あらゆる種類の作品で存在感を発揮する名優

國村隼「ノックしないと絶対ドアの向こうには行けない」

2017.02.17 FRI

ロングインタビュー
國村隼
くにむら・じゅん
1955年熊本生まれ・大阪育ち。81年『ガキ帝国』で映画デビュー。“ドアをノック”した『ブラック・レイン』に無事合格。松田優作演じる佐藤配下の吉本として、革ジャン姿で熱演。これを機に、香港映画にも多数出演。ジョン・ウー監督の『ハードボイルド/新・男たちの挽歌』では、サブマシンガンを手に冒頭シーンでハードなアクションを。97年の主演作『萌の朱雀』は第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール賞を受賞。出演作多数。『哭声/コクソン』で「2016 APAN STAR AWARDS」の特別俳優賞も受賞。『哭声/コクソン』は3月11日、シネマート新宿ほかにて公開。
「オファーをいただいたとき、その脚本を読みすすめながら、過去の作品を見せてもらったんです。まずデビュー作の『チェイサー』。シリアルキラーの話で、一切救いがないにもかかわらず、グッっと引き込まれて。目を覆いたい展開なのに、その流れを楽しんでいたりする。見ているこっちの気持ちを無視するみたいに登場人物を殺したり。でも不快感はない。“なんて独特なんだろう!”って思いました。そのあとの『哀しき獣』は、まったく違う世界。スピード感あふれるすごいアクション!」

韓国映画界最重要人物のひとり、ナ・ホンジン監督の話である。1作目は元刑事の主人公が、経営するデリヘルのヘルス嬢が次々失踪する謎を追う。2作目は中国にある韓国の“飛び地”に暮らす主人公が、仕事をクビになり借金まみれで殺人を請け負い、追い込まれていくさまを圧倒的な緊張感をもって描く。未見なら観て損はない。2本とも体調万全な折に。

知らないほうが絶対にいい。でも観たほうがいい。韓国映画『哭声/コクソン』

で、國村隼さんに届いた出演オファーは3作目の『哭声/コクソン』。山間ののどかな村に、フラリと現れた日本人らしき男を演じた。役名は「山の中の男(韓国では外地人)」である。

「1作目2作目と世界観はかぶってないんだけど、ストーリーテリングで追っかけるものでない点は共通している。『哭声』は、小さなコミュニティに異物が入ってきてそれをオートマティックに排除しようっていう人間のベクトルから始まり、疑心暗鬼が妄想とか虚言を生み出していく。誰かに噂話をするときに面白おかしく尾ひれつけたりするでしょ? そういうことが重なって真実がどんどんねじ曲がっていく過程の恐ろしさを描きながら、なんとスピリチュアルな世界に入っていく…そのすべてのきっかけとなるのが、私がやることになった男なんですね」

風光明媚でのどかな村に、のんきな人々が暮らしている。そこで連続殺人事件が起こる。普段事件なんてない村だから、クァク・ドウォン演じる警察官も緊張感ゼロ。ごはんを食べてから現場にのんびり行ったり、小学生の娘が突然オヤジのような口をきいたり。笑わせるシーンが随所にある。でもそれが地続きに怖いシーンへと変わっていく。

「キャラクターの見方として善意か悪意か、神か悪魔かというところと同じように、笑いと恐怖がないまぜになっていて、作品全体をどう見ていいのかわからなくなってくるんですよね」

156分。でも長くないのだ。山の中の男は鹿のナマ肉を喰らい、ふんどし一丁で森を駆け巡り(脚本段階では全裸だったそうだ)、祈り、崖から落ちる。『哭声/コクソン』はその間、想像の斜め上をいく展開を見せ続ける。國村さんも「あんまり中身のことをしゃべらないほうがいいんですよ。知らないで観たほうが絶対いい」という。見る者は脳みそを揺さぶられ、完全に価値観をグラグラにされるのである。

韓国では昨年公開されて大ヒット。ナ・ホンジン監督の過去2作同様、カンヌ映画祭に参加。國村さん自身も、韓国の権威のある「青龍映画賞」で、男優助演賞と人気スター賞を受賞した。

「手触り」で作品を決め、「準備」はしても「役作り」はしない

ここのところの國村さんの出演作。例えば『地獄でなぜ悪い』『進撃の巨人』『ちはやふる』『シン・ゴジラ』『海賊とよばれた男』…。テレビの連続ドラマで時代劇が続いていて、この4月には舞台『ハムレット』が待っている。

作品のオファーを受けるか否かを決定付けるのは脚本の「手触りみたいなもの」だという。『哭声/コクソン』のときは、「あの手腕を持つ監督がこの脚本を映像化したらすごいものができるだろうなという直感」からスタートした。出演を決めると「準備」に入る。小説を読むように脚本を読む。どんなものができるのだろうかと想像し、全体の流れを見てから、最後に自分の役にフォーカスする。

「お客さんがどこでこの作品世界をどんなふうに感じるんだろうと、全体を把握することが一番の趣旨なんです。作品が面白くなるために、自分に任されるパートをどういうふうに機能させて、どう存在すればその役割をちゃんと果たせるのだろうと。よく言われて困るのは“どんな役作りをしましたか?”ですね。“したことないです”としか言えなくて(笑)。あらかじめ現場でああしようこうしようとかは、一切イメージしません」

