元ヘタレ芸人、あるいは落語界の“若手”有望株

月亭方正「ようやく、笑わせる道を見つけられた」

2016.12.30 FRI

ロングインタビュー
月亭方正
つきてい・ほうせい
1968年、兵庫県生まれ。88年コンビでお笑いデビュー。翌年から『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演。93年にコンビ解散、ピン芸人に。2007年、東野幸治の勧めで桂枝雀の「高津の富」を聞き、「ビビッ」となる。以来独学で落語を学び、08年、月亭八方の落語会で客演としてデビュー。正式に「月亭方正」の名をもらう。13年1月1日より、落語のみならずすべての活動を月亭方正として行うことに。落語会の日程はhttp://www.tukitei.comにて。昨年の大晦日に放送された『絶対に笑ってはいけない名探偵24時』はDVD&Blu-rayで絶賛発売中! そして今年の『絶対に笑ってはいけない科学博士24時!』は12月31日、日本テレビ系列で18時30分から6時間にわたって放送
「いつも夏頃には“今年もお願いします”って連絡があるのに、今年はそれがなくて。あ、去年で終わりだったか、って思ってたんですけど…」と、方正さんは淡々と言った。

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の特別番組『笑ってはいけない』シリーズの件である。2016年は『絶対に笑ってはいけない科学博士24時』。ダウンタウン、月亭方正、ココリコの5人が笑いの刺客たちと対峙する、大みそかの風物詩。2010年以降、6年連続でNHK『紅白歌合戦』の裏で民放トップの視聴率を取り続けている。

こんなすごい番組の、もしかしたら最後の瞬間かもしれないのに、方正さんの反応の淡白さは意外だ。

全力ゆえの淡白さと、プロジェクトの大きさの再認識と。

「2~3年前から“今年でおしまい!”っていう気持ちでみんなやってるんです。ずっと続くレギュラーみたいな意識だと、どこかに“これは先のために温存しておこう”という気も出てきて。いつでも終わるという潔さを持ってやれば、ネタも自分のパフォーマンスも“もう出し切ろう!”ってなるでしょ?」

そして回を重ねても、そのたびにいつも「立ち返る」のだという。

「『ガキ使』の大みそか特番。紅白の裏で民放トップ取り続けてる…ああオレ、すごいところに出るんやな、と。それで若い子たちのことを見るんです。テレビにも出られない子たちは、どれだけ体に鞭打っても、どんな無茶なことしても、この番組とか出たいんやろなって。そこに僕は出てる。それで手や気を抜いたりしんどいとか言うたりするのは失礼やなって。この番組に限らず、テレビの大きな仕事が入ると、いつも立ち返ります」

ただ、もちろん幸運だけだとは思っていない。19歳からお笑いの世界に入り、それなりに結果も出してきた。番組を面白くすることができているという自負もある。

「自分で言うのもなんなんですが、“笑ってはいけない”って僕の得意分野やと思うんです。デカイのは、すべてが行き当たりばったりやからです。それこそ僕がこれまでずーっと鍛えられてきたところなんですよ。ダウンタウンさんから、“苦しめる”とか“追い詰める”っていう対象をさせてもらってきたのは僕でしたし。何かあったら“ヤマサキどう?”って無茶ブリされて、それに対処するための筋肉をずいぶん鍛えてもらったと思うんです。僕ら芸人がネタを繰るわけじゃなくて、作家さんやスタッフが繰ったネタにどう対処するか。そこは僕が生きる部分やと思います」

鍛えられてきた「行き当たりばったり」の筋肉。

実際、番組内でも重要なポストを与えられている。ひとりだけ、お尻丸出しの変態仮面やけっこう仮面のコスプレに、2007年から続くプロレスラー・蝶野正洋からのビンタも。

「もうね、ブルース・リーですわ。“ちょっと来てくれ”って呼ばれて行くとコスチュームが置いてある。またか…今回は違うパターンでいってもいいのに…って思いながら衣装を着て、でもあとはもう本当に、ポーンと思考を停止させます。“感じろ!”しかないんですよね。あの場にいるみんなが感じてますから。でもあれでヘタにネタ繰って考えて何かしたら絶対やけどしますよね(笑)。

蝶野さんのビンタは1年目は全然知らんかった、2年目“嘘やろ?”、3年目“うわーまた来た!”、4年目5年目6年目ぐらいからは“もうやりようないで、オレは!”なんですよ。あのね、正直言うと“なんでオレばっかり痛い目にあわなあかんねん!”です。それやったら、ビンタ費をちゃんと発生させてくれと(笑)」

そして「それにしても」と、この特番の誕生の瞬間を振り返る。

「このコンテンツってすごい発明だと思うんですよ。松本さんが、会議の時に“旅館に泊まってたら、オモロイことどんどん起こっていくねん”って言い出したんですね。僕はそれを“オレやったら、どんなふうに笑わせるかな”って聞いてたんです。たぶんスタッフもみんなそうやったと思います。でも松本さんが言ってたのは、僕らが笑わせるんじゃなくて僕らが笑わされるってことで。それが最後にみんなようやくわかって。でもクエスチョンマークだらけですよ」

