃって。『ちょうちん』というヤクザ映画をやったら、それもヒットして賞もいただけたりなんかして。これはもう俳優としては後には引けないな…と」

オーバーな芝居が話題になり、トレンディドラマの寵児のひとりとなる。そして音楽を捨てた…わけではない。芸能界は旬の人に権利が回ってくる椅子取りゲームだ。そのチャンスを捨ててまで音楽に固執するほど、陣内さんはガンコではなかったということ。

「あいつは今旬だ! ってなると、とことん仕事が入るんです。ただ、映画を撮ってドラマも撮ってってなると、もう結構テンパっちゃってね。それまで毎日ぐうたらな生活していたわけだから。ジャニーズ事務所みたいにJr.時代から足腰鍛えている筋金入りの芸能人と違って、売れるということに慣れていないわけですよ。だからいったん音楽を棚に置こうと」

棚に置いただけで、いつでも引き出せる状態。現に『幸福のアリバイ』でも、BGMにはこだわり抜いた。ロッカー陣内孝則はいまだ健在、なのである。

「そう言っていただけると我が意を得たりでね。やっぱり自分の特異性というか、ほかの人じゃできない部分は大事にしないといけない。それこそ自分の“アリバイ”である音楽の部分は、長所になっているのかなという気はしていますよ」

それは、35年にわたる芸能生活で密かに貫いてきていることだったりする。引きも切らさず仕事のオファーが来るのは、そんなこだわりを抱き続けてきたから…と、振り返れば思える。

「若いウチに死んで伝説になれなかったもんですから(笑)。ただ続けてこられたのは、やっぱりヘンなヤツだったからでしょうね。背景にしても出自にしても、特異性があったからだと思うんです。やり方もアイデアも、面白がってくださる方がいたんですよね。人間はみんな保守本流に寄りがちですよね。でもどこか違うようにしていた。Gパンが流行したらスーツだったし、巨人より西鉄ライオンズ。柳葉敏郎さんとか中井貴一さんとか、僕の時代はきら星のごとく俳優がいましたが、その中で食えているということは、被らない個性があったんでしょうね。倉本先生に言われたんですよ。『お前きっとクラーク・ゲーブルになろうとしたら、間違えるからな!』って(笑)」

柳井隆平=取材・文/林 和也=撮影

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