今回もその営みは同じ。でもなかなかすんなりとはいかなかったという。

「何しろご覧になってわかるように“日本人らしき男”と言われながらも…」。で、ちょっと中略。ご覧になっていない人のために。説明を引き取ってあえてぼんやりさせると、その男は“なんだかよくわからんもの”。なので「そんな人を表現するとき、何を手掛かりにやっていくのかが難しかったんです。だからそのシーンでお客さんに何を伝えねばならないのかっていうところから逆算していきました。僕は、言ってみれば、静かな池に投げ込まれた小石なんだなと」。

國村さん、別々の作品に並行して出るのは苦手らしい。とはいえ、出演作は多い。特別に「脚本を読んで準備をする期間」を設けるわけではない。新しい作品に入るたび、段階を踏んでアプローチをするシステムがあるわけではなく、「脚本を読む」という作業のなかに、習い性のように織り込まれているのだという。それは役の大小や出演シーンの長さとは関係ない。

そして、現場では監督の指示に従う。

「監督のビジョンが基本。自分が被写体としてカメラの前に存在することで、監督のビジョン全体をコーディネートする素材として機能できるかというところにシフトします。どういうシチュエーションか、どういう人でいなきゃいけないか、そこで立ち上げるべき人物像は何かということを常にキープはしながら、あとは逆に言うと台本に書かれてる流れに乗っかることしかしない。現場では何を感じるかが重要。だからむしろ、感度を上げるということに集中しています」

そこで「うまく演じられた」とか「今日は失敗した」とか感じることはほとんどないという。國村さんがその役を演じて、達成感や喜びを得るのは完成した作品を見た瞬間。

「お客さんと同じ側から見て面白いと思えたときは、“良かった!”と。“こんな面白いのできた!”って嬉しくなる(笑)。僕には自分の作品を見るときの基準みたいなものがひとつあるんです。お客さんとして作品全体を楽しめたら、俳優として僕がその中でやったことは、たぶん正解。僕がその作品のなかで果たすべき機能をきちんと果たしたってことだと思うので。だから、スクリーンの中の自分が気になったり、自分をずっと見てしまうようだったら失敗ですね」

いかにしてオリジナリティは生まれるか。いかに先に進むか

作品への取り組み方から見ても如実だけど、國村さん「こんな俳優になりたい」みたいなビジョンは決して強くない。むしろない。でもそんななかでも恐るべき存在感と独自性を発揮している。

「“人の振り見て”っていうことわざがありますけど、僕らの世界は往々にしてそうで、特に自分が“いいな”“この人の仕事好きだな”と思った方とご一緒する機会があったときには、まあ見ますよね(笑)。“この人、どうしてこんなことができるんだろう!”って。その逆もあるし。“これをやるから、こんなふうになっちゃうんだ”っていう反面教師的な見方。俳優としてのテクニカルな部分がほとんどですけど、他人の方法論を見ながら、自分の嗜好をベースに取捨選択を続けていくことが、やがて自分のオリジナリティにつながっていくんじゃないかなと。そういうアプローチを模索してきた結果が今なのかもしれないですね」

エンジニア志望から俳優に転身。テレビドラマに初出演したのは21歳のとき、映画は23歳。井筒和幸監督の『ガキ帝国』だった。現在61歳。歳はとったけれどベテランではない、と笑う。そういえば30歳ぐらいのときってどうだったんだろう。どう過ごせば、のちにつながるんだろう。

それが國村隼さんへの最後の質問。

「自分のことしかわからないので、偉そうには言えないんですけど(笑)。たまたまの流れのなかから俳優なんてことをやり始めて、僕の30歳ごろは、ちょうどプロフェッショナルになれるかなれないか、お芝居を生業にすることができるか、将来に光明が見えるか見えないか…という時期でしたね。その頃、リドリー・スコットが大阪で映画を撮るという話を聞いたんです。これがのちの『ブラック・レイン』になるんですが。オーディションに行きたいと思いました。もちろんなんのツテもなかったんですけどね。ハリウッドの大作に出たいというシンプルな思いもあったけど、“このまま自分の思いだけで俳優を目指していていいんだろうか”っていう疑問への答えがほしかった。それでリドリー・スコットにゲタを預けることにしたんです(笑)。彼が選んでくれれば、自分には需要がある。思いだけでなく“オマエが欲しい”って言ってくれる人がいるから、プロとして俳優を続けられる。もちろん引導を渡される可能性もあります。

そのときの僕のイメージは、目の前にドアがいっぱい並んだ状態。で、怖くてどのドアもノックできていなかった。だけど、そんなこと言ってたらドアの前で年老いていかないといけない。そこで、まずノックしようと。ノックすることが大事だと思いました。開けてくれないかもしれない。でもそうすると、次は目的が“開けてくれるドアを探そう”に変わる。グズグズしていた状況とは違うんですよね。開かないかもしれない。でもノックしないと絶対ドアの向こうには行けません。

…あ、なので、みなさんにメッセージがあるなら“ドアはノックしましょう”ですね(笑)」

武田篤典(steam)=取材・文/稲田 平=撮影

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