でも撮ったら面白かった。「松本さんの頭の中にはすっかり画が出来上がっていたんだと思います」と、方正さんは言う。

本当になりたかったのは「ビートたけし」。それがずいぶんずれた。

今の方正さんのキャラとか芸人としての“地肩”を作り上げたのはダウンタウンであり、ガキ使だった。なんにもなかった自分を商品化してくれたことを感謝している。そしてそれは確実に『笑ってはいけない』だけでなく、様々な番組で生きている。自身、それを武器だと自認している。

ひとつ付け加えるならば、方正さんが約30年前にお笑いの世界に入った時に目標にしていたのは、「ビートたけしみたいな芸人」であった。本人の適性ももちろんあっただろうし、その後のブレイクの仕方、世間への受け入れられ方もあっただろうけれど、山崎邦正(当時)はビートたけしのような芸人には育っていかなかった。

「アホとかヘタレとかって別になんとも思わないんですけど、世間から“面白くない”と言われることは受け入れられなくて、24歳頃かな、1年半ほど悩みました。すごく苦しかったですね。半年ぐらい…あ、1年半は言い過ぎでした(笑)。半年間、もうやめたろかと思ったんですけど、それでやめたら負け犬ですよね。“面白くない”って言われたままいなくなると認めるみたいなことになるじゃないですか」

だから方正さん、お笑いを続けた。ただし、やいのやいのという世間の声を覆すように面白さを求めたのではなく「こんなに嫌なこと言われるなら、金稼いだろ! と。お金でそれを埋め合わせたろ! と。で、きちんとお金をいただくには、それはもうなんでも受け入れるしかないですよね(笑)。あらゆることを受け入れて仕事につなげようという発想に変わったんです」

それがある意味、ブレイクのきっかけ。なりたい自分へのこだわりを弱め、求められている自分を出していく。プロダクトアウトから、マーケットインへの転換。かくして、うまく20年近くキャリアを重ねてくることができた。だが芸人としての自我や欲望といったものは、「プロダクト」として割り切れないのだ。

蓋をしていた“笑わせたい”を、改めて求め始めた不惑。

「僕は自分の立ち位置とか現状認識の勘は悪いほうではないと思います。テレビって団体芸ですから、今の位置からどうしたら面白いか、得するかはちゃんと選択できる自負はあります。でもやっぱり“面白くない”を心底は受け入れられていないまま来てたことに気づくんです」

山崎邦正が月亭方正になり、仕事の拠点を東京から大阪に動かしたのは、そうした理由から、である。

40歳を前にして、どっぷりと落ち込んだのだ。営業としてお客さんの前でステージに立つ機会が3度ほどあった。持ち時間は20~30分。これを「テレビでおなじみ山崎邦正」の顔と、ちょっとしたギャグで持たせようとしたところ失敗した。時間を完全に持て余した。
「テレビで笑われているところが役に立たなかったんです。オレってやっぱりみんなに面白いって言われたいって思った。ちゃんと芸を見せて笑いをとって評価されたい! そこにずーっと蓋をしてきたことに気づかされたんです」

そして、落語と出合った瞬間「ビビッとなった」という。19歳でお笑いの世界に入った時、養成所の同期に対して「オレ勝ってる」と思った。「この世界で食える」っていう根拠のない自信を持った。それと同じような高揚感と興奮が落語にはあったらしい。

ディテールは割愛するけれど、2008年、ひょんなことから月亭八方師匠に弟子入り。12年には拠点を大阪に移して上方落語協会の一員となり、その翌年からはすべての活動を月亭方正として行うようになった。だから今、ケツをしばかれる時も「方正、アウト〜」なのである。

お笑いの世界に入った時、ビートたけしに憧れながらもトップを目指そうとは思えなかったという。それが落語の世界では「トップを目指す。そう言い切れる事がすごく幸せだと思う」とキラキラした目でいう。

取材日は、2016年12月22日。この日は『ガキ使』の収録で、インタビューは撮影終わりの夜7時頃からの予定だったが、撮影前の3時に変更。夜、落語会に飛び入りすることを決めたからだ。3日後に800席が完売した西宮での落語会が迫っていた。演じるのは45分という長尺の「山崎屋」。

「何回やっても腹に入ってこないし、手についていない。怖くて怖くて、3日前からお腹も痛くて。この何日か、夜中に目を覚ましては、そのまま稽古して、口の中でブツブツ唱えながら落ちるように眠って、早朝に目を覚ましてまた唱えての連続です。だから少しでもやっておきたいと思って、それで今日も知り合いに頼んで無理やり落語会に出してもらうことにして…すみませんね、取材の時間かわっちゃって」

超ナーバスで超マジメなのである。でも、そういう人ほど噺家に向いているらしい。

「ずーっと僕は笑われてきて、それでテレビの中の椅子がありました。ありがたいし頑張ってきたけど、僕の中の核みたいなところでは“ちゃんと笑わせたい”と思い続けてきたんです。落語では、その部分がちゃんと評価されるんです。それだけで嬉しくて。褒められることがなかった僕のお笑いの人生のなかで、50を前にして褒められて。こんな単純なことがこんなに嬉しいんですよね!」

武田篤典(steam)=取材・文/稲田 平=撮影